阿賀野市ブログ応援隊

個人・サークル・行事・歴史・頑張っている人などの阿賀野市の情報と、人生の楽しみ(?)をお伝えします。

新潟ロシア村の記録 54(番外編3 1999)

2018年03月05日 | 新潟ロシア村の記録

1999年12月入手の柏崎トルコ文化村の園内案内図。 1998年9月、客足の落ち込みを挽回するため、さらに30億円の資金を借り入れ、4万平方メートルの敷地拡張・第二テーマパークを建設決定。 1999年7月24日、第2テーマパークのオープン、入園料値上げ。

同年(1999年)10月、メーンバンクの新潟中央銀行が破綻。 トルコ村は同行から70億円の融資を受けていたが、以降 資金繰りに苦しむことになる(ウィキペディアから)

今回は第2テーマパークの園内図です。

レストラン「イズミール」、フラワーガーデン、センタードーム、ファーストフード、遺跡の広場、トロイの木馬、木馬シアター、アレクサンドロス大王の棺、円形劇場、アタチュルク像、展望台。

せせらぎ水路、ノアの方舟、ワン猫、空飛ぶジュウタン、おもしろ自転車、ちびっこ広場、ミニ列車「オリエント急行」発着所。

営業時間「通年」AM9:30~PM5:00(入館受付時間・PM4:00迄)

2001年12月、従業員全員を解雇し、柏崎トルコ文化村は、休業。

2002年7月 地元観光業者を中心に出資設立した新会社K・T・Vが再オープン。入園料は無料となる。

2004年11月 入場者激減を受けて再度閉鎖。  次回に続きます。

 

 

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新潟ロシア村の記録 53(番外編2 1999)

2018年02月26日 | 新潟ロシア村の記録

柏崎トルコ文化村。 平成11年(1999年)12月取得の 第一テーマパークの園内案内図。

1996年7月27日 第1テーマパーク開園。1998年9月、第2テーマパーク開園。

第1テーマパークは、4万9千㎡の敷地に45億円をかけてトルコのイスタンブールの街並みを再現。

施設には、「洞窟ショーホール、泉の間、グランドバザール、宝石の間、塔の広場、トルコ屋台、緑の美術館、青のレストラン」

「花の丘、アルテミス像、ふれあいの森、そして第2テーマパークへ行くシャトルバス乗り場」

第1と第2テーマパークへは、シャトルバスで移動していたんですね。経費が、かかったでしょう。

私が行ったのは、1999年12月4日。 この時に撮影した写真が見つかりません。アルバムに整理していなかったので、どこかに紛れ込んだようです。

次回に続きます。

 

 

 

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新潟ロシア村の記録 52(番外編1 1996)

2018年02月20日 | 新潟ロシア村の記録

1993年、ロシアとの文化交流を目的に新潟県内初のテーマパークとして開園した新潟ロシア村。そして2004年閉園。

銀行融資30億円以上。入場者数は開園当初から伸び悩み。客への魅力が少なく、リピーターが獲得できなかったことも閉園の原因の一つ。

2003年12月に休業業態。2004年4月、融資を得られなく閉園。

これは当時の新潟中央銀行頭取が主導した3大融資プロジェクトの一つで、ほかに柏崎市にトルコ文化村。山梨県に富士ガリバー王国を融資し、開園。3園は、新潟中央銀行の実質的なファミリー企業。3園とも閉園。

そのうちの一つ、柏崎トルコ文化村は、平成8年(1996年)7月27日に開園。写真は当時の開園案内の新聞広告(誌名の記録無し)。

トルコの民俗紹介、特産品の販売、トルコ料理のレストラン。銅像に子供向けアトラクションが揃った遊園地。

4万9千平方メートルの敷地に45億円をかけて開園。ただ、新潟県外からの集客は取り込めず、経営状態は改善しないまま閉園。

新潟ロシア村は、何故に閉園した? ・・他の二つのテーマパーク運営の失敗も影響したでしょう。

その二つのテーマパーク閉園後の、現状の廃れた状態の写真はネットで閲覧できるのですが、開園当時の写真が無いので投稿しました。

新潟ロシア村を理解(?)するには、柏崎トルコ文化村も少し勉強しなくては!

次回、2回に分けて園内地図を投稿します(ネットに園内地図が、無いようなので)。

2018年2月21日追記 

柏崎トルコ文化村が開園して2ヶ月後、新潟ロシア村は「3度目のバースデー。秋の誕生祭」を開催。(同年の2月1日には、新潟ロシア村で製造した、森の地ビールが誕生しています)

新潟ロシア村開園後、すぐに柏崎トルコ文化村の用地買収や工事着工準備をしたのでしょうか。テーマパークの運営に慣れず、営業収入も期待したほど伸びなかった時に同様な施設を作るのは無理があります。1999年10月に新潟中央銀行が破綻。2001年12月に休業。2004年閉園。

柏崎トルコ文化村の開園後翌年の、平成9年(1997年)7月26日には、山梨県に「富士ガリバー王国」を新潟中央銀行の融資で開園しています。そして2001年に閉園。 いったい何を考え、融資し開園したのでしょう。

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新潟ロシア村の記録 51(2007)

2017年12月11日 | 新潟ロシア村の記録

2017年12月8日 旧新潟ロシア村を撮影。

 2007年(平成19年)5月15日発行の「あがの新報」さんの記事を要約。 10年前の記事です。

新潟市のO社が新潟ロシア村に隣接している笹神ケイマンゴルフパークの敷地14万坪の内、9万坪を2006年に競売で取得(私たちからみると、競売で買った土地は、新潟ロシア村敷地の一部分に感じます)。このうちの約半分を社会福祉法人に寄付。O社が土地取得費など1億円を投入。O社の社長自身が年収の30%を毎年寄付して福祉施設の運営にあてる構想がわかった。

社会福祉法人「ささがみ健康の森」を設立するために3月30日に新潟県障害福祉課に申請、6月初旬に認可が降りる見込み。

この福祉法人は、「ゆうきの里 笹神」の地を生かして循環型社会の集約的な複合施設を整備し、障害者が自立する教育施設及び障害者の授産施設を整備する予定。

教育施設は、障害者が自立する訓練を行う目的として設置する。そして卒業後は民間企業へ就職できるよう支援する。

授産施設は、エゴマやきのこ栽培をする農業部門、食品の雑廃を利用した肥料製造をするバイオマス部門、広い土地を生かした牧場部門などを今後検討していく。

O社の社長は、法人化間もない頃から「世の中に役に立つことをしたい」と障害者の雇用に熱心に取り組んでいる。

O社長は「福祉は行政主導では これからはダメ、地域が育てる時代です。小さく生んで大きく育てる。地域の方々にも参入していただき、全国にも注目されるようなモデル施設としていきたい」と話した・・・と、紹介されています。

この計画、なぜかストップしていますが、早く計画した施設ができるといいなぁ・・と思います。

この施設が完成すれば、近年の「新潟ロシア村廃墟騒動」は、無くなるでしょう。

追記 現在(12月11日)、新潟市と阿賀野市で「ささがみ健康の森」で法人検索をすると前記の法人名はありません。

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新潟ロシア村の記録 50(1996-5)

2017年11月21日 | 新潟ロシア村の記録

 

1996年(平成8年)8月のお盆、新潟ロシア村で撮影。 この頃、お盆の帰省客を案内して新潟ロシア村へ案内・遊びに行く人たち・家族が阿賀野市(旧4町村)では多かったようです。地元にも こんな立派な観光施設ができたんだと、自慢していた人もいました。

上のような写真撮影をしている人が多くいました。 又、ピエロも写真撮影に応じていました。 ディズニーランドでミッキーと一緒の記念撮影のような雰囲気でした。 暑い夏休みでしたが、子供たちは元気で園内を駆け巡っていました。

21年前の、遠い夏の記憶です。

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新潟ロシア村の記録 49(1996-4)

2017年11月07日 | 新潟ロシア村の記録

ヨーロッパ風の建物と彫像(ここは、新潟ロシア村ですが・・・・)。

 

(左上) メリーゴーランド  (右上) ロシア村の敷地内にある石像。 独特の雰囲気があります。ロシアの感覚 ?

1996(平成8年)6月、新潟ロシア村にて撮影。 前年にメリーゴーランドなどが設置され、ロシア村も賑やかになりました。園内には、子供たちの笑い声が響き「楽しい施設」になってきました。 上の写真の建物は何の店か忘れましたが、白と赤色でカワイイ雰囲気です。 今年の夏の「廃墟 新潟ロシア村」のテレビ番組を見ると「村」は、廃墟に!   あの輝かしい時間は、どこに行ったのでしょうか・・・

 

この年の、新潟ロシア村の来場者へのサービス写真。 有料だったと思うのですが、デジタルカメラの画像をプリントしたものです。

画像の左上に、「新潟ロシア村」の文字とマークが印字されています。 画像の右下に日付が印字されています。 

前年の1995年3月10日に、カシオが世界で最初の液晶モニター付きのデジタルカメラ QV-10を発売。画素数は25万画素。上の写真は1年後なので35万画素くらいでしょうか。 現在のデジカメからみると粗い画像ですが、当時としては時代の最先端を行く画像であり、観光施設の新しいサービスだったようです。  21年前の話です。 次回に続きます。

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新潟ロシア村の記録 48(1995-10)

2017年09月30日 | 新潟ロシア村の記録

 1995年11月の新聞記事から。歴史の記録として、投稿。とりあえず1995年分は、今回で終了します。

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新潟ロシア村の記録 47(1995-9)

2017年09月05日 | 新潟ロシア村の記録

1995年(平成7年)10月8日(日)の新聞広告 「誌名記録無し」。 

新聞広告の文章 → 秋はロシアのボルシチが、いっそううまい! しかも、土・日曜日、祝日は小中学生の入場料が無料。

山々も紅葉しました、おいしさも熟しました、ーーーーーーロシア村は1年で一番いい季節です。

次回に続きます。  ※ 「ボルシチ」って、何 ?  → ウクライナの郷土料理。スビョークラや玉ねぎ、ニンジン、キャベツ、炒めた牛肉などを じっくり煮込んで作る具だくさんのスープ。 今はロシア全土で食べられている。 「ボルシチ」で検索できます。

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新潟ロシア村の記録 46(1995-8)

2017年08月25日 | 新潟ロシア村の記録

   

1995年(平成7年)7月1日(土)の新聞広告(一面広告) ※誌名の記録無し

この日(7月1日~9月9日)から金曜・土曜の午後5時30分~9時までの夜間営業を開始。

夜の部の入館料は大人1,000円(ビアチケット×2枚付)  小人(中学生以下)無料

 

歴史の記録として投稿。 次回に続きます。

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新潟ロシア村の記録 45(2017-2)

2017年08月19日 | 新潟ロシア村の記録

 2017年8月14日撮影。 旧新潟ロシア村の建物。 本明集落付近で撮影。

2017年8月12日(土)夜、テレビで廃墟テーマパークとして紹介された「旧新潟ロシア村」。2年前にも同様な内容で放送されました。

このブログは通常 一日の訪問者数100~150人、閲覧総数300から800。多い日で訪問者数180~220、閲覧総数2100くらい。

それが放送日は下記写真のように、 放送日の8月12日は訪問者数1518人、閲覧総数6783。

確か2年前の放送日は訪問者数200人ほど、閲覧総数で2200ほど。 今回は数がうんと増えています。

「新潟ロシア村」が有名になったから?  廃墟ブームだから?

私の考えでは、今春5月 当ブログの「新潟ロシア村の記録」がwikipediaに紹介され、前記の下段の「外部リンク」に関連として紹介されているから・・かなと思います。

wikipediaの影響力は凄いですね。

 放送当日の訪問者数

 放送翌日の訪問者数

 放送3日目の訪問者数

 放送4日目の訪問者数

そして放送から7日目の訪問者数254人、 閲覧総数1328。 一週間過ぎても通常より多い訪問者数です。

ここで疑問。 「新潟ロシア村」って、そんなに全国的に有名なんでしょうか? 放送日の閲覧数が多いのは理解できるけれど、放送後一週間も経っても「新潟ロシア村」を検索される人はテレビ放送を録画し、繰り返し観ているのでしょうか? 一応、私も録画していますが、「廃墟マニア」が多いからなのでしょうか。 はてな??と考え投稿しました。 管理人

 

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新潟ロシア村の記録 44 (2017-1)

2017年08月13日 | 新潟ロシア村の記録

昨日2017年8月12日午後7時からのテレビ番組、新潟の廃墟テーマパークとして新潟ロシア村が紹介されました。阿賀野市の人は心霊スポットとは思っていませんが、番組では心霊スポットとして紹介されました。そもそも他人の敷地に勝手に入れません。勝手に入っている人がいなければ、こんな噂が立たないでしょう。中川翔子さんがオーブの写真を撮影していましたね。あの場所と湿度なら写るでしょう。島田さんも写していたから誰でも写せるのかな?

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新潟ロシア村の記録 43(1995-7)

2017年07月29日 | 新潟ロシア村の記録

 

1995年4月末のテレビ番組表のページから。 新潟から一番近い外国「ロシア」を満喫できるテーマパーク、新潟ロシア村「春の祭典」4月29日~5月7日まで。 この期間中は、小・中学生は入場無料のサービス。

 

4月22日 オープン予定の「ロシアンカルーセル」2階建です。 初登場のボリショリピエロのパフォーマンスも見れます。

 

「木の工房」では、職人たちの技が見れます。    マトリョーシカの絵付けも体験できます。  

「食の市」では、ブリニ(ロシア風のパンケーキ)、蝶鮫や牛肉・鶏のロシア風串焼き。ミニポンチキ(ロシア風ドーナツ)。

「蚤の市」では、ロシア直輸入の掘り出し物がお手頃価格で販売される。

入場料は大人1600円、団体1300円。 営業時間 9:00~17:00     次回に続きます。

(歴史の記録として投稿しました)

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新潟ロシア村の記録 42(1995-6)

2017年07月24日 | 新潟ロシア村の記録

 

 

1995年(平成7年)4月22日(土)の新聞の広告 「誌名記録無し」 GW前の広告です。私はこの広告(一番上の右側の写真)の写真をみて、新潟ロシア村のイメージと違う !! と思ったことを鮮明に覚えています。 「日本」でなく「外国、ロシア」のイメージを大事にしなくては・・・と思いました。

22年前の話です。 歴史の記録として投稿しました。 次回に続きます。

 

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新潟ロシア村の記録 41(1995-5)

2017年07月18日 | 新潟ロシア村の記録

1995年(平成7年)1月1日の新聞広告(誌名記録無し)  

 

元旦に初売り(新潟ロシア村の福袋)一日限定300個が、販売されました。 ボリショイピエロ初笑いショーやロシアダンスのステップコンテスト等いろんな催し物があったんですね。

ピロシキ早食い競争や、ピエロメイクコンテストも面白そうですね。

 新潟ロシア村行急行バスが運営されていました。

歴史の記録として投稿。 次回に続きます。

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新潟ロシア村の記録 40(1991)

2017年05月22日 | 新潟ロシア村の記録

   

1991年(平成3年)7月19日の新聞記事(誌名の記録無し)  笹神村笹岡字葉山にある「笹神ケイマンゴルフパーク」では隣接地で温泉を掘り当てた。同社では前年の1990年秋から温泉掘削を試み、ゴルフコースから約500m離れた通称杉の森の地下約千mから37~38度の温泉を掘り当てた。

この温泉は自噴でないが、湯量は毎分200リットル。今後、県温泉審議会にかける予定。

この笹神ケイマンゴルフパークは新潟農林開発の経営。 日本初の本格的なケイマンゴルフ場として1991年4月に正式オープン。オープン3か月後に温泉を掘り当てました。 噴出した温泉はゴルフ場のクラブハウスに造られている露天風呂で使うほか、これから第三駐車場に建設する宿泊施設にも利用する計画と、書かれています。

新潟ロシア村の話でなく、何故 笹神ケイマンゴルフ場の話 ?? → この記事から6か月後には、「新潟ロシア村構想」が新聞記事として載っています(当ブログ 新潟ロシア村の記録 18をお読みください)。 新潟ロシア村は隣接する笹神ケイマンゴルフ場との連携が考慮され・・・という話があります。

笹神ケイマンゴルフ場の存在や温泉を掘り当てなければ、「新潟ロシア村」の構想や実際の工事はされなかった・・・気がします。 この記事、新潟ロシア村の「原点」かもしれません。

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