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あげちうのブロマガ

自殺した独裁者の是非について

兎も角関係者にとって「相手は自殺してしまった」と言うのは深刻さもあるのだが。

夢を追った先でそれが叶わず、失望して死んでしまった時。それは誰の責任か。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

関係あるのか無いのか、昨日見た夢?の、そんな

 

「セクシー田中さん」で、ドラマ化の際に原作者の芦原氏が自殺してしまった、という事件は、日本テレビ側からの「調査報告書」の提示という事態には成った、が。特に新たな実態が判明した、訳ではなく…「原作者さえ関わった映像作品を発表した後、作者が自殺してしまった」と言う事態その物は変わっていない、様ではある。

なんで自殺したの?

流石にそこまでは、報告書は踏み込めないし。新たな事実が提示された訳ではないなら、状況の認識も変わる事は無い、のだった。

深刻なのは、”世間”という認識の範囲が、ほぼ相変わらずか「映像制作側が悪い」芦原氏の意向を十二分に再現していなかった!事に終始している事、ではある。自分の立ち位置というか思想と言うか、それは「商業創作は個人の所有物ではない」的なそれではあるので。芦原氏の独裁を許した結果の悲劇、という把握しか出来ないのだが…”世間”とは、大分乖離はあるな、それは思う。

一応、”ここ”の把握している理解では、「原作側の”独裁性”は、視聴者の作品への否定感を強める、時には剣呑さ、へも膨らむ事があるので。原作者は安全を鑑みて映像制作などの現場には参加しない様に」ではある、訳だが。報告書的には、そう言う理解には成っていない様、ではある。今まで通り、それは堅持したい、そこは或いは深刻な問題。

自分のこの理解が「大賀さん」紛争解決機構の決定と等しいモノだった、場合。日本テレビ側は?「紛争解決機構の決定に逆らう」事にはなる、訳だ。個人的にはロシアとウクライナの戦争、その始まりでさえある。そして?平成の諸問題の多くはその反逆によって齎された、という理解もまあある。

自分もあんまり強くは言えない。「その決定が、”神”のそれだと言うのか?」実際にガンプラバトルでもした訳じゃないのだ、紛争解決機構としては原初的な単純なルール、「それは人々の為になる事か?」を議題にしての、反論が消える迄の思索、その結果に過ぎない。世間一般の理解か感覚は、ダークソウル3ではある、眼前に敵が現れる限りは倒す!衝動こそ正しい。個人的な把握では、”その”風潮、正義に対して挑んだ芦原氏は、その前にある壁を前に自殺と言う最悪の結末に至った、訳だが。脚本家の意向はかなり否定されていた、芦原氏はかなりの独裁を許されていた、のだが。その結果で芦原氏は何故、自殺する事に成ったのか?

現場的にはもちろん納得いかないだろう、芦原氏はヘタすれば現場をかき回しただけの、いい迷惑でしかない。日本テレビ側の対応は果たして?ではある。ともかく日本テレビ側は否定しないし、再発防止策も検討しない、らしい。なんというか「独裁への渇望」そう言う物でさえある様な、王を創る、それへの執着の様な。そんな気もする。もっとマクロな意向、その帰結。

不意に、「もっと面白いガンダムを!」みたいな衝動?要求、それに対して「今のガンダムに何が不足してるんです?」と言う制作側のその疑問への、相手の返答それが「”世間を支配するようなモノ”でありつつ、それを自分の自由に制御出来るモノで無ければ成らない!」と言う、そんな論争…が浮かんで。何処からのかはわからないが、そう言うのが制作側には割と深刻な脅威?としてある、そう言う事も考えはした。

なんだか、要求されると考えてしまう、そう言うのがある。

現場的にも、「ガンダムは完璧だ!」とは言えない。何処か何か不足があって、その先が有る、それは何?そんな追及は、衝動的にも残っては居る。そこに巣くった悪意だろうか、ともかく世間は想像以上に、「反逆者」それに影響を受けている、感じ。

何処が始まりなのか、ではある。

ともかく世界それは今も、「大賀さん」紛争解決機構での決着には、不満があり否定している。

そしてそれが「今まで通り」ではある。

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