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あげちうのブロマガ

成功者が悪魔と描かれる先の分岐

ともかく「人間の力が及ばない事」と言うのはある、無理は無理なのだ、が。

それでもどうにかせねば!という願いの先に、「反逆者」神への抵抗それは、発生する。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「あなた、私の言う事に逆らうつもり?」良くあるシーンではあるが、実際は物理だったら。

 

「売れなかった物」を、「売れた事にしてくれ」と言うそれもまた、実際には「無理」の一つ、だろうか。その先に有るのは何かの失望と、そして喪失でしかなく。”それ”に対して何か、の行為も結果的には徒労に終わる、それが物理と言えば、そう。その先には”あなた”への対価がある、というそこに実際には無理がある、それはまあ、そう言う物ではあるのだろうか。

「面白い」以上の対価を創作に求めるのは、まあ無理がある訳だが。

歳を取るとか、「判断を間違えた」それは、深刻な失望と恐慌を呼ぶものではある。

「他者を自殺に追い込んだ人が、その先で成功者になるにはどうすれば良いですか?」成功者、という意味の問題でもある、”普通”の理解では、そんな事を他者に聞ける時点で十二分な成功者というポジションだったりする、それは「それ以上」過剰でさえある結果の欲求による。そしてまた、その「過失」或いは加害もまた、その「それ以上」を求める先の結果でしかない、そこには深刻な穴が開いている。

そう言えば、「ゼビウス」と言うゲームも確か、「プレイヤー自身が起こした喪失分の補填を、獲得したスコアという形で得れる」と言う事を言っていた、気はする。一種の免罪符である、”多少”のそれはある種の社会貢献をする結果で賠償し得る。というしかしそれは、例えば「他人の愛犬を毒殺したんですが」的な過失には不足が発生する…取り返しようがない。そして、その無意味にすがろうとするのは、大概はそう言う人々、ではあって。

まあ、客層にしろ、絶対的に数が足らない、気はするし、そしてその補填も不可能なのに、それを「出来る」と言っちゃった、その先に何かの深刻は発生していく事には成る、訳だが。

やっぱり、「ダークソウル3」その、プレイヤーがキャラクタを助けた、後に有る(筈の)「キャラクタがプレイヤーを助ける」と言う”それ”は、ちょっと無理がある、かなりの不足が発生し、そしてその内容は最終的には略奪の様な話でしかない、そう言う事、だろうか。

かなり多くの人々にとってこのゲームが「面白い」と言う評価には、どうにも成らない、感じはするのだが。

「ゼビウスライク」として、「TATUJIN」とか「レイフォース」それは該当するか?ではある。「これではダメだ、こうすれば」その、改定案に過ぎない、のではあるまいか。奇妙に権威?の様な物だけ背負っているが、実際にはどうにも面白くない、そんなゲームでしかない、のかも。嘘を付く、のも神への反逆ではあり。「面白くない」それは、真摯に言い切る方が、まあ何となくダメージは少ない…そんな気分には成る。

意図も、目的も。特にゲームは、か。それらが曖昧なままでは、ある。

個人的な自慰行為に近い話でしか無いモノでお金を盗ろう、それはまあ無理も出る、その方が真実っぽい。

「ダークソウル3は駄作だ、面白くない」これを言い続けた方が、神からの利益は得られる、だろうか。

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