あげちうのブロマガ

対価として求める物

”仕事”をする。

その結果。

健康状態が改善した。
世間の風当たりが和らいだ。
失っていた物が見つかった。
壊れていた物を直す事が出来た。
「面白い」漫画やアニメを見つけた。
その作品が駄作である事を知った。
創った創作料理がそこそこ美味しかった。

…利益だろうか。

この時、「お金は一円も発生してない」のだ。


もちろん、外を見れば、そこには悲痛さがある。
病で通院してる、借金が重い、プライベートで不幸が起きてる、等々。
でもそこには、或いは「お金が発生してる」?のだ。

ともかく毎月、生活維持費は消費されて行く。
趣味や食費、着衣にも、お金は必要になる。
上の「利益」では、そこに届かないのだ。
しかし、下の「利益」には何か、対価として過剰さもある。


「利益が得られない事はするべきでは無い」

時、現状では、後者の生活は、多分出来ない。
今の自分の視点では、「今まで通り」じゃないと、お金を得る生活は出来ないのだ。
先人は、そう言う環境の中で、そしてやがてお金と引き換えに、何かを失って行き。
そして、パワーを失い、現状の崩落を招いていても、その状況を打開、出来ない。

無闇やたらと、若いパワーで改善を押す時、前任者に、その憤慨は向く事に成る。

なんでこんな状態のまま放置してるんですか、すぐやればいいじゃないですか。

何時壊れてもおかしくない様な機械をフル稼働させろ、それは無茶な要求だ。
そして結果で前任者が居なくなる時、理想論は、収入先をも失うかもしれない。

携帯電話が安くなった、事は吉事だ。
ただそれは、携帯事業者の利益が、その分減った事をも意味するのだ。

創作がお金の担保となって、社会にお金が増える事で経済は改善する。

「お金」それは、自分の言う様に、”発生”しているのだろうか?

今も尚、それが幻想でしかない夢魔はそこに居る。

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