自分は思想的には、一夫多妻を否定しにくい状況にはある。
現状としても、何だか悪夢が常にある、ヘタな無理をする時、何処の誰を切るか解らない様な…そんな悪夢。その辺、”全て”が「中華思想の皇帝」による妨害としてもあって。向こうは例えば100人の中の1人を抑える事が出来れば、「こっち」の全てを止められるのである。それらはその被害、弱み?の様な物として微妙に残っていて…しかし。
世間を支配しているのは一夫一婦である。その防壁突破は、現状はちょっと、無理は有る。
問題は、”それ”が信じた?「中華思想の皇帝」は結論で偽者…であり昭和天皇と同じ「王の権威」を持っておらず、その結果、それを土台にした挑戦その他はインターネットも含め「全て」利益性を持てない、と言う現状がどうもある事だ。金銭的な窮地は現実であり、何とか利益、お金!それを用意せねばならないのだが、「それが無い」状況。相手は苦境である、それは多分、間違いも無いが。
とは言っても、一夫一婦が一夫多妻論を認める事は、難しいのだ。
その辺で良くも悪くも、”それ”が、死活問題になる、「”こっち”に逆らったら死ぬ」その位の危機感を持たないと、或いは「安全」は得られないのではあるまいか?そんな風にも、思う訳だが。
何だか、チキンレースだ。無理をして「稀勢の里」の様な、横綱に成ったは良いが休場続き?それはちょっと、問題もある訳で。しかし、壁に成ってる一夫一婦の暴走に近い物はあの、最近テレビを賑わした「違うだろー?!」とかの、ああいうイメージとして有って。お金の問題だけで、アレは止まるのだろうか?これは、中華思想の皇帝、その野心の問題、でも無いのだ。責任は「全て」皇帝の側にあっても、「大衆は神である」彼らがそれに同意している訳でもなく、或いは曲解の果てかもしれず。がしかし。
「かむろぎ」そう言う名の?恐らくは”流通”が何処かに有る、筈なのだが。
”それ”に対して半分の帯域を認めろ、それは今、そう言う要求の様な話ではあり。
神のみぞ知る、だ(-_-;)。