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あげちうのブロマガ

使ったら負ける兵器に負けた記憶

作品的な評価?で言うと、大量破壊兵器は「白ける」兵器では、ある。

しかし、現実的には”それ”を肯定?しての昭和以降、ではある訳で。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

最近の戦場には若い少女しか居ないって、なんとも歪んだ話

 

理解では、暴走族同士の抗争、お互い釘バットとか金属チェーンとか、殺傷力がありそうな得物を手にしての衝突!の最中で、誰かがショットガン持ち出して撃ってしまった、誰か殺しちゃった、そう言う情景の是非には成る。「はい銃刀法違反、ついでに殺人罪」日本での法律でなくても、それは刑罰の対象にはなる…もちろんその前に警察は介入すべきだが、居ないのではどうにもならない。

太平洋戦争の帰結は結局、弱小チーム日本に対して何故かショットガンを撃ってしまったアメリカ、という絵ではあり。「道理」はその後、日本に対して大分譲歩をする、事になって。のちのち考えると勝ったのか負けたのか、ちょっと曖昧な結末には成ってしまった。領土の返還なども行われ、大戦前に戻った、様な感じではある。

つまり、戦争そのものを「無かった事に」してしまった、感はある訳だ。大量破壊兵器とは、つまり。

「大衆は神である」の思想的には、「異世界理論」つまり世界の外から見ている眼がある、という事ではあり…つまり、何処まで行っても「外から見てる視線」それを無視する事は出来ない、訳で。単純に核兵器はこの時、暴走族同士の抗争で持ち出されたショットガン、ではある、道理としての禁じ手ではあり、これは”使った方が負け”だ。そしてだから、太平洋戦争後の日本は「勝者として」庇護の元、空前のか高度経済成長期、国家的な回復に至った、訳で。

「最終兵器は使った方が負けになる」だから無意味だ…か?というと、現実は混沌としている。

この感覚で例えばガンダム描いて、通るか?だ。劇中でも何度か使用?されている、それ以上にコロニー落としの破壊力の方が上ではあるが。ニュアンス的には先に使った方が悪になる、という言い方ではあろうか。結果で敵は倒される運命に陥る、訳だが。ただ核兵器の報復でのソーラー・システムその是非ではある。結果的には似たような話ではあり、拠点に居る数万単位の人間毎、蒸発させてしまう点では最終兵器と言ってよく。

今の想定している「紛争解決機構」それには、これらは出せない”限度”はある。理屈では上記の様に、「使ったら負けになる」兵器は登場させても意味がないから、だが。それを持って「これは実戦ではない」と言うそこに正論はある、かもしれない訳で。ただもちろん、それを登場させたらゲームに成らないそれも、まあ現実ではあろうか。

現状でも、戦争法と言うかはある。ロシアも簡単にはウクライナを侵略出来ない制限の前には居る。そして、その先に踏み込むなら核戦争も現実、という理解があるからこその、今の小競り合い的な状況ではある訳だが。現状も、ウクライナの法律ではゼレンスキー大統領は既に任期切れ、であり。”彼”の戦争は彼の敗北で終わった、実際はそう言って良い状況だがしかし。世界は今も、同じ構図で話を続けようとしている?

「限度」その妥当が解らない、感覚はまあ、残る。

究極的にか、話では「宇宙その物を消してしまう」兵器?力、そう言うのもある訳だが。

ここから先の話は、物理的なか、結果でしか解らない、部分はある。一応「売れる為には?」つまりその登場は”正しい”か?という問題には成る訳だが。視点でともかく核兵器があるが故に、世界大戦までは至らずに済んでいる、という話もあるし。存在する事が必ずしも悪ではない、訳だけども。

「自分の描写の方が”正しい”のに、売れないのはおかしい」

物理に「正義」を要求し得ない事態は、今も続いている。

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