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あげちうのブロマガ

コンソメを使って怒られる時

個人の視野範囲の「理解」はしかし、世界の王に成ろうとそこにある景色ではある訳で。

その時、「不足が有る」現実を人はでも、何の問題も無く回避はしている、のだが。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

一応「え?白菜ないから買ってきたの、ダメ?」的な絵だと思えば使える(・・・)。

 

なんで王になると出来ないか?的な、それはちょっとした命題ではある。

要するに、「貴方は自分の家を、”自分で”材木から切り出して作ったんですか?」では、ある。普通の家庭、夫婦が家主に成る家庭、夫はサラリーマン、妻は専業主婦、であるとして。夫にしろ仕事が出来る、としても家までは建てられないし、もちろん妻もそうだ。家庭の範囲であっても実は「家主には出来ない部分」と言うのが存在し、しかし。”普通”はそれは、外部の工務店やスーパーマーケット等に依存している、訳で。この視点はしかし、最終的には実は国の王にも適用される、のに。国の王は”この状態で”何故か、それらを「全て」自力で何とかする、事を要求されている…そんな現実はまあ、ある。

それは無理だ。

そして?そうである限り、不景気?などの原理も実際は”ここ”にある、気が不意にした。

「個性がある限り、限度もある」現実は、何故かか無視されてきた感はまあ、ある。「国」の領域は正直今まで、社会性を持ってなかった、可能性がどうも結構、ある。”普通”は続く、不足分は隣の家に依存するとかしていた、訳だがしかし。簡単に協力が要求できない家庭はどうするのか?だ。”普通”は、彼らにしろ働いた対価を持って街に買い物に行く、訳だけど。「国」の領域に、その「街」が無かった?気が少し、した。

国の元首としても、出来る範囲が有る、訳で。

出来ない範囲、関心が向かないけど必要な部分は元来、外部に依存しなければ成らない、訳で。

「自分の興味か熱意が向かない部分を、誰か担当してくれないか?お金は払う」と言う…”国”の領域で、それは何処?ではある。

自身の住む「長野県中野市」の例、というか。ともかくこの市は基本、農業が主要産業ではある。故に、市の行政も基本、農業を政策の中心にしていてしかし。逆に言えばそれ以外は、彼らの興味の外、になる訳だ。今は、良くも悪くも行政は領域の主要のみしか注力できない、人間の視野範囲の限度、その問題だ。つまり、以前に提案した「なかの凱旋門」それの是非を聞いても返答は「解らない」それ一択、ではある。

興味のない部分は、誰かやってくれないか?を、国が何故言っちゃいけないか、ではある訳で。

「興味のない部分は、民間に任せれば?」が、不意に一つの意識的突破口にはなった、気はする。中野市は、農業に関しては国の管轄で行われる、が。それ以外の産業に関しては法に違反してない限りは民間に委託されており、決定権は彼らに有り、国に責任は無い。という事を言えれば、感覚は大分軽くは成る訳だ。「なかの凱旋門、ダメなん?」行政は言う「それは民間の方に聞いてくれ」ウチはしらん。

ただ、問題はその「民間」それは何か?では、有る訳で。

行政に、ほぼ準ずる様な組織?体系、という事には成る訳だ。国の半分を、”彼ら”が興味を持てない部分を、国の法律下で、国に代わって管轄か補う、そんな組織。これが今にしろ「無い」と言うのは、少し、考える部分では、ある。家がボロボロに成ってきても、家主は農業にしか熱意がなく、家の補修に関しては技術も無いから補修できない?それは、馬鹿な絵ではあって。

一応、提案では「紛争解決機構」それを、それから繋がる領域を、この場合はその組織に充てたい、が。

・・・それは、しかし国の領域では、どんな絵に成るのだろう?

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