自分も気づくと同じ話のループに成っている、現実はまあ当然ある訳だが。
そう言うのが既存の”先生”らにはない、訳ももちろんか無い、気はする。むしろ逆かも。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
若い頃のファッションは、割と昔の話になった時の、不意の望郷
視点の問題で、「創作を仕事にする限りは、その創作を求めるのは読者の方である」その定理は覆らない、筈ではある。自分が面白いと思っても、読者がそう思わない限りは「それは仕事ではない」訳だ。そして普通の仕事がそうであるように、「実績」信頼と言って良いそれもまた、読者側に発生する「成果」によるモノにはなる。要求される目的があり、それに応じた結果でその目標をクリアして、始めて実績となる。実績を積み上げてこそ、それは「先生」たる資格を得ていく、事には成る訳だが。
不意に、”それ”が無い作家、というのも実は居るのか?と、そんな気には成ってきた。
少し前に「売れない、貴様の思い通りにしか成らないではないか、これはおかしい」と言う不満を投げる意識を感じたが、その発生源かもしれない。最終的には「自分が面白いと思った物を描く」事を信条にしてしまう場合があり、その時?それは作者本人には有益かもしれないが、他者にはそうでもない、という結果が発生し、”それ”は最終的には実績に成らない、訳だ。この先に、気づくと「もう良い歳だが、なろう系小説家あたりと同じランクに居る」と言うベテランが発生する、感じ。「実績が無い」ので、伝えられる事は漫画の技術くらいしかない、しかもそれも個性を売りにする結果で他者には真似るメリットが少ない、とかそう言う。若い頃の武器が、逆に足かせに成っていくというような悪循環に、その感覚は陥っていく…のでは。
現場で「先生」と呼ばれる人も居るが、逆に現場で「お荷物」呼ばわりされるベテランも居る、訳だ。先人として後人に伝えられる物が無い、状態。経験が実績に成ってないので、何時までも新人と同じ感覚で居る、様な。単に歳を取った、という否定感ではない無能さが、不意に、そんな作家性をやたら強調する作家には発生してしまうのでは、そんな風にも不意に感じた。
…こういうのは、意識の持ちようだけで何とかなるモノなのだろうか。
諸事情はともかく彼らは、「売れなかったから」で、排斥される苦痛をあまり受けなかった、ポジションにいた、可能性は結構、ある。頼み込めば次の連載を給与付きで貰える、様な。ニート化した作家、というか作家貴族とでもいうか。具体例はどうなのかとも思うが、「あだち充」氏なんかは…そのイメージの強い作家、だろうか。面白いのかどうなのか良く解らないまま、その連載はだらだら、以前との間違い探しを続ける様な、と言って良いまま続いていた。
聞きたいのは「どうすれば売れますか?」利益を得る方法は?に対して、彼らは応えられない訳で。
最終的には「物理が私に合わせるべきだ」とまで、彼らは言う事に成る、訳だが…それは正しいか?と、言う問いと共に。自身のか、「物理的帰結に否定感を持たない」物理に恭順し得る個性、というそれが特権だという感覚にも、或いは成る。自分が面白いと思う物が売れるモノ、という帰結は果たして自分を矯正した結果なのか?それともではある。ともかく売れる、実績を重ねた先生らの前に、彼らは面倒な邪魔として有り続ける事には成る訳だが。
なんにせよ、「美鶴さんの長い妄想」それは売れなかった、という重大な結果は重くある。
それは、”誰”に対しても同じ結果しか見せないのだ。しかし。
或いは平成を通してか、彼らはその制約を無視する事は出来た。
…そうだろうか。