何故なら?内需拡大こそが創作の使命だから、だ。創作が利益性を持てる時、経済は衰退しない。その為にはでも、創作者であっても「仕事」の形式は大事で、そこに特に「独裁性」ぶっちゃけ何かの自慢話?そう言うのは、いらない。
と言う時、テレビゲームそれは、どうあるべきなのか。何をダメとして抑止すべきか。
「悪魔城ドラキュラXX」そのドラキュラは、「復活した!」と言っても、女性の生血を吸った訳でもなく、「何となく」復活してしまって、そして何故か、主人公の家族を浚い、しかし特に害す事も無く幽閉していただけ。ドラキュラの行動原理それは単なる愉快犯でしかないのか?ちょっと「理由」として、弱い。結局、作者的には「倒すべき敵!」自分の思い通りに創らせない無理解な先人!を倒す、そう言うモノでしか無かったのでは、そんな風に思う時。
現状、創作の目的が「戦争否定」からの「内需拡大」に通じる時、それは全てに優先される大事な目的だ。それは、「万引きの常習犯」を擁護する、より遥かに高い優先順位は有る、筈。一般論で、「たかが100円の万引きくらい」な罪も、しかしそれが100回も続ければ?負債の総額は50万円くらいにも拡大するのだ。それは「たかが」で流して良いモノか?万引きが原因で潰れる本屋の話は、結構有る。シニア世代は特に、「子供の悪戯程度の事で大人気ない」自分だって畑のリンゴを拝借して良く食べていた、とかそんな理解で罪人を許す事が結構?あり。それがでも、「皇帝」をのさばらせ、平成に不景気を招いた元凶だったかもしれないのだ。これは打開せねばならない喫緊の課題である。
と言う部分を意識すれば?「この敵を倒したらどんな良い事があるの?」自分は何に貢献したんだ?的な、そして「それが設定されていない」事に対する失望感、その「不可能に挑む」徒労感、そう言う意欲を大幅に減退出来るのではあるまいか。許す事が出来ないのでは無く、「減罪しない方が良い」訳で。そのまま許されず加害を続けたら、彼らは社会的に殺されてしまう。守らんとするなら早期に「それはダメだ」と言うべきで、その時、「万引き程度」でも重い加害だ。価値がある、とするならそう言う方向ではあるまいか?そして、そんな「物分かりの悪い先人」らを退ける事が出来るなら?その許し難き悪質な覗き魔、万引き常習者、嘘つき等々を罰する事が出来る様に成る。
「と言うゲーム」で有れば?特にラスボスに罪の感じが薄かろうと「倒して構わない」訳で、それは正しい事には成る。なら、プレイヤーとしても意欲を得られ、勝利に「価値」が発生し、「面白い」評価が復活する、事には成る訳だ。
古いゲームも今、「バーチャルコンソール」等では「何処でもセーブ可能」な訳で、昔難しくて出来なかった事も、諦めねば超えられる。その辺の再評価は、意外と平成に残った「理不尽な無念」、或いは皇帝を擁護するその打開に繋がりはしないか。
ちょっとした意識の変化は、状況を改善するだろうか。
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