格言が一つ。
「面白く無かったら遊ばなきゃ良いだろ?」
商業的ゲームとしては、客が「だから遊ばない」お金を入れないその時点で”負け”だ。負けた腹いせ的にゲームデザインに文句を言う、その感覚は…間違いではあり。
勿論?”やたら遊んで利用してるくせに”利用料を払わない、「それ」は万引きであり、犯罪だが。
PUBGは、面白いか面白くないか?と言うと、やたらとハードパワーにお金を喰う!?時点で、ぶっちゃけ面白くないんじゃないか?それは、言えない事も、無い。現実はここに有る、ハードの(戦力の)差は重要なファクターでありそしてそれを齎すのは「お金」だ。戦争に勝とう!としたら、一にも二にもまずお金、それは確かに歴史的な事実ではあって。
…問題は、一部に「お金を稼ぐ方法が無くなってる」だけだ(ノД`)・゜・。。
「それはゲームの責任なのか?」
幸い、と言うか。今「面白い」流行ってる評価のゲームは、その辺で断言はする。「無理して遊ぶ必要は無いから」辞めても、特に否定的な感覚は、無い。「遊びたいけど金が無い!」それだけだ。それまでに流行ってるゲーム、と言うと止めると罪悪人みたいな強制力?が何処かに発生してて、そのくせ面白くない?一部が冷遇され過ぎ!的な、非常に窮屈でつまらない感覚が我慢し難かったが。それでもPUBGは明確に「足りないモノ」が解るだけ、まだマシではある。ゲームがユーザーに求めているのは「遊びたければ何処かからお金稼いで来い」それではあるが。それが不足しているのは、社会システムと言う巨大なゲームの不備ではあろうか。
「面白く無かったら遊ばなきゃいいだろ?」
ニート増え過ぎだよな(-_-;)。
ともかく?「お金」は、”現実”からしか発生しない。現実を相手に何とか、内需拡大、「お金を生成する」必要があって。それはどうなれば発生するのか?そこには明確なゲームデザインがある、が。キーワードは「働け」それではあり。当り前ではある、楽しんだら、減る。減った分は増やさねばならない。その為に必要な手続きがあり?”それ”を生成し続けないと楽しめないし、そもそも、死ぬ。”現実”が要求する「仕事」さえしていれば何ともなる、はずだ。ただ、確かにこれは…修行僧の荒行には近い。
その思想は本当に、現実とのシンクロが有り、利益性があるのか?
信じるに足るモノであれば?命を掛けられる筈だな?
密教的な、様々な荒行を乗り越えるそう言う事には…意味は大きいのだろう。その教義を信じていれば出来る筈である、だから。「出来た」それは教義に関する”現実”のお墨付きを得た、そう言う意味として重い。
「大衆は神である」
いやしかし。