要するに「ゲームシステムに是非は問えない」のだが。
特にアーケードゲームを、「売春婦の代わり」と言うニュアンスで見る時。「ゲームシステムって何?」そこに、実は少し混沌が有る。
「良いゲームシステム」とは?
…実際にはそう言うのは、無い。あくまでも”そこ”に載せるステージ等々のデータに依存する、システムとの融合が上手く行ってるか否かで有り、システムの是非に拘るのは愚かだ、と言うのが今の結論だが。
良くも悪くも方向性は、有る。「理想的な売春婦」としては、まず「ヌードモデルとしてグレードの高いボディ」は、求められる、ここからまず始まる。
「…それ以外は?」
<iframe width="312" height="176" src="http://ext.seiga.nicovideo.jp/thumb/im6692525" scrolling="no" style="border:solid 1px #888;" frameborder="0"></iframe>
良し悪しを、”これ”で判断して良いのだろうか?ガンダムと言う認証機関ではテレビゲームそれは、「顔を隠したヘルメット姿のほぼ全裸美女」特にパンツを履いてないのが重要、と言うちょっと(*´・ω・`*)な絵になる訳で、「だから」ゲームは、特に日本では、あまり評価対象に成らないし?奇妙に今は定型化…して、そしてゲーム性の薄い感じが主流になった。”評価”認証出来る絵にする結果、恥ずかしい部分は隠してしまうから。特に「パンツを履かせてしまうと、始まりから終わりまでに規定が出来るから」、自由度が失われる(良くも悪くも自由度が高いほど、”生身”のニュアンスが出てくる)。同人誌は、製本するまでが定型。ゲームは?クリアするまでが定型?古いアーケードゲームでそれを要求されたらどれだけお金をつぎ込まねばならないか…或いは、不可能に挑む事に。「何処で止めても”良い”」からこそ、そこには自由があるのだ、じゃないとクリエイティブじゃない!が。
…それは、萌え美少女のパンツの有無について。
普通の人々が語るべき題材じゃない、と言う理解は実際にはまず”ここ”からは来る。その「あまり倫理的に評価できない」領域での是非、それから言って、しかし”テレビゲームとは売春婦の代わりである”この条件は外せず、すると要するに、「スタイルの良い女性ら」から、一番良いのを選ぶ、と言うニュアンスになる訳で。
ここで、良くも悪くも混沌は発生してしまう、事に。
ユーザーによっても製作者によっても、「好きな女性像」それは様々である。その中から一番良い女性像とは何か?と言う衝突が発生する時、結論的には「良い女ならどれでも良いじゃないか」なんだが、良いゲームとは!そのプレッシャー同士が衝突する時、そこには一夫一婦論が介入し、社会倫理を賭けた終わりのない戦争へと発展してしまう訳だが。
現場の声を無視されて、上の言う通りに創らされて。今までどれだけの駄作が出来たのだろう?そう言う時、ゲームシステムに関しての良し悪しにも、我慢出来ないプレッシャー、現場側の”そう言うの”は発生してしまう。ここは是非とも真理沙押しでは、いやアリスだろう、霊夢はいらない子?とか。最終的には、ディレクターの趣味でしかないのだ、”その時は”その女性像が良いと思った。がしかし?今受けているのは真理沙でありアリスでは無いうんぬん。
激しくどうでも良い論戦の結果、「この話は無かった事に」それは、切ない。
眼を隠した、機械仕掛けの娼婦。だから認証内容としては、それは問題も無いのだが。