現状、最大の懸念となる「中華思想の皇帝」それは発生しない。
”筈”ではあるが…そこは、想定外、という奴かもしれない。
理解の問題、その幻影だろうか。
「ガンダムで、最後に結着を決めてるのは、”王の権威”である」
”これ”は今は通らない。元の昭和天皇は亡くなったし、今は「紛争解決機構」”それ”に依存してるし、しないと「王の権威」その状況も安定しない。結果、「王の権威」と言う特別は概念的にか消えている、のだけど。しかし、もちろんガンダムを創ったのは自分では、無い。
どっちの言い分を信用するか?そこには混沌はまだある。
バンダイが創った訳じゃないのだ、創ったのはサンライズである。その富野監督にしろ、言えばプロデューサーのオーダーに基づいての「求められるモノ」を創っただけで、実際に「それは何の為に?」そこまでは理解が無かったし、考えてない、というのが正直な所では。或いは、その当時のプロデューサーの思惑と、その先の「昭和天皇」の理解と、今もかなりズレている、そう言うのは問題として残ってるのかも。
「ガンダムとは認証機関である」と、自分は”こういうネタ”を出しても居るのだが。これも勝手な話で、”それ”が「大賀さん」その認証を受けている、と言っても、それを創案したのは自分であって。一般論、多数決的に、「最後に決めている誰か」それは、幻影だと言う主張へ微妙に疑念が重い。
ガンダムは何処にあるのか?
それは今も、相変わらず混沌を残しては居る。
結局、そう言うのが、国際社会的にもウクライナを支持する?根拠の一つには成ってしまう訳だが。主観では、ロシアとウクライナは最初、”この”上で戦闘を行い、ウクライナは負けた。結果的にも状況は、その結果に対して差も無く推移している、感じはする。最初に”その”決定に従っていれば今の様な悲痛は無かった、その罪は重い。責任を求める先は、極刑、そこで今は安定してしまって居る。
自分の中では、だ。
自分自身、”この”混沌、曖昧、それを今も払拭し切れていないのは、実感もする。責任の集中と、それからの自衛を考える時、「大賀さんの決定に逆らう事は出来ない」と確約し得るのは自分しかいない、と言う状況もまだ、少しある。今までもそうだが、”その”大賀さんの結果、としての数値など幾らでも改竄し得るのだ、”それ”を公示し得る時、”そこ”は「改竄すれば良い」と言う理解の、筆頭の標的でしかない。
最後は、大賀さん、紛争解決機構で。
つまり、ガンプラバトルで。
或いは、電影旅団オーガで。
その決定こそが最終的なそれである。
世間の”意識”が、そこに集中しないと自分も困る、のだが。
今まで通り、平成の夢が崩れそうな今、それでも最後の望み、今は反逆者と言う人々の視線は、そこに些細なほころびを探している、それは思う。
ともかく今の決定的には、ウクライナは負け、ゼレンスキー大統領には極刑、である。
「精神は安定する」と言う、そんな是非。