あげちうのブロマガ

「昔は良かった」と言う暴君達

問題は無い。

ただ、不満は或いは有る。

自分は失敗したが、相手は成功したのだ。
その狭間に有る物は、時々無視出来ないモノとして脅威には成っていく。

例え一人の不満で有ろうと、だ。


時代の問題ではあるし、状況の感覚でもある。
”昔”は、少数派の意見は、「我慢しろ」で押し流してきた。
”今”は、それが出来なくなった、切り捨てになってしまうから、だ。

自分は多分、前者による利益、それをほぼ受けてない。「我慢する側だったから」だ。
だから、今の状況はむしろ改善でしか無く、「我慢しろ」それは、至極当然の話でしかない。

流石に生活、或いは命の危険に至るまで我慢しろ、は通らないだけだ。
そして、逆に”昔”は、そこを我慢?させて、殺してしまっていた。

”昔”の多くは、意識せずか、「かなりの負債を抱えている」訳だ。

今の理解では、こういう負債を抱えた所に「成功」それは無い。人が死んでたりしたらもう「絶対ダメ」だ。道理、物理的な結果、”それ”で見る分には、この辺は殆ど問題は無い、因果の結果でしかない。無理が通っても道理は引っ込まないのだ、それは反動、或いは欠落として、病、或いは類するモノとして、自然とそこに出てくる。

それでも、”そこ”に不満はある。
新型コロナウイルスの猛威が止まらない、その理由みたいな物かもしれない。年寄りが重症化するのも、やっぱり結構合致してしまう、彼らは今の”改善”に不満が有る。昔の様に自由が亡くなった、何でもかんでも!

良くも悪くも、「そう言う人々」が、あのダイヤモンドプリンセス号には、多く乗船していた、とは思う。

中国では、1%以下の富裕層が、90%を超える貧困層から富を吸い上げる構図でここまで来たが。この流行は、そして”それ”の御相伴を賜っていた”あらゆる全て”が、それに対して大きな負債を要求されている…そう言う事かもしれない。

冬休みまで、まだ少し時間はある。


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