見てないので解らない。
ただ、「ゾフィ」を切り捨てる必要は有ったか?は、少し疑問だ。
「シン・ウルトラマン」プロットの様な物は、見た。
「禍威獣」が現れる日本で、その騒乱の中、自身を顧みず人々を護らんとし犠牲に成った一人に、ウルトラマンが接触、力を授け現出し、怪獣を倒す。しかし、地球に発生した騒乱の源、怪獣出現地域にはしかし、既に数多の星人が利害を求め巣食っており、それは既に対処のしようも無いほどだった。ウルトラマンらの長、「ゾフィ」はそれらを前に、地球その物の消滅を選択、ゼットンを送り込む。星人らの多くも巻き添えを恐れ逃げ出す中、ウルトラマンは地球の破壊を食い止める為、それとの戦いに挑むも力及ばず…しかし。彼と地球人らとの協力によってゼットンの破壊に成功、地球の消滅は免れた。
ええ・・・(;´Д`)?
ゾフィと言えば、初代ウルトラマンのラストでは、彼を救いに来た存在でさえある。そして「あんまり地球人に介入すべきじゃない」と言う話もしていく、思慮のある存在である、と言うのが基本的な理解な訳だが。過去作に乗っかる上で、それを大事にする、と言うのは大事な要素だが、”そこ”を否定してる、そう言う部分でもあって。
カラータイマーさえ無ければウルトラマンが他の怪獣に後れを取る、様な事は無いんだ、と言う様な、原作の要素も無い訳で…細かく言い出すと、あちこちちぐはぐにさえ成ってしまう。デザインが次第に「無表情で気持ち悪い存在」に成っていくのも、何とも微妙な感覚だ。
…ただ、「庵野秀明」氏が”何処”に居るか?と言う視点で見る時、ウルトラマンもこんなもん、かもしれない。
結局、地球=同人界隈、である。そう見れば?ゾフィの選択も道理、だ。邪や異常者を育てる為に同人界隈を提供してる訳じゃない、しかも赤字が膨らんでいくだけなら、ここは捨ててしまうべきでは。そう言う選択は、ぶっちゃけ言うと、リアリティだ。外の「プロの世界」から来てる人が、その中の”誰か”に協力する結果で、その界隈でウルトラマンと怪獣、或いは邪悪な星人らとの戦いが、損害と共に起こる。プロの人々は同人にあまり関与するべきでは無い、それはよく言われる部分。そう言う視点で見る時、ゾフィが悪役的になっても、それは一つの道理ではある。
考えれば、エヴァンゲリオンが既にそう言うニュアンス、ではある訳で。
一貫した物、と言えば、そう。
結局、自分は同人界隈には入れなかった?ので。それへの理解は、内部のそれでは無く外部的な、或いは客観的な部分でしか実感が沸かない何か、ではある。とは言え、解っている事とは同人の自立=プロ、ではある、或いは商業化。「それじゃない」と言い続ける限り、この界隈は利益性に不足を持ち、何かの保護、支援?それを必要とする、訳だ。
ええ・・・?(;´ω`)誰が・・・?
果たしてその結論を、劇中の様に、現地人らによって打開し得るのか?には、ちょっと疑問の様な物は、ある。その環境で利益を求めるなら、”そこ”から出なければならない、そう言うのが「普通」だろう。そこに留まり続ける為に死力を尽くす、それは表現を負に向ければ何処までも罵倒は出てくる絵ではある。
それでも、その場を護らんとする意識は、その場の人々にしか解らないのだが。