水原代官所 俯瞰図(ふかんず) 1745年設置
1995年 復元された 水原代官所
代官所の仕事とは・・・・・・ 江戸幕府は、米や材木が安定してとれる地域を直接の支配地とし、そこに奉行所や代官所をおいた。
代官所には「代官」と「手付」「手代」という役目の人が分担して仕事を行っていた。人数は全部で30人前後が多かった。
代官は、江戸幕府の直接の家来である「旗本」や「御家人」から勘定奉行所が選び、「手付」「手代」は江戸や代官所の地元の優秀な町人を任命。
仕事は大きく分けて「地方 じかた」と「公事方 くじかた」になる。
「地方」の仕事は、年貢米(税)に関すること、家数・人数を調査報告することと、新しい田の検査(検地という)、河川の堤防や道路の修繕、良いことをした人への表彰などがある。 現在の市役所のような仕事である。
「公事方」の仕事には、犯罪者の逮捕や訴えに関すること、火災の原因調査などがある。現在の警察や消防のような仕事。
これらの最終判断は、ほとんどは代官所が属していた江戸の勘定奉行所へ報告して、結論を出していた。
支配した地域は、現在の阿賀野市、新発田市、胎内市、聖籠町と新潟市北区(旧豊栄市)や岩船郡の一部にまで及び、多い時は10万石にも及んだ。
10万石だと現在の米約20万俵。 1俵1.5万円とすると、約30億円くらいの財力があったのかもしれません。
次回、もう1回続きます。 管理人
※ この文は、「郷土史 外城物語」から転写しました。