平成は今までずっと、不景気だった。
今の理解で行くと、インターネットは「大きな価値」と言う認識に成らなかった訳だ。
しかし、例えば一億円を超える巨大な価値!を量産したい場合、どうしても、「ストリードの連携」この形式が…必要には成る。その時、最大の問題は、その「自分で考案したアイディアを、自分では創れない」しかもアイディアをそのまま創って貰える訳でもない、そのストレスが、やっぱり創作者には結構苦になる事、だ。
要するに、「あげちうのブロマガ」”これ”を好き勝手に書いていても、「経済的にはあまり貢献が無い」訳だが(-_-;)。
担保的価値がある創作には、高い需要がある。創作が担保的価値を持つなら、その人は無から或いは数千万円とかを「発生」させている事になる、訳だが。現状の理解では”これ”が出来ないと、経済的には…じり貧になる。現状の理解では、ネットカフェか映画館かゲームセンターかその他もろもろ、「コンテンツに依存する商売」が利益性を持つ事で、まあ「合理化の末に不要になる人々」の、職場が確保される事になる、訳だが。
良くも悪くもインターネットは”そこ”さえ合理化しようとした…、そう言うブツで有った事は、間違いも無い訳で。地元でもネットカフェが消えている?のを見ると、いささか不安には、成る。アベノミクスは幻に終わった、不景気の悪夢、再来か。
その理解で行けば?要するに「そう言う合理化傾向には待ったを掛ける必要がある」訳で、VODが商売として失敗した?それは、無理もない訳だ。VODは低画質で良い、あくまでも「お試し」が限度、利益を得ようとするなら、違う方向性を模索した方が社会的に貢献度がある、利益性が有る筈だ、が。
…今までの状況が、何かの方向転換を難しくしている訳で。
「犯人」それは、内部的には解っているのだとは思う。要するに「黄昏の狩人の作者は誰か?」に付いて、その所有権を主張する奴、だ。”ここ”以外にもちろんその作者は居ない。”それ”が、彼らを「王の権威」と認証させていたのだとしたら、彼らはその権利を失う事になるのだが。
「あげちう自身が、誰かから盗んだ可能性は、否定出来ないのではないか?」
とか、籠池氏とか、細川氏とか、最近現れる異常?その辺に通じる反論は何だか常にある。内部的には、細川氏の様に「私はその内部資料を持っている!」とか言い出していて、状況が混沌に成っている可能性も多々あり。インターネットさえ、「黄昏の狩人」それを土台にしていた、としたら、話は世界規模の影響力その行方な訳で。
相手にしたら、兎に角まあ、不幸な、剣呑な結末に至ってくれれば?一発逆転だって可能性は、無いとは言えないのだ。
共犯者も大勢いるのである。自分が失脚したら、道連れ?でどれだけの人々が、その夢だった場所から滑落する事になるか?ともかく生活が成り立たなくなる、それを前にしたら、選択肢は或いは一つしかない訳で。
戦争それは、まだ続いているのだろう、それは間違いなく何故か。自分はあまり、有利な状況とも言い難いのだ。
…正義は、どっちに有るのだろう。