見出し画像

あげちうのブロマガ

滝壺へ向かうプライドと現実

5年前と、自分の主張が変わってない、というのは…それでも希望と見るべきだろうか。

今必要な物は、過去に作ってあるのだ。不足を感じたら、その辺を探せば或いは、呼んでいる。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

流した小舟は、果たして何処へ行ったのか

 

少し、窮乏する感覚はまあ、ある。”普通”かどうかはともかく、娯楽に使えるお金、それは良くて月に1~2万円程度、ではある。さてその時、何か娯楽は?というと、不意に無い。筆頭はPS5が6万円、というそこではある訳だが。ゲームセンターは近くに無いし、もちろん特に今、遊ばねば成らない物も無い…色々。ガンプラも、やたら高くなってしまった。イーグレットツーミニも、やっぱり過去の作品ではあり、現状に必要な?というと、まあちょっと違う。漫画もアニメも、なんかすっかり「小さい」作品しかなくなって、ちょっと、どうでもいい。映画は少し面倒だ、映画館に行くには、かなりの時間を取られるし。それはPCゲームにも言えるだろうか、ダウンロード時間がなんかウザイ…そモそも、steamはwindows8.1への対応を止めてしまったが。

何かの「打開」それが無くなってる?感じは、ちょっと深刻な気もする。

自身の、創る志向のそれもある訳だが。先日のイグザインだとか、EDF勝手ストーリーとか、自分の不足は自分で創れる、みたいな部分は有るのだが目的、状況の改善、それにはやっぱり遠い。「このゲームをクリアすれば事態は打開出来る」少なくともその可能性が作れる!みたいな?その断言は、今は何処を見ても無い、有るのは作者の俺つえーだけ、ではある。”これ”を不意に意識するのは、結局は「独裁創作は売れない」その真理故、だろうか。

自分も結局、やってる事は一緒なのだ。要するに、一人で創ったような物では、役に立たない。

結果、MMD動画とか、ゲーム実況とか?に意識は集中しちゃう訳だが。ただもちろんか、前者に打開が無い、のも割と解ってきてる話で(カウンタ数値が低い、制御されてるか否かはともかく、費用対効果が悪い、のは同じ)、後者の遊んでるゲームにそれが無い、のも当然かの、話。自分の状況か立場は変わった、という話は時々してしまうが。実際には閑職、という感覚の方が強いだろうか、色々理由付けて現場から排除されてるだけ、ではある。

ともかく、”それ”が作った壁の前で今も、「何か」は苛立ちを剣呑に高めている訳だが。

売れるモノ、利益になるモノ=”ここ”が望むもの、ではある。世界がお金を必要とする限りは、それは”ここ”の信仰、その理想へ向けて舵を切る事にはなる…大衆は神である、神は商店街が総じて流行ってる光景こそを望んでいる。それに対して「それでは貴様に支配されている様な物ではないか」とか、そう言う視点が向いていて、世界は逆に舵を切っていって、気づくとナイアガラの滝みたいなのが前方に見える?そんな状況ではある。「そこに乗っている」のだ、感覚は。

その先で、能登半島地震が起きて。滝に落ちて大破した?後に、夢オチみたいにまた、何か別の船に乗っている、感じだろうか。それもやっぱり、あんまり状況は変わってない、感じ。

5年ほど前の、自分の続けていた「ショートサーキット出張動画版」それには、割と求める物、それは描けていた?感じもあるのだが、やっぱりBANされた、と言うのは深刻に重い部分は、ある。

「面白くない」深刻ではある。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事