笑い話か?と言いたいが、これは結構、現実的な脅威として有る。歳を取った、或いは古くは売春的な行為をしていた人の、その後。帰結と言うか、
「私は昔、身を削る苦労をしてここに居るのだから、あなた方は私の願いをその身を削って叶えなさい」
その論調での、プレッシャー。売春が肯定されてる時の、実際には交換条件なのだろうか?その先で、自由を約束したか、或いは「そう言って騙した」パワーの、その後。蓄積する憤慨はその身の中で歪を強め、今、現場に売春を強要する、自分の快楽?の為の犠牲を。
…と言う状況は、構造的には打開されつつある。結局は、そう言うパワーの集約として古い「皇帝」は有る、が。それは、良くも悪くも「大衆」に、或いは彼女ら自身にか、否定された、”そこ”にはお金が発生しないからだ。新しい皇帝の元なら、お金は発生するのか?それは、今後の様子をちょっと見たいが。以前よりは良い筈だ、”雅”市場も土台にある、それが上手く行くなら?リアルに今後、自己犠牲、売春的行為それは、「あえてする必要が無くなる」のだが。
…が。その時実は、その古い老女らには、”仕事”が無くなるのだ。現場に自己犠牲を強要する「仕事」は、もう必要が無くなる。良くも悪くも、やっぱり”それ”は相応の真剣さが必要なのだろうか。彼女らは、他の事が出来ない。とにかく「自身の様な」犠牲者を出す為に、その能力は備わってしまった。それは今のシステムでは、根本的に必要性が無く。
その時彼女らは、社会から「いらない人」に成ってしまう。結局、その人生で本来必要だったモノは何一つ得る事が出来ずに、だろうか。
それでも状況は、「新しい皇帝」それを仰ぐ方向へと向いている、気はする。老婆らにも切実な現実だ、「お金」が無い。彼らの大切な「皇帝」には才能?が無く、愛情?をつぎ込めばつぎ込むだけ、損失は膨大に拡大する。お金は大事だ、その為に身売りまでしたのに、”それ”はまるでドブに捨てる様に徒労へと費やし、そして更にお金を要求してくる。それは流石にもう、耐え難い。
「この皇帝は、捨てよう」
しかしそれは結局、自身らの必要性の喪失と、そして今までの経過、人生?それに対して「無意味だった」事を或いは自覚せねばならない事態、だ。そして新しい皇帝の先では、自分はもう、何もする事は無い。何よりも「いらない人」その苦痛は、重く、する事の無い暇な時間と自身の無能さは、失望を加速度的に積み上げていく訳だが。動物の様に、自分の好き嫌いでしか考えられない感性は、今の社会には、ちょっとキツイ。何かの動きをすればするだけ、それは自身へ社会的な否定を集めてしまう。
それでもそれは、「大衆」の、決定なのだろうか。
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