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あげちうのブロマガ

何を持って正しいと言うか

問題としては面倒な何かとしてはある。

ともかく夢魔としては、奇妙な重さと共にそれはある。


「夫が罪人だと解った」時点で、妻の、或いはその全ての創作は、根本的な意味を失ってしまった…場合と、その後、だ。

その夫は、或いは過去の過失を認め、罪の服役に同意している。その話はそれ以上は追及できない…しかし。その妻が今まで描いて来た物語、それは、或いはそんな夫の無実を信じ、それを立証せんとする…そう言う内容でしかなかった、場合。

妻はその後、創作活動は出来るのだろうか?
その時その妻は、何かの生活基盤、それを失った事になるのでは。


関連する感覚だろうか…今の新型コロナウイルスで亡くなるのは、殆どが70代以上の「老人」ではある。しかし後の世代も現状は収入が減り?職場が減って、年金への依存が高まっている状況、その死は、そんな後の世代その窮乏にダイレクトに繋がる、場合によっては共倒れ、そんな危険性さえ孕む。「老人はしょうがない」その結果しかし、一緒に自殺にか追い込まれるかもしれない後の世代それは、何かの過失があったのだろうか。

…セーフティネット、的なモノが無い?と言う理解からの、そんな悪夢ではある。
とは言えもちろん、これ以上コロナ禍が続くと言うのも、問題ない世代にとっても問題は続く訳だが。

「”雅”市場は世界を覆った」と、そう言う感覚の先で、それは自身の責任になる、奇妙な懸念としては、残る。

「自分の立場からは人力発電機は使えない」そんな理解は、最近は少しある。”その需要を産む”のが立場的な仕事だから、だ。自分の創ったかの創作を見る為に、末端は人力発電機を廻し、電力を創りお金を得なければ成らない。理想論としては、”それ”によって増えたお金の一部かが、自分の生活費その他としてフィードバックしてくる、筈ではある、が。

問題があるのか無いのか、状況は変わらない、ただ、懸念だけは続いている。


先の話の打開は、微妙に見えてない、奇妙さを伴うストレス、それは残る。相手は罪人であり、或いは犠牲者は自分で、妻は結論で”それ”を否定は出来なかった。ただ、そう言う場所へ「大衆」そう認識する視線は、何故か向いている、自分では無く。打開は見えていない?打開を求められている…面倒ではある、双方かの同意する倫理?故だ。

罪人は如何に贖罪しようと、死ぬまで罪は消えない、罪人である。
自身の脅威となる存在を自身の力で排除して、何が問題になるのか。

結果、特権を悪用して自身の脅威を排除した夫を、妻は擁護が出来なくなっている。
そしてその結果、自身の創作それは、価値を失っている…訳だ、それは有り得ない。

幾ら希望的な救済を描こうと、それは空虚な夢想でしかない。
そしてもちろん、それは現実として、夫は救えない、そう言う意味だ。

金銭的に言っても、夫が或いは人力発電機で得る収入は、現状を維持するには足りない時。

「もう終わりだね」と、それで良いのか?

漫画じゃないのだ、多分これは。



使用イメージ
https://publicdomainq.net/river-rock-0059886/
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10616251

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