あげちうのブロマガ

魔物の居ない世界を目指す魔物

医者の極論、だろうか。

病を治すのが医者だが、結論で言うと、病その物を無くす事は、出来ない。
不意に、”それ”が我慢出来ない感覚が、ある。酷い病、その悲痛、その根絶を願う瞬間。

人類を病の苦痛から解放せん、それこそが医者の使命!

…もし”これ”が原因だとしたら、治癒する術はあるのだろうか。


「曼荼羅」と言う概念が実際、その並行宇宙、パラレルワールドの認識を意味するのだが。目の前に有る格子状の9つの窓は、三千大世界への入口だ。その何処かに貴方の不満、苦痛を癒す世界が有る。意識を”そこ”に向ける事で、苦痛や苦難は消えていく。

何でか?と言うと、「こちらの世界の不用は、向こうの有用だから」だ。不用を捨て、有用を貰う、相互に入れ替える時?そこに価値の、”命”その減少、それは止まる。

…が、この「捨てる窓」と言うのが、結論で言うと病、その発露する先、ではある。

RPGで尽きる事無く沸きだすモンスター、その理由だ。ゲームとしては「楽しい」が、それは相手の不用をこちら側では消せるから、だ。食事に適当な労苦が必要な様に、相手の不用と言っても、処理するのには適当な手間が居る、ただ、ご飯を食べたり創ったりする時の様に、その過程その物に快楽は付いていて、現世側にとっては、微妙に苦痛が無い。「料理するのが好き」と言う人はもちろん大勢いる、彼らは視点を変えれば、何かのモンスターを倒して経験値などを稼いでいる…”そう言う絵”ではあって。

現実のみの視点で見ても、それは仕事で溜めてしまう「魔物の元」を、ゲーム等によって処理し「快楽」に変換している訳で。「娯楽」それが無いと、人間はまず、精神を健全に維持出来ないし、もちろん”それ”が適当で無ければ成らない。それが適当でないと精神にむしろダメージが発生する、今やっている事は、無意味なのか?それは、重い心の病を発症しかねない。

何故こんな事に成った?

”それ”が説明されるのも、もちろん病を癒す上では重要で、知識だけでは何かの不足は発生する。疑問に対する追体験は、より深い”物理的な理解”をユーザーに齎し、疑問に対するストレスの軽減には繋がる。ただまあ、その時それは、いわゆるゲームとしての「自身の挑戦により事態を打開する」と言う様な…そのニュアンスは薄れるが。

ここまでの話を、果たして「モンスターが出ないRPGなんて有りえないでしょ」で済ます事が出来ないのが…まあ、一種の病理ではある。”これ”がつまり、「病気の発生は根絶出来ません」と言う返答への反発に繋がる訳で、その結果、より深刻な病気を引き起こしたりする。体に悪い物を一切取らない結果、体は抵抗力を失ってしまい些細な風邪で死に至る、等々。

「潔癖症」その病理を如何にして治すか?は、割と面倒な話だ。
或いは今の新型コロナウイルスも、その帰結として発生した災難、かもしれない。

植松被告の「障害者は殺すべきだ」その極論も或いは、”何処か”から発生したモノに汚染された結果、かもしれない。今も治せない、その病根は本人以外の「別の所」に有るからだ、それは今も、その断言に揺るがない。

理想の世界を築く為に、世界から魔物を一掃せねばならない!

定番の、邪悪なる純白、それは何処に有るか。

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