あげちうのブロマガ

多数決の敗者である勝者

感情論の難しさ、かもしれない。

感覚を信じるなら、現状、「戦争」それは発生していない。主権は”ここ”と言うか、ともかく「大賀さんの決定に従え」そこに移動していて、その「皇帝の弟子」コンビニ業界の長、その意向は、二の次、と言うか敗者の扱いにしかならない。「それはダメだ」と、結果がもう出ている。それに逆らうのは、悪だ。

と言う理解をマクロで見ると、年商50億円程度の会社が、年商1000億円を超える様な大企業に対して、「こちらの要求に従え」そう言ってる光景な訳だが。

お前は何を言ってるんだ。

そこに、埋めがたい何かの断絶はある。
”取引して頂く”レベルの相手を、恫喝してる様な情景だ。

昭和の戦後も、理解は「アメリカの物量に挑むなんて、日本人は何てバカだったんだ」これに、ほぼ統一されていた。大戦末期は全くその通りで、何もかも尽きた日本軍は本土決戦に追い込まれ、原爆の投下により、負けた。「1は2に勝てない」自分より巨大なパワーに勝つ方法は無い。この理解は、嫌がらせをするヤクザを一人殴り倒したら、そいつが組その物を引き連れて報復に来た、と言う話に成る訳だが。割と定番の悪夢は、物量の怖さと言う意味では、昭和の頃は良く機能してしまい…逆に悲劇の引き金にも成った。

それに、もちろんコンビニ業界は染まっている、訳で。

実際のシミュレーション?では、平面的な理解で、6倍を超えるパワーを持つ相手には、どれだけ束に成っても傷一つ付けられない、と言う例は有る。ヘックスシミュレーションでは、周囲を囲める数には限界があるからだ。よくあるが、多数の敵を小さな道に誘い込めば小人数ずつ相手が出来る、それなら負けない、と言うシチュエーションも実際に有って。物量とは、必ずしも絶対兵器に成り得ない。強力な一機が大軍を圧倒してしまう、それは「シミュレーション上は」無いとは言えない。

…勿論、今の現実に、そんな兵器は無いのだけど。実際の戦争に成った時、果たしてその「強力な一機」は、その戦争を勝利で終わる事が出来るのかどうか。それは、実例が存在しないと言う点で、解らない。

…最も有ったとしても、信用されないと言う方向かもしれないが。

ともかくだからここで「勝ったのは私なんです」そう言っても、信用する根拠が無い。

大多数が「は?」と言う状況で、それは事態を打開し得るパワーと言えるのかどうか。

ともかく今?「じゃあ何処に聞けば良いんだ?」それに対して、”ここ”に集中してくるモノは、あるのだけど。「黄昏の狩人」と言う土台を、中華思想の皇帝は利用し、平成を支配したが、やがて「それ貴方の作品じゃないよね?」と言うのが無視出来なくなり、次第にパワーも弱まり、物理的にも損害が発生し、そして「自分の視点では」物理的に消えた。その後、その弟子にしろ、向いてる方向が同じなら、王の権威の敷いた「大賀さん」それを上回るパワーは発生できず、つまり「逆らう限りはそこに損害が発生していく」状況は有り。それは次第に状況を窮乏させていく、のだけど。

それでも今も、”ここ”は、数十カウントしか来客の無い、知名度の殆ど無いブログに過ぎないのだ。

形而上の勝者を名乗る存在は、今もまだ形而下の囚人でしかない。その時、勝者とは誰なのか?脅威とすべきは何なのか、そこに混沌はある。

「売れない」それは一応、形而上の勝者、その味方なのだけど。
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