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阿賀野市ブログ応援隊

個人・サークル・行事・歴史・頑張っている人などの阿賀野市の情報と、人生の楽しみ(?)をお伝えします。

厳島神社の大鳥居、厳島神社 2023.7.1

2023年07月04日 | 史跡など

2023年6月30日~7月3日まで広島に行きました。県外の旅行は数年ぶり。 写真は厳島神社の大鳥居。

昼の12時20分に撮影。干潮だったので、鳥居まで歩いて行けました。水面に浮かぶ鳥居の写真が撮りたかったのですが、この写真も貴重(?)かなと思います。外人さんも大勢いました。マスクはしていませんでした。日本人の大部分はマスク有り。

厳島神社はNHKのテレビ番組「ブラタモリ」で少し知っていたのですが、やはり現地に行き、歩き、広さを知り体感することが大事だなと痛感しました。 新型コロナウイルスが早く終息しますように!

 大鳥居

 大鳥居と厳島神社(写真の奥)

 厳島神社と五重の塔

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新発田市東宮内 宝岩寺前の六体地蔵

2023年06月05日 | 史跡など

2023年5月 新発田市東宮内にある、宝岩寺の前にある六体地蔵。

(上)上記六体地蔵(左側)と三体の石仏(右側3体) 六体地蔵の左端の地蔵の顔が良く見えません。

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新発田城 2023.5.17

2023年05月21日 | 史跡など

 新発田市の新発田城 3階櫓

  「日本百名城」の石碑がありました。

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新発田市東宮内 「藤戸神社 追記1」2023

2023年05月15日 | 史跡など

(上)新発田市にある「藤戸神社」への入り口。画面左端の石碑に「瀬戸神社」の文字が。画面中央の山は、加治城のあった要害山。

 2023年5月9日 新発田市東宮内(ひがしみやうち)の藤戸神社

(上)藤戸(ふじと)神社。 最初の鳥居。鳥居の右側に神社の説明文板が有ります。文面は下記です。

(上)藤戸神社は鎌倉時代初頭、加治荘地頭職・佐々木三郎盛綱により加治城が築造され、その入り口に藤戸神社がある。

藤戸神社を創建したのは佐々木盛綱。去年のNHK大河ドラマに出た佐々木家の一人。本「吾妻鏡」にも登場します。

(上)最初の鳥居をくぐると急な石階段が。ちいさな山頂に本殿があり、山頂から右に曲がり次の山・山頂に加治城がありました。現在は、存在していません。

(上)山頂にある本殿までの中間にある鳥居。

(上)中間にある鳥居をくぐり、山頂にある神社。もうすぐ到着です。

(上)藤戸神社拝殿。いよいよ拝殿に到着です。

(上)藤戸神社拝殿。  次回に続きます。

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阿賀野市山口町1 「日吉神社」

2023年01月21日 | 史跡など

阿賀野市山口町1丁目にある日吉神社。右横には町内の集会所があります。 2022年11月撮影。

(上と下) 日吉神社の左側にある看板・石碑と神社入口上にある鈴。

 

(上)日吉神社の前面 (下)神社の内部  この地域は昔「館之越 たてのこし」と呼ばれていました。

伊豆国(現在の静岡県)から源頼朝の命により地頭として派遣された大見一族の大見家久が、1256年にこの下条(旧水原町下条地域)に館を構え、下条氏を名乗った。織田信長と上杉景勝の争いである1582年の新発田の乱では、上杉景勝の前線基地として、笹岡氏・安田氏・水原氏の各館と共に阿賀北防衛の需要な役割を果たした。

 

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新潟市北区葛塚 「開市神社」

2023年01月09日 | 史跡など

2022年6月20日撮影。 新潟市北区、稲荷神社の横に建つ開市(かいち)神社。

開市神社には、葛塚の庄屋であった遠藤家の七郎左衛門宗寿(阿賀野市・旧京ヶ瀬村の城から移住した葛塚の遠藤家初代)、七郎左衛門国忠(7代)、七郎昭忠(8代・甘雨)の3人が祭神として祀られている。神社の始まりは1863年に葛塚繁栄の礎を築いた宗寿を、葛塚の稲荷神社の境内に祀ったこと。1928年には明治維新の際に北辰隊隊長として活躍した昭忠を合祀。

 ←額には「遠藤霊神」とある。

(上)常盤町にあった頃の開市神社。 写真は昭和初期のもの。写真奥は、現在の白新町。まだ、水田でした。

(下)開市神社は、2008年に登録有形文化財に指定されています。文化庁が認定しています。

  ←勤皇の志士・遠藤七郎昭忠の顕彰碑への案内板。

 上の像の台座に、「遠藤七郎(甘雨)先生の顕彰像」とあります。

遠藤七郎は戊辰戦争で地域の農民と北辰隊を結成し隊長となり、新発田市の赤谷で会津軍と戦った。戊辰戦争後の萩の乱が起ると前原一誠と交流があったことから明治政府に疑われ、筆と酒を供に日本各地を放浪、東京で亡くなった。「甘雨(かんう)」の号で書画を残している。

阿賀野市の村杉温泉の整備にも尽力した。現在の温泉街になったのは、遠藤七郎のおかげ。1928年(昭和3年)、維新の功績に対し従五位が追贈された。村杉温泉の共同浴場は遠藤七郎の発案です。

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新潟市北区葛塚 「稲荷神社」 初詣+α

2023年01月09日 | 史跡など

新潟市北区葛塚にある 稲荷神社。2018年12月31日午後3時に撮影。初詣は1月1~3日と看板が出ていました。

午後でしたが、2年参りの人たちも数名おり、神社右側でお札を購入していました。

初めて境内を歩きましたが、趣のある神社でした。 翌元旦は参拝の人で賑わうのでしょう。

下記は2022年6月20日に撮影。下の看板は環境省作製。

稲荷神社は、1773年に開墾宮として、新発田藩家老の溝口内匠が邸内に祭っていた屋敷神を移したもの。稲荷神社の建っている土地は、以前は一分潟・のちに福島潟になり、それを開墾して農地や宅地になりました。その時代は新発田藩の領地内でした。

現在の社殿は、1815年のものです。稲荷神社の右横奥には、開市神社があります。

鳥居には「正一位稲荷大明神」の看板が。

下は、稲荷神社の入口、右側に建っています。時計が設置去れていますが、何で?

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阿賀野市発久 「神明宮」

2023年01月07日 | 史跡など

2022年12月17日 阿賀野市発久の神明宮

 ← 拝殿の屋根の瓦

下記は2022年5月23日、神明社の横(遠方)から撮影。田の水面に拝殿や木が写っています。

 

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燕市 五合庵

2022年12月23日 | 史跡など

 五合庵

「にいがた観光ナビ」のHPから・・・1793年、各地での厳しい修行を終え、越後(新潟県燕市・旧分水町)に戻った良寛40歳の頃から約20年過ごした庵。 前回に紹介した燕市の国上寺境内に建っています。

この五合庵、もとは国上寺本堂を再建した客僧・萬元上人が毎日 米5合を給されていたことからに由来し、国上寺の僧侶たちの4つの塔頭(たっちゅう)のひとつで、国上寺を再建した萬元上人の為の庵として建てられた。 現在の五合庵は、大正3年に再建したもの。

 

(上左)国上寺の本堂  (上右)国上寺の本堂前に建つ「良寛像」

  沙門良寛謹書「愛語」(部分)

(上左)駐車場から国上寺への入り口付近(上右)国上寺の本堂横の壁画(絵・木村了子)

   

(上左)五合庵から駐車場へのつり橋  (国上寺の本堂前の石仏)

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燕市「国上寺」3  御朱印など

2022年12月17日 | 史跡など

国上寺で御朱印をいただきました。いろいろな種類の御朱印がありました。

私は(下右)と、11月限定の絵柄の御朱印をいただいてきました。

(下)国上寺の境内には、下のように「合格突破鳥居 学問向上の文珠菩薩」が、ありました。

 

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燕市「国上寺」2 イケメン偉人空想絵巻

2022年12月16日 | 史跡など

「イケメン偉人空想絵巻」 国上寺の本堂の外壁4面に絵が描かれています。作者は木村了子さん(50歳・2022年5月現在)。

この絵は、2019年に制作。 外壁の遠景は、次回「国上寺3」で紹介・投稿します。

 ←良寛と酒吞童子

「HPからの情報」理想の美男をエロチックに・・・イケメン描いて15年「少数派」日本画家・木村了子さん(50歳)は、東京都町田市にある自宅兼アトリエで絵を制作。ここ数年、木村さんの描くイケメンは美術館のグループ展でも引き合いが相次ぐ。

2022年1月~3月は栃木県立美術館、2021年は埼玉県近代美術館・島根県立石見美術館で開かれた美男画展などに出品。2020年には、歌手・坂本冬美のCDジャケットの絵も担当。

 ← 源義経

木村さんは、東京芸大で油絵を学びました。大学院終了後に出版社に勤務。その後、退職。

20代後半、映画「極道の妻たち」シリーズでメガホンを取った映画監督の父・関本郁夫(79歳)が脚本を書いたポルノ映画を見たことが転機。その後、日本画で女性を描かれました。2004年、男性の裸像を描いた。以後、15年以上 イケメンを描き続けています。

 ←上杉謙信と弁慶

 ←良寛と上杉謙信

木村了子さんは、2022年9月30日~10月15日 東京都千代田区の「Dub  Gallery  Akihabara」で、「NUDE礼賛ーおとこのからだ Praise  of  NUDE - About  Malt  Body 」開催。13人のグループ展で、キュレーションは木村了子さん。 月刊誌「月間アートコレクターズ 10月号」で、記事と絵が紹介されています。展覧会の入場料は500円でした。

 ←上杉謙信、酒吞童子、源義経

 ←良寛

 ←弁慶と源義経

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燕市 「国上寺」1

2022年12月15日 | 史跡など

                 

真言宗・国上寺は、709年に開山。 現在の本堂は1718年に再建 燕市(旧分水町)にあり。

(写真 上と下) 国上寺の本堂

      

(写真 上右と下)本尊は上品上生阿弥陀如来木造座像。 行基の作と言われている。

      

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阿賀野市 「羽黒の優婆尊」

2022年11月27日 | 史跡など

2022年4月 阿賀野市羽黒にある 優婆尊(うばそん) 管理者・次郎丸にある高徳寺

 

(下)大正時代に撮影された「優婆尊(2枚)」 萱葺です。

コメント(1)の方、コメントありがとうございます。羽黒の優婆尊については調査中なのですが、羽黒の優婆尊堂は1766年に起工し、1777年に完成しました。建築中の1771年には、高徳寺が「仏説大蔵正教血盆経」という経文(下記の図)を印刷して配布しています「寄付金集めの為と考えます」血盆経は1枚刷りの経文ですが、中央部に忿怒の形相をたたえる老婆の絵を描き、その周辺に経文を記しています。この老婆の絵は、上の羽黒の優婆尊に投稿している3枚目の絵と似ています。笹神村役場発行の「笹神村史 通史編」にも載っています。前記の説明は笹神村史から記載投稿しました。

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加茂市 「青海神社」

2022年11月24日 | 史跡など

2022年8月20日撮影  加茂市の「青海神社」

   

       

         「青海神社」は、創建726年 延喜式内社

 頂いた「御朱印」。何種類かあり、私はこれを選びました。

この御朱印の紙は「加茂市七谷地区産の加茂紙」。 下記は2014年9月に青海神社境内で挙行していた結婚式。

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阿賀野市安野町 「菅原神社」 追記2

2022年11月14日 | 史跡など

 

阿賀野市安野町にある菅原神社。2014年1月2日撮影。(上と下)

神社では、写真のようにお札も売っていました。拝殿の中に係りの人がいます(正月だけ)。

 

こちらの神社は、1653年建立。祭神は、菅原道真朝臣。1859年11月夜、炎上。翌年仮殿建築。1869年(明治2年)拝殿再築。1904年(明治37年)本殿新築し遷宮祭を挙行。

従前は、天満宮と称していたが、明治4年宮称禁止の官令により菅原神社と改称した。 

下記は2022年8月24日撮影。

(上)本殿

 

(上左)本殿 (上右)拝殿にある神輿。今年は新型コロナウイルスの関係で3年ぶりに祭りが境内だけで復活。

(上)本殿にある額。 ここ菅原神社は、「天満宮」と呼んでいました。

   現在は「菅原神社」の名称です。

下記は、過去の菅原神社・祭りのポスターです。

 (上と左)2017年の菅原大祭のポスター

下記は2018年の菅原大祭のポスター 「昭和22年に撮影した写真を使用。終戦後の写真です」

 ← 2018年の菅原大祭りのポスター

下記は2019年の菅原大祭のポスターです。

 

 ← 本宮「8月25日」

(下)新型コロナウイルスの関係で、4年ぶりに祭りを開催。祭のポスターです。

 

 

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