阿賀野市ブログ応援隊

個人・サークル・行事・歴史・頑張っている人などの阿賀野市の情報と、人生の楽しみ(?)をお伝えします。

五頭高原スキー場だより 昭和61年(1986年)新年号

2020年06月22日 | 歴史

昭和61年(1986年)笹神村 五頭高原村民スキー場だより 新年号

笹神村民証の交付を受けると、駐車場料金が半額に。貸スキーは50~25%の割引。

スキー学校の講習は、村民割引で1,200円が1,000円に。

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写真月刊誌「アサヒカメラ」休刊 2020.6.19

2020年06月19日 | 歴史

 大正15年(1926年)4月創刊の写真月刊誌「アサヒカメラ」が、2020年6月19日発行の今月号で休刊となりました。創刊から94年間、ご苦労様でした。ありがとうございました。

私が生まれて初めて買った写真月刊誌が「アサヒカメラ」。高校1年生の時でした。一眼レフカメラも持っていないのに、掲載されている写真の撮影データを熱心に見ていました。構図も勉強しました。 この本の休刊には、驚きません。なにしろ写真月刊誌の発売日に阿賀野市の一番大きい本屋に行っても、数誌とも3~5冊ぐらいしか店にないのです。以前なら平積で10冊以上なったのに、今は棚に数冊。皆さん、本を読まなくなったのか、無料で見れるネット画像に流れたのか。本が売れなければ休刊もしかたないです。 休刊(廃刊)でショックを受けたのが、毎日カメラの廃刊。ずいぶん前の話ですが、有名な本でも売れず採算がとれなければ廃刊する・・という事実は、当時 若かった私には考えるものがありました。 これからの写真家は、どうやって世間に知られるようになるのでしょう。「プロ」になるのは、大変な時代だと思います。

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旧水原町、 第一デパートの包装紙

2020年06月05日 | 歴史

自宅の蔵からでてきた 旧水原町中央町1丁目、第四銀行水原支店の道路向かいの小路、60m?先にあった「第一デパート」の包装紙です。今 思うと、あの店はデパートでなく小規模のスーパーですね。画期的だったのは、店に入って買わなくても出てこれるのが、人気だったようです。あの時代、個人商店に入ると何か買わないといけない雰囲気でした。それが商品の陳列棚だけ見て出てこれるのですから。この販売方法が「デパート」と似ていたから「第一デパート」と名付けたのでしょうか。

疑問に思うのは、電話番号。98-694とあります。62-〇〇〇〇でありません。いつの時代の電話番号? この包装紙、いつの時代のもの? 水劇通りと住所が書かれていますが、あの通りに劇場や映画館があったのでしょうか?

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阿賀野市 「令和」初の市長選挙・結果 2020

2020年05月18日 | 歴史

 一か月前、「令和」の時代になり初めての阿賀野市長の選挙。

2020年4月19日に選挙。結果は(当選)田中清善 68才・10,269票、横井基至 39才・4,807票、天野市栄 61才・2,809票。 「2枚目の写真は、水原中学校グラウンド横の選挙掲示板」

同日選挙 阿賀野市議補選 (当選)百都順也 会社役員・5,795票、(当選)大滝勝 造園業・4,720票、(当選)松崎良継 農業・3,502票、庭山健吾 会社役員・3,374票。  歴史の記録として投稿します。 

追記 投票率は、阿賀野市に合併以来 最低の51%。4月1日現在の阿賀野市民 41702人。世帯数14535。

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絵葉書 「観光の胎内川」 1964

2020年05月13日 | 歴史

     

自宅の蔵で発見。 昭和39年(1964年)購入の胎内市(当時は黒川村)の観光用の絵葉書。

上の写真、左から順に(絵葉書の紙ケース)(紅葉の胎内渓谷)(秋の菅平橋)

     (初夏の二ツ峰)

     (胎内川の水芭蕉)

 

上(残雪の飯豊連峰) 絵葉書は5枚入りで、「黒川村・中条町・胎内川観光協会」が作成販売。

阿賀野市に住む私は「二ツ峰」は知らない、「飯豊連峰」も観光絵葉書になっていました。昭和39年、新潟国体開催・東京オリンピックが開催された年に販売されていた絵葉書です。 ネットで調べたら「二ツ峰」の写真が多く載っています。標高は1642.3m。五頭山より、はるかに高い標高です。地元では有名なんですね。

この葉書は9.3×14.2㎝。現在の葉書は10.5×15.2㎝。現在の方が縦横1㎝大きいです。56年前の葉書は小さいですね。

 

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東京タワーの絵葉書 1965年?

2020年04月30日 | 歴史

                 

4月26日 自宅の蔵を整理。古い紙箱の中から「東京タワー」の絵ハガキが出てきました。カラー写真でなく、着色のスケッチした東京タワーの絵葉書です。いつの時代の製品?

 

この絵ハガキの題名は「飛行機より見えたる東京タワーの偉容」 東京タワーの周りが建物でなく緑色。建物がありません。

 題名「東京タワーの勇姿」。題名が凄いです。

この絵葉書の制作年記載無し。 東京オリンピックの前後でしょうか。値段は、3枚入りで30円。安いです。今の時代、絵葉書は1枚100円~150円。それが3枚紙ケース入りで30円。 本当に いつの年代のハガキでしょうか。未使用なので、価値があるのかもしれません。 ※東京タワーは、1958年12月22日竣工。ネットで調べると、1961年当時の写真では東京タワーの付近に建物は ほとんどありません。 1964に東京オリンピック開催。

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第2次 カメラ一体型VTR戦争 1986年

2020年04月14日 | 歴史

1986年(昭和61年)8月の新聞記事から 「誌名記録無し」

                                  

 家電メーカーが、値崩れしていないハイテク製品として期待を寄せているカメラ一体型VTRに、日本光学工業を除くほとんどのカメラメーカーがこぞって参入してきた。参入メーカーでさえ早くも「遠からず淘汰が起こる」とみている。

カメラメーカーが血道をあげる理由は、カメラの成熟化で、新分野への進出が求められているため。 一社で三方式すべての製造を決めたり、一社で二つの方式を売るメーカーもある。

 カメラの録画方式は3方式で、①VHSーCが製造(一貫のみ)3社、販売7社 ②8ミリが製造6社、販売12社 ③VHSが製造4社、販売5社。 秋葉原の大手量販店では「お客さんへの説明も混乱気味。もはや三方式で争い尽くすしかない」と話している。  ※この頃、新製品が出るのが楽しみでした。

カメラ一体型VTRは、国内で去年40万台を販売。今年は70万台が見込まれている。 過当競争で、年末に向けて値崩れは必至・・という見方が出ている。

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昔の「紙製ちりとり」

2020年03月29日 | 歴史

 知人宅で撮影。私が子供のころ、町内の店からお歳暮に紙で造られた「ちりとり」を貰いました。なつかしくなり、写真に撮らせてもらいました。 ちなみに、このちりとりを配っていた店は廃業し、店主は他所に引っ越したそうです。 この紙製ちりとり、貴重品になるのでしょうか?

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1986年の「五頭温泉郷観光協会の広告」

2020年03月21日 | 歴史

 昭和61年(1986年)3月28日の「五頭温泉郷観光協会」の新聞広告。「誌名記録無し」

この時の温泉郷の売りは「歌碑・句碑の道 山びこ通り、五頭山山開き、村杉にじます釣り大会、森林浴と温泉浴」

「ラジウム温泉」の文字がありません。 「ラジウム温泉」という宝に気付かなかった・・時代です。

この頃の、五頭温泉郷のテレホンカード。「入浴する美女」で広告していました。(復活して欲しいです)

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五頭薬用植物園 開園 1985

2020年03月18日 | 歴史

昭和60年(1985年)6月2日に仮オープン。 阿賀野市畑江の山林 約3ヘクタールに、「いこいの森」に隣接して開園。

この時は約100種類以上の薬草木などを自然な形で保存繁殖、展示。現在は約300種類とか。新潟薬科大学の薬用植物園も併設されました。 入園料は無料。  「新聞の誌名記録無し」

 翌6月3日に新潟県庁の落成式。約3年で工事完成。17日から開庁。

 1か月ほど前の4月28日、新潟駅南に「プラーカ新潟」がオープン

 2か月後の8月12日、524人乗りの日航機が墜落。そんな時代でした。

 

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安田バイパス完成 1985

2020年03月10日 | 歴史

昭和60年(1985年)11月19日の新聞記事から(誌名記録無し)  昭和56年度(1981年度)から建設していた国道49号線安田バイパス「寺社~六野瀬4.3㎞」が完成し、本日正午から通行可能になる。 このバイパスは、安田町市街地での混雑緩和と騒音・振動などの解消目的で、昭和54年度から用地買収を始め、昭和56年度から建設工事に入っていた。※4年半の工事で完成。 ※上の写真、道路わきは現在、色々な建物が建っています。

 建設省新潟国道工事事務所では、将来 交通量増大に合わせて四車線に拡幅する計画。 ※35年後の現在、2車線のままです。

国道49号線 安田町地内の交通量は昭和45年(1970年)の4000台弱から昭和59年(1984年)には9000台へと増えており、新バイパスの完成が待たれていた。 ※14年間で2.2倍に交通量が増えていました。現在、旧安田町の中心地旧国道49号線は、極端に交通量が減っています。ほとんどがバイパスを通過するので、住んでいる人しか通らないのでは。

1985年11月19日 午前10時半から現地で開通式。正午から一般車に開放した。

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公募 「にいがた雪原イベント」 1985

2020年02月25日 | 歴史

阿賀野市旧笹神村で昭和60年(1985年)2月10日から公募「にいがた雪原イベント」が開催された。

この催しは、流派を超え旧来のやり方にとらわれないユニークな活動を続ける「いけばな集団70」が開いたもので、一昨年に続いて2回目(前年は小雪のため、開催できなかった)。今回は県内外から88人の作家が応募。2月8,9日の二日間で笹神村羽黒地内の雪原に86点を制作した。 作品は木、竹、ビニールなどあらゆるものを使用。 カラフルな色彩とともに、訪れる人たちの度肝を抜いていた。   ※この記事の前の記事(10分前に投稿)もお読みください。

※ 「いけばな集団70」の皆さんは、2018年8月17~19日、新潟市中央区にある「新潟市美術館市民ギャラリー」で作品展を開催されました。

※ この作品展から1か月後の3月14日、上越新幹線が新潟~大宮でなく、新潟~上野(1時間53分)へ直結しました。工事着工から13年4か月ぶり。そんな時代の作品展でした。

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公募「にいがた雪原イベント」 1983

2020年02月25日 | 歴史

※ 2017年12月19日投稿した記事を再投稿しました。 2020年2月25日投稿の記事もお読みください。

昭和58年(1983年)2月12~13日、阿賀野市 旧笹神村羽黒地内で、「にいがた雪原イベント」という公募展が開催された。

主催は、「いけばな集団70」  (新聞の誌名、記録無し)

  

新潟県内の華道家グループ「いけばな集団70」が、流派や流儀を超えて全国から集まった華道家79人と主催・実行。

福岡県や静岡県からも参加。 積雪は80センチ。

  

見物の女性にモデルを依頼し、撮影。 後ろに置かれた鏡も作品の一部のようです。 

これって、「大地の芸術祭」の前身のようなもの?  34年前の話です。

 

 

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昭和47年(1972年) 羽越線の蒸気機関車

2020年02月12日 | 歴史

昭和47年(1972年)羽越線 神山駅で撮影。

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「分田七郎俊長」の話題

2019年12月30日 | 歴史

 

もう、忘れられたかな・・と思っていたら、上の写真「ふれあい 新発田阿賀北地区保護士会発行 第69号。 令和元年6月発行」に、分田七郎俊長の話題が載っていました。

投稿されたのは、「さみどり・org  代表 雪薫」さん。・・・(分田小学校地域は、阿賀野市の南西の阿賀野川沿いに位置し、分田七郎俊長「ぶんだしちろうとしなが」が寛治元年「1087年」の軍功により、分田城を賜ったことに由来する地域といわれております)と、投稿。

分田地区の皆さんには思い入れのある歴史人物のようです。

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