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あげちうのブロマガ

性的弱者と言う隠れ蓑

可能性として、倫理上の面倒?が一つ想定される。

そこに居る女性は、本当に女性なのか?が、今は曖昧な部分がある。

何が面倒か?と言うと、今の倫理観、と言うかで考える時、大概は「女性には責任を問えない」という事例が多数発生する、事だ。個人の範囲でしかない場合はともかく、それが企業に損害を与えたとか、誰か犠牲者が出たとか、そう言う社会的な問題に繋がってくる時?女性はそこに責任が無い?場合が多い。

というか、今の所「女性の責任である」その具体例が、無い。大概は夫に比する男性の影響、という面が強い。或いは社会的な正義、その極論化がその女性を暴走させた、と言う帰結に成る。マーチンゲール法は正しいんだ!と言う存在の影響を受けて、賭け続けた女性が会社に重い損害を齎した時、悪いのは何か?ではある。

自分は貴方に逆らえない、貴方がそれを正しいと言った事を、私はやっただけだ。

この論調の是非ではあるが確かに、今の倫理ではその時悪いのは、”それ”を相手に強要した側なのである。

「魔女」と呼ばれる女性らにしろ、恋した相手と結ばれなかったとか、”そう言う理由”で暴走していく場合が殆どで、その辺が満たされる?と、その女性の暴走は、止まったりする。加害までしてない、単に不評と共に重い借金を創っただけ、みたいなそれは、罪に問えない、男性は時に死ぬまで責任の対価を支払わされるが、女性は意外と、反省?で終わってしまう。

理不尽と言えば、理不尽。

この狭間に現在、「女性だと名乗る男性」が居る、可能性がかなりある、訳だ。LGBTを過剰に許容させよう、そう言う流れにもどうも通じてくる。現在の規約上、プライバシーの侵害は出来ない、「私は女性です」と相手が言うなら”それ”を信じるしかなく、何かの過失でも起こさない限りは、その相手は女性として判断される、のだが。

その時、不思議に原因は、「その人にしかない」のだ。

”その女性を”罰する、と言う事が、奇妙に難しくなっている。

迂闊に男女同権、とか言い出すと?”物理的に”弱い立場である女性に、男性側が過剰な責任を背負わせて破綻させる場合が多発する…のは明白ではある。「売春婦」を否定する、のなら。”ここ”は男女同権と言う訳には行かないのだが。相手の「実際の性別」を暴露せんとするのは、プライバシーの侵害であり犯罪行為だ、それは出来ない、が。

その時、”そこ”に居る自称「女性」は、何かの特権の様な状態に為っていく?

自分で「元は男性ですが今は女性です」と言っているなら、その限りでは無い、やっぱりそこは、「最終的には男性として責任を問われる」し、問えるのだが。この場合は女性なのに他に外因が無い、という奇妙があって、ちょっと混乱していく。しかし、それは犯罪だろうか?それは確かに違うのだ。

「邪である」のは、間違いない。

ただ、人の倫理では、微妙に罰し難い。

幸いか、或いは懸念か、その存在はそのまま、「大賀さん」その決定へ反発する様には、成る。何かの権力か、その中枢で、大賀さんへの反逆するモノに為っていく、感じだが。自分の理解では、「大賀さんの決定に逆らったら最終的には死にます」が、この場合はどうなるのか?それは、ちょっと解らない。

何かの面倒もある、それは「女性を演じているだけ」だが、その演じている女性は実在して、不幸に死んだ存在かもしれないのだ。その女性の無念が、実際は”そこ”に憑りついている、のかも。

その人は、何を目指しているのか。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10805015
https://publicdomainq.net/victor-gabriel-gilbert-0056426/

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