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あげちうのブロマガ

理屈の勝者と敗者たる暮らし

自身の状況は、悪くなっては居ない。

ただ、出来る事も無い、それはやっぱり感じる。

 

その、「平成の始まりに”紛争解決機構の決定を”無視して、数多の殺害や加害を招いた」そして、”それ”を、紛争解決機構が破綻していたが故に、罪に問えなかった彼らの問題は、相変わらずと言うべきか、深刻さを持って今も有る。

残酷な事をした、のが問題では無い。
「紛争解決機構の決定を無視した」のなら、如何なる些細でも重大なタブーである。

「で?」

しかし、その多くの過失は、ほぼ発覚しないまま…その「過失の重さ」で逆にランク付けされ、階層を形成、ともかく”彼ら”は人間に対して異常とも言える威圧感を見せ、恐怖と言って良い、それと共に、事態を自身らに都合よく歪めてきた、訳だが。

なら?今の多くの問題と、そして膨大というか天文学的負債も、結局は”彼ら”の責任には成る。
彼らは他者を支配する事が出来たが、利益性だけは失っていて、そして”それ”を齎そうとする物には、異常と言って良い否定、「それは存在しない」それがある。

結果、表側は利益性を失い、膨大な借金を重ねる事には成った訳だが。

彼らの理屈、だろうか。

「金を借りてる奴が自身に逆らえないなら、それは単なる財布に過ぎない」

この「通るかそんな物、警察呼ぶぞ」が、”通った”のが彼らではある。警察さえ逆らえない”何か”を背負い、紛争解決機構が止まっていた?結果、彼らはそれを問われず、罪を逃げる事が出来て。そして逆に言えば「たかが借金」ではある、金を返せない程度で死ななければならないか?それで相手を殺すのは悪ではあるまいか。そう言う隙間に、彼らはどんどんと侵入して行って、平成は形成された。

それが今、どうなっているか?ではある。

「紛争解決機構」自分は”大賀さん”と呼ぶ、このイメージでシンボライズされるそれは、今はもう改修され、結構前からもう、復活している、のだ。いや、結論で言えば平成の始まりから、別に構造その物は壊れていない、失ったのは権威性だけだ。「”これ”に逆らったら良い事は無い」社会の信用を失い、世間から不要なゴミとされる、様な。それは今は、今も、無い。

そこに単に、「それが最善である」構造としても問題は無い、庶民のレベルで、それを一応は証明?した、だけではある。問われれば、反論は出来る、否定し得た物、それは今の所は、無い。

大衆は神である。

”それ”が認めれば、それは事実である。

自身の現状が、「問題が無い」と言うそれは果たして、「大賀さん」それが効いていて、それに逆らっていないから?か、ではある。理屈の上ではこの時、”彼ら”の前に有るのは、彼ら自身の犯した過失、でしかない。「大賀さん」を超えた先に有るのは「私は神だ」その断言でしかないが、その時、「全ての責任は神にある」その言葉はその超えた先の存在に集中する。彼らは神に挑み、そして自身を殺して愚者として消えていく、のだ。

理屈としては。

「戦争は良くないから、テレビゲームでやって、それで決着にしよう」

これが現在の最上位、その正義ではある。

それへの視線は、果たして。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im6082909
https://publicdomainq.net/henry-fuseli-0016253/

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