spin out

チラシの裏

ディクスン・カー試論 準備稿 その3

2022年09月02日 | JDカー
語り手の問題

『三つの棺』の第一章は誰の視点なのでしょうか。
『すなわち、二件の殺人が』から『雪には足跡も残っていなかった』(ハヤカワミステリ文庫 P9)の数行は、
フェアギリギリ、あるいはアンフェアと言われてもしかたのない箇所です。

第二章へ読み進むと、初期フェル博士ものの助手役テッド・ランポールも登場して三人称で物語が続き、
どうやら第一章は『ランポールがボイド・マンガンから聞いた話をもとにして書いた』と想像できますが、
はっきり誰とは書いてありません。
第一章全部が著者カーによる地の文だとしたら、件の数行は完全にアウトであり、
もし著者が書く場合には、横溝正史『本陣殺人事件』の冒頭部のように書かないとアンフェアはまぬがれません。
しかしグリモー教授の最期の言葉、ダブルミーニングを駆使する技を持つカーならば、
『本陣』並みのことが出来ないはずがありません。

つまり、著者のカーが『読者にそう思ってほしい』とランポール(あるいは別の誰かに)に書かせた一文なのです。
『登場人物の視点による読者の誘導』ならばアンフェアは回避できるわけです。

この仕組みは41年『殺人者と恐喝者』の第一章の視点とその視点による『事実』の真偽問題で再利用されています。
また39年『テニスコートの謎』ではもっと大胆に、言い換えると『そんな馬鹿な』的に流用されています。

さらに『殺人者と恐喝者』の技を拡張して構成したのが42年『皇帝のかぎ煙草入れ』です。
『皇帝のかぎ煙草入れ』はカーには珍しく、女性の視点で書き出される、おそらく唯一の作品でしょう。
その理由は二つ、一つは『皇帝の~』は女性向け雑誌に連載されたこと、
もう一つは暗示にかかりやすいヒロインの視点がプロットに必要だったこと、です。
『テニスコートの謎』と『殺人者と恐喝者』で試した視点移動テクニックの合わせ技、と言えるかもしれません。

『三つの棺』に話を戻すと、『三つの棺』は、
この第一章の『誘導』、事件の『叙述的時間錯誤』、密室講義における強引な『ミスディレクション』で成り立っている、
とも言えます。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ディクスン・カー試論 準備... | トップ | ディクスン・カー試論 準備... »

コメントを投稿

JDカー」カテゴリの最新記事