あげちうのブロマガ

空を飛ぶ理想の先で落ちていく何か

深刻さは、常に定番のそれなのだけど。

いい加減その返答も定番のテープレコーダーなのは、どうにかならないのかというか。

変わっていくのは、「テープレコーダーって何ですか?」そんなシンプルな返答だろうか。古き良き、が気づくと無くなっている?そんな変化しかない現状ではある。そして、今は気づくと必要性さえ失っているのだ、テープレコーダー”的な物”を使う機会が無い、というか衝動が起きない。CD一枚3000円の意味が解らない。高い安いのではない、要らない。

とは言え、古い時代のそれは、もちろんか今の時代ではなく、今の時代に使える物じゃないので、今それを手にしても、そこにあるのはノスタルジーだけではある。

ああかなり、ちょっと悲観的な感覚には今、どうもなってしまう。

 

ともかく解っている事は、「お金が無い」その一言ではある。自分に現状を維持する”それ”がない訳じゃないが、世間の不満を探せば、もちろんあるのはそんな呟きしかない、だけだ。そしてか、だから、何もできない、状況が変わらない、時は過ぎていく・・・つらつらと、不満は崩壊への悪夢を伴って続いていく。

”その”原理は単純で、100kgの金塊を前に1000人が居る時、そこには安定がある、しかし。それが一万人になった時、そこには格差と切り捨てが発生する、そういう現実に対して対処する術がない、それではある。マクロ?ともかく単純な話では、「金が1000kgあれば!」しかし、「金は創れない」という物理を前に、それは「漫画じゃないんだから」それで終わってしまう、そしてその他の対案は今のところ、その一言に全て負けていく、訳だ。人は増えていくのに、金の量は変わらない、というかむしろ減ってない?

結果、その価値観?の中では、状況の打開とはリストラ、「最下層の切り捨て」しかない訳で。

なのに、その結果としてあるのは、”そのまま”社会はハイパーインフレへ突入する、そんな理不尽ではある。

人減らしの戦争が肯定される時、世界は最終戦争へ向かうのかもしれない訳だが。

 

現状、幸か不幸かだ、「はいダメね」で、その選択=失脚、ではあるようなのだが。物理的には有効性のある対案はある、”それ”を選択しないのは「ダメ」だ。ただ、その「有効性のある」それの実在その物を、人を殺すレベルで否定した様な、そんな壁がある、訳だ。最下層を切り捨ててでも守らねばならない信仰か体制、それは何故かか、民主主義の後押しもあって、今も堅牢な正論としてある。

一種の天変地異に近い「現象」だろうか、これは。

ともかく物理的に言っても、市場にそのゲームハードが10万台しかない時?「100万本売れました!」は有りえない、という事だ。この時、開発費には必然と上限が発生し、その範囲内で何とか回収し得る”内容”を模索せねばならない訳だが。「どんな?」が思いつかない、というか、「100万本売れればペイできる」様な内容をどうして創ろうとするのか?そんな疑問ではある、何かのリミッターが壊れてる、そんな気分には成るが。

”それ”の原理としても、「クラウド」その金銭感覚というか破綻した理想というか、それは現状への悪影響”それ”しかない。「必要ない」という時、”そこ”にあるのはしかし堅牢な否定の壁だ、”それ”でさえ、物理には切り捨てという事には成るのだろうか?

スペースシャトルも、コンコルドも、未来を目指したそれではあるが、何故かコストは合わなかった。

捨てられない夢、という奴だろうか、それは。

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