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あげちうのブロマガ

古き理想に負ける

結論と、実感にズレは有る。

最終的には「大賀さん」紛争解決機構、それに逆らえない、のだが。

その前に、「王の権威」と「ユダヤ教の王」昭和の頃は、二人だった”それ”を兼任する一人が居る。

同一人物であれば?昭和の様に、その二人が対立して戦争に発展する、と言う構図は有り得ない。”それ”が大賀さんの決定に逆らわない限りは、昭和のままでも、それは破綻に成らない。

「要するに独裁者が居るんですね」

感情論的にも、それは理解としては妥当かもしれない。


特に創作に関してこの状況で、ほぼ断言してしまう部分はある。

「才能が有る奴」と言うのは、その”王”の意向に従う事に抵抗が無い奴で、無い奴、と言うのは、従う事が出来ない奴の事である。

プロとして続くのは前者で、後者は遠からず意欲が失われる、目的が違うからだ。前者は自身の衝動よりも、「王」その意向を重視する、そして、それを持って「世界に貢献する」世界を護る為に描いている、そう言う理解に成る。

王が「大衆は神である」そう、言い続ける限りは、プロのそれは、正しい。

同人とは、そんなプロに対して至らないか、否定する、そんな人々の層である。そこに利益性は、結論で言えば無い。


ともかく。

「世界を護る為にこれは必要な事だ」

と、王に従う創作を創る、そんな彼らに付いていけない人々、それは多い気はする。多くの人々は、自身の衝動か理解を絵にし、それの肯定的な同意を他者に求めてるに過ぎない。”それ”が世界に取って必要か否か?は、どうでもいいのだ、その上でそれがお金になったら?それは更なる幸運である。その時、王の求める創作は無意味に過剰で、理不尽だ。

”先生”方は、”これ”に対して叱責してきた経緯はある、時には劣等とか無能とか、そう言う言い方さえして来たかもしれない。結果、”その”領域の正論は否定され、それは平成を破壊する様な、そんな流れには成った訳だが。

日に4時間ほど日雇い労働で働いて、月に20万円の給与、そう言う暮らしの何が悪いのか?

結論で言えば、昭和は何かの対立かの末に、”これ”を否定してた訳だ。或いは今も。もしくは、学歴社会、それがその領域を、侮蔑してしまった、その結果だったろうか。

”そこ”に居られなくなった人々は、多く、「その」原因に救いか賠償を求め、”その”領域に入り、結論ではその領域を、大いに破壊してしまった…訳で。

この辺は今も、感情論的には残ってしまっている。

そして独裁者、それも結論では今は、残ってしまった訳で。それを否定する追及は、何故か今も失敗し、過失さえ問われ、過去の栄光を再び引っ張り出す、そんな事態へ。

この時、「大賀さんの決定です」それは言いにくい。

矛盾を抱えたまま、令和は何処へ向かう物か。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im8658259
https://publicdomainq.net/caspar-david-friedrich-0020742/

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