1月18日(日)
道遊の割戸と高任(たかとう)神社。割戸の下部に神社があるのを初めて知りました。1605年に建立した官営社です。詳しくは下の写真の説明文を読んでください。明治時代の初代佐渡鉱山局長・大島高任(おおしま たかとう)の偉業を称え、「高任神社」と命名されたそうです。
↑ 国指定史跡「道遊の割戸 (どうゆうのわれと)」。 慶長6年(1601)、佐渡金山発見の端緒となった大鉱脈の露頭掘跡が「道遊の割戸」です。 江戸時代には主に地表部の採掘、明治時代も割戸の下部で大規模な開発が行われました。 金の生産量は、徳川時代に41トン。明治時代に8トン。大正時代に7トン。昭和時代に22トン。合計78トンの金が採掘されました。78トンの金です。欲は言いませんが、せめて1トンの金が私の所有物なら私の人生、どんなだったでしょう。毎日遊び、おいしい物を食べ、旅行し・・・最後は飽きて、現在のようにコツコツと仕事をし、つつましく生活している気がします(貧乏性ですね)。
次回に続きます。 管理人