阿賀野市 瓢湖の工事は1626年から始まり、1639年に工事完了しました。
参考に、1615年(元和1年)に大阪夏の陣が起き、豊臣氏が滅亡。
1616年(元和2年)徳川家康が死亡。 この10年後に、瓢湖の工事が始まりました。
瓢湖の工事が始まった3年後に、長崎で踏絵が行われるようになります。
瓢湖は、新発田市の溝口宣勝の支配地でした。 瓢湖は、12町9反40歩。
西 469m、東 591m、南 280m、北 304mの広さと、あります。
外城大堤(瓢湖)とありますが、 「外城 とじょう」という地名は、水原に土着した豪族 水原氏の館(後に水原代官所が築かれ、現在復元公開している場所)の外側に位置しているので、この名前が付けられたそうです 「郷土史 外城物語から転写」。