まあちょっと、今か、仮面ライダーのネタを考えると、何か壁なのか否定なのか、その前には居る。
「なんでそんな事をしなければ成らないのか?」それを言い出したら、それは成り立たないのに。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力
「後継者4人の中で、王に成るのは誰だ?」それは違う深刻さと共に
結果についてはともかく、なんか「仮面ライダーガッチャード」スポンサー?的には、要求した帰結には成らなかった…という感じは、する、見てないので何とも。ちょっと思索するにしかし、やっぱり「なんでこんな事をする必要が?」は、そこに深刻な否定感を形成はしている、感。そこにそう居るのなら、せねば成らない事がある、という「使命」それに対しての、深刻な疑問、だ。多分、デザインを担当した人の?意向の問題だろう…そしてそれに対して、同意させる事はまあ難しい状況な訳だ。
良くも悪くも「ニート」かなり高齢の、それの問題は今も、深刻なそれとして残って居る、という事か。
それとも、現場に形成された「仮面ライダーとは」それへの、非現実的な信仰、その帰結、だろうか。
この辺、あえて間違いだろうで語ってしまうが設定だけ聞くと、「錬金術師の後継者として主人公は仮面ライダーの力を受け継いだ」のだが、その先にはしかし、仮面ライダーとしての”答え”が無い。倒すべき敵も解らないし?理由も謎だ。ともかく敵は邪悪なる独裁者である、特別な力を悪用する存在を倒す!それこそが仮面ライダーの。
”それ”は主人公の事じゃないのか?
アプローチが、悪の秘密結社その頭領、その後継者を仮面ライダーにした、みたいな感じで…まあ、その時点で作品には深刻な疑問が出る、それはある。一応?という事ならそれでも、「主人公は様々な戦いの中で、仮面ライダーとしての自覚を持っていく事に成るが。しかし、本当の悪は実は、仮面ライダーの”その”力その物を狙っていたのだ」みたいな感じの中で、主人公の理解と自覚が試される、という帰結はまあ一つあるだろうな、とは思ったのだがしかし。確かに少し考えると、「止めてくれよ」そこに、そう言う声はまあ、ある。
そこに有るのは「ニート」への、親?かの深刻な期待と、そして現実の否定、その軋轢でしかない。
KADOKAWAの創始者、角川春樹氏は…しかし新興宗教?の教祖的な事までしている、という話ではあるのだが。”これ”はそう言う話とその帰結、だろうか。本来?のオーダーなら、自分の立場を脅かす存在か脅威を排除する、べきだが仮面ライダーの信仰はそれを否定した、そう言う絵かもしれない。なんか、主観では仮面ライダーを倒してハッピーエンド、みたいになってしまった感。
ふいに有る同意と、作品としての目的と、親の期待、そう言うのだろうか、それが混沌としている?
ニートが何故ニートになるか?というと、親の要求が根本的に無理だから、ではある。お前は仮面ライダーに成らねば成らないんだ!と言ってもその主観で言えば、”ここ”は悪の秘密結社でしかない。もちろん混沌としている、ともかく不意に、「間違えたのでは」そんな気になって、少し深刻になった。
ネットで邪悪を倒して喜んでいるそれは、逆に”自分らの王”なのだ、その王の願いではあるのだが。
ここは再び、60代の狂気、という言い方には成ってしまう。彼らの抱えた物は結局、或いは日本の王でさえ殺しに行く様な、そんなものに育ってしまっている、という事かもしれない。邪悪な独裁者を倒せば世界は平和に、成るのか?だ。邪悪とは何か、平和とは?その先に失っていく目的と歪んでいく信仰、そう言う話だったりすると、まあちょっと面倒なのかも。
今までと違って?こっちの「損」は無い、しかし。玩具の売り上げが期待出来ない感は残って、選んだ自由に傷つきつつ、その対価を要求されて憤慨している、そんな状況じゃないのか?は、まあかなり面倒な事態という事には成る訳だが。
始め良ければ、それはつまり、だ。
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