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あげちうのブロマガ

比喩と言う異世界を彷徨う

感情論は、漫画的な因果応報…それを要求してしまう、悪は滅びた、という。

しかし今のか、ともかく実際には、漫画の様な事は起きない、或いはもっと想像を超える。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

馴染の無い景色の中を歩く、という不安と奇妙

 

前に書いた?「150人の船」の話が少し、個人的に剣呑に深刻、ではある。もちろん比喩の世界だ、シチュエーション的にはリアリティは無い…のはしかし、逆効果、自分にとって都合のいい状況?それを想定して善悪を決めて憤っている、自覚もする。結果、出来るなら「帰ってきた船の上陸は断乎、阻止する」感情論はそんな選択を是としてしまう。

この「帰ってきた」と言う認識その物が正確ではない、気もしないでもない。ともかくその船は、厄災に見舞われたかの島の住人50人は見殺しにして、150人だけ乗せて出港してしまった。残された50人はその島でサバイバルを続けて何とか生活を維持し得る状況まで再建した、しかし船の”彼ら”はそこへ帰ってきた、のだ。

「就職氷河期世代」それの、視点の一面ではある。現状の、特に創作での利益性それは、この「見捨てられた島」にしか、無い。船の側には無いのだ。船は燃料も食料も心もとなく、そして放浪の末に島に戻るしか無くなった、という状況で。イメージはそんな状況を考えている、が。しかし実際には、船も島も、同じ目の前にはある訳で。

ともかく今も、船側は、公式的には見捨てた島側の流儀?そう言うのには同調できないし、しない。或いは「させない」と言う島側の感情論のなせる業、かもしれない。この強烈な?否定感は…先日のクラウド封鎖の憤り、だろうか。或いは文部科学省かの方向性、それによるブロックは残る、訳だが。そう言う意味では何故か、自分は船側の独房かに居る、のだ。そして、その中では最下層ではある。

主観の世界は、何時も剣呑を孕んでいる、のだが。

ともかく自分が島側にいる、なら。そもそも150人乗せて出港した船は途中で沈没する、のがまあ正しい。そう言う意味で少なくとも「失敗した」と言う断乎とした断定、そう言うのはまあ現実的には欲しい感じ、だろうか。その視点では「帰ってきた」と言う時点で既にそうなのだが。比喩の世界だ、現実的な憤り、そう言うのを解消させるモノではどうもない。何かの煮え切らない憤りを、余計にか刺激した、そう言う状況かもしれず。

「やらない」のではなく「出来ない」と言うのは、その人にしか解らない何かではあり。割と深刻な問題の起点ではある。利益を上げられない、という人々とは、そんな「逃げた150人の船」その住人であり…島に上陸拒否をされている、そう言う事、それには成るのだろうか。彼らに対して「なんで売れる様に創らないんだ?」はほぼ禁句、だ。彼らは深刻な過失を犯した、戻る為には、相応の”何か”をする必要がある。

…そういう事、だろうか。

溜飲の下げ方は、まあ色々である。ともかく視点では150人の住人の中にはいろいろな理由がある、その中に自分も居て、船の沈没は自身の破綻をも実は意味する?そんな事態かも知れない。船に乗っている限りは、「自分は島側の人間だ!」と言っても通らない、のかも。ともかく結果、150人の船はまだ、沈没まではしていない、のかもしれないが。

「島を見捨てた」その過失ある150人は、果たして。

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