分岐の様なモノ、だろうか。
貴方は”先生”に従いますか、”神”に従いますか?
前者は、それを神と呼び始める訳だが、後者はやがては、先生を裏切る事には成る。裏切ると言うか、先生が神に反しているなら、神の意向を満たす為には、先生でも倒さねばならない、それが神を信仰する、その時の「正義」ではあり。
「正義は勝つ」か?ではある。
ふいにちょっと、ロボットデザインのラフなんかをして見たりする。以前に「境界戦機」に対してかなり低い査定をしてる、その先の話だ、また「代案なく批判しない」それは、クリエイターなら矜持ではあろうか、ともかく。そんな感じで、「では?」の先に、ちょっと考えるのが、こういう。
「トライリビティ」
「どういう意図ですか?」を、確かに、何となく、言うのは憚られはする。見て解らないならそこまでのモノです、とかそう言うのは、ただ今までの経緯を見てるとあまり良い結果には成らない、それは間違いも無いが。
アートスケール
主題 正義と言う可能性
情景 戦闘ロボット
描写 アニメ準拠
注意 工業生産的
主張 神さえそこに居れば別モノ
矛盾 危険なのでは>施政者の態度次第でしょう
という方向での、これは表現されてるか否か。
「デザイン」を調べると、基本的には”鉛筆画のそれ”を言うらしい。「その先で幾らでも加筆修正される」そう言う物、の事だと言う話、そこは自分的には納得も有る。ロボットモノなんか顕著だが、その先でそれはあらゆる方向、あらゆるシチュエーションで描かれる事に成る訳だ…その際に、それは如何に「動く」か、そこは問われる。
故に、デザインの時点で「出荷状態である」必要は、無い、と言う点では、この位でも十分、とは思う。結局は、”これ”を第三者が創った時にどうなるか?デザインとはその方が重要なモノ、だろうか。
とか、色々語るがまあ、「境界戦機」に求める物、としては、自分的にはこういうベクトルでは、ある。何が悪かったか?と言う点で、果たしてオーダーが有ってデザインがあるのか、デザインがあって始まったのか?で、結構理由は異なるだろう。何となく、「オーダーが悪い」何故ストリードを使わなかった、と言う様な、それは少し考える所。
ともかく現状からの「期待する物語」と言うそれは、でも「テロリズムの成功」みたいなノリはまあ、ある。それに対して是非を問う、その時、評価値は随分変わっては来る。
今の施政者が、そう言うのを許容するのか。
ともかく「大衆は神である」なら、横暴な独裁者それは如何なる優位からだろうとひっくり返されるモノ、と言うのが道理なのだけど。
まあ、そう言う事を言うから。
使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10844833
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