極論だ、とは思いたい。
「Windowsを使う人って全員、ビルゲイツの愛人なんでしょ?」
この時、この人はWindowsはもう使えない。
こう言うノリは、些細な話から幾らでも発生する。しかし結果、例えばWindowsを使わないと今後は生活出来ない、と言う様な状況が発生する時?”この”人はもう、生活圏を失う、訳だ。「バカバカしい」と言えない様な、そう言う物は、平成の間には形成されてしまった。
「黄昏の狩人」は、盗まれて、インターネットの土台になってしまったのだ。
もちろん、その作者には”それ”は伝えてない。そして”それ”と共にそこに発生するだろう責任の重さ、それにより作者がどうなるか?それももちろん、理解しつつも考慮してない。
って言うか、まずその作者が居ると言う事が、”彼ら”にとっては大いなる脅威だ。
最早タブーでさえ有る、”ここ”は存在してはいけないモノだ、忌避せねばならない。
インターネット、この理想の世界を守る為には!それは世界的な脅威である。
…全く、今の新型コロナウイルスの如くに、だ。
”こういうパワー”が、そして”そこ”に付和雷同して行った「前にいる人々」が、しかし今、その「Windowsを使えない病」と言う感じで発生してる…訳で。
相手側の、或いは「テレビを前にした土下座謝罪」で、こういう不明瞭な呪い、それは解けるのかどうか。道理的には完全に、相手側の過失ではあり、”それ”がストリードの連携、それに対応出来ず、結果で利益性を大きく損ない破産しそう、とか言う状況でも。それは自己責任には成る訳だが。
「バカですねぇ」で切り捨てられない、そう言うパワーもまた、無視出来ないモノ、としてはある。
そう言うのをひっくるめて、今の新型コロナウイルスの脅威、それは存在するのかもしれない。
収まる頃には、”これ”もまた、何かの贖罪が済んだ、そう言う状態になれば良いが。