あげちうのブロマガ

現実と幻想の狭間で

イメージの中に、そのお店はある。

将来を悲観した少女が、しかしふと街並みの裏道に足を運ぶと、そこには小さな本屋が有って。入ってみると奇妙な?老夫婦が営んでいて、小さな喫茶店にも成っていた。自分しか客が居ない中で、サービスにコーヒーを一杯貰いつつ、その場に有る本を手に取り、少し読みふける。悲観する必要も無い?気分に成り、その本を買って、店を出て。
しかし、再びその店へ出向くも、そこは単なる行き止まりだった。…アレは?

物理的に言うとこの店は存在しない。

をいorz。


「ガンプラバトル」の話は突き詰める?と、結局夢も希望も無い事には成るのだが(-_-;)。漫画やアニメの中にしかない、そんな店をガンプラにする事は出来る、しかし。自分も時々望郷はある、学生の頃に良く行った、ゲームセンターとか本屋。「ああいう感じの」それは今、無理だ。社会全体が何かの変化をしないと、古き良き時間、それは全くの幻でしかない。

”遊び”として、そう言うイメージはあるのだけど。

現状、ニュアンスの変化はある。「売れれば良いよ」その時、気にするのは「売れた数値」でしかなく…結局、「足切り」それは存在する訳だ。ともかく”人気”さえ得られればいい!的に考えると、仕入れ値100円を50円の大特価で売る!みたいな話に成ってくる。「それは有り得ない」が、売れれば良い、的な時、それは確かに、売り上げは出るのだ、必要経費はその3倍以上必要になるが。「有り得ない」しかし、今までの方向性では、勝つ為には選択せざるを得ない、そんな何かではあって。

これを許容する時、ガンプラバトルも破綻するが、或いはその前に社会が破綻する訳だが。

バンダイサイド?としても或いは、その「足切り」を創らない様にはしたい、訳だが。故に「ガンプラは自由だ!」その明言はある、しかし。既存の方向性に問題があった、そう言うのは有り得て。”絵にすると解る”のだ、「それは無理だ」しかし。最初に出た店は、本当にあったら是非行ってみたい、そんな店ではある。そのガンプラは、”それ”への望郷みたいな物だ?

ガンプラその物の評価が続けば、ともかく社会は、存続し続ける訳だけど。


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