あげちうのブロマガ

徒然なる逃走ルートの行方

頭の中で認識してる状況と、目の前にある現実にはかなりズレがあって。

目の前の現実を意識してると、ちょっとストレスにしか成らないのは是か非か。


現状、”世界”は、言えば「”雅”市場」、そう言う法に支配されている。「世界統一政府」と言う様な事態であり?この作者は自分で、故に、”その”維持費その他は、このシステム全体から、”それ”が生成する利益の中から提供されている、事には成る。

…それが現状、というその是非ではあって。

つまり「何言ってんの?」と、少なくとも社会的に評価される様な状況じゃない、事だ。ただ?それはそれで、「理由」それはある。システム設計者の責任として、”そこ”に発生し得る問題の対応と、特に「切り捨ては無い」その実証が必要である。その帰結として、システム的な最下層に、その最上位?ともかく責任者を置く事で、”自分の事として”対処して貰い、その打開か改善を願う、訳だ。その上で、現在自分に起きている事態それは最下層、というには相応の余裕さえ有る…それは、好ましい状況でさえ有るのだが。今までの「最下層」と言えば貧困に過剰労働、病気やら喪失やら、それはそれは酷い話のオンパレードだ、それに比べたら、労働時間、労働内容その他、天国でさえ有る。

それはまあ、皮肉としても言い過ぎかもしれないが。

そう言う意味で、システム的には問題無い、のだけども。様々やっぱり襲ってくる?のは「お金が無い」それは重くあり、その上で「お金って、どう創れば良いんです?」それへの、深刻な疑問、それでもある。ゲームや漫画が「売れる」という事態に、不意に疑問があったりする訳だ。”それ”は単なる紙の束だったりメディアでしかなく、その内容も結論で言えば「嘘」だ、虚構。視覚的快楽も、程度物ではある、その先で一体、その一連の「虚構」に、なんで商品価値と言うか、お金と換金し得る”それ”があるのか?

物質として存在してる訳じゃないのだ。

”それ”は、それを言う人がどれだけその作品を「面白い」と実感してても、だ。

実際に「価値がある作品」から、金粉でも放射生成されてれば理解も出来るのだが。売れた作品と、売れなかった作品を比較していれば、その疑念は益々深まるだけかもしれない。そして陥る訳だが。

「認められた作品には、価値がある」

そしてその時、今、その「認められた作品」に価値が無い事が、経済的な問題を招いてる、という結果は重くある訳だが。

現状の”雅”市場、それは、その上で、「売れる」利益になる、という結果を出しては居る…とは思うのだが。”それ”はその、「認める」機関、そう言うのとはほぼ、真逆を向いてる事には成る、訳だ。自身らの「正義」を護らんとしたら、如何に「売れている」としても、それは認められない、訳で。問題が一切無くても、だ。それは道理に反する、としても、そこにある視線は頑なに、自身らの既得権益?と言うかを堅持しようとする。

「テレビ」それの問題、だろうか。

何かの対立は、まだ重く続いている。

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