goo blog サービス終了のお知らせ 

エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「やりすぎ」は禁物

2015-10-16 07:17:59 | エリクソンの発達臨床心理

 

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第3章、「心理社会的発達の主たる舞台」、面白かったですね。当たり前のことですけれども、私どもひとりびとりは、社会の仕組みと深く結びついていることがハッキリ分かりましたよね。

 今日からThe lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p83です。

 

 

 

 

 

    自我の防衛と社会適応

 

 アンナ・フロイトは、『自我と防衛体制』(1936, p.5)の中で、「自我は、特定の問題に対して独占的に対処します。すなわち、自我は、好ましからざることやら不安やらを、何とかして取っ払うものですし、衝動的な行動や感情、それから、本能からの突き上げをコントロールします」と言ってますね。このように、どこにでもある様々な防衛が、たとえば、抑圧にしても、退行にしても、否認にしても、反動形成にしても、「心の経済」と言われる現象として、排他的に取り扱われます。フロイト(1973)は、フィラデルフィアで、アンナ・フロイトの本(世に出てから37年後ですが)を批評する講師陣の参加したときに、防衛機制が対人関係の中でどうな意味があるのか、社会的にはどんな意味があるのか、を話し合う機会に恵まれました。「防衛機制」は、果たして、他人と分かち合うことができるのか? 関わり合う人の中で、あるいは、社会的な暮らしの中で、「生態学的な値打ち」と考えられるのか、を私どもは問いました。

 

 

 

 

 防衛機制を、このように読んできますと、それはなくてはならないものだと分かりますね。でも、なんでも「やり過ぎ」は問題になります。防衛機制も「やり過ぎ」は、問題になります。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本の貧困の根本原因 | トップ | 自覚から生まれる、あの光 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。