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ディクスン・カー試論 準備稿 その2

2022年09月01日 | JDカー
1937年ではフェル博士ものが書かれなかった代わりに、二作のノンシリーズものが書かれます。
そのうちの一冊『第三の銃弾』とHM卿ものの『孔雀の羽根』は、『殺人現場の舞台化』が用いられ、
バンコランもの『四つの凶器』では『プロットの並行輻輳化』を用いられていますが、
おそらくカーの最高傑作『火刑法廷』には、上記の技法はいずれも使われてはいません。
このことから出来上がった作品がどうであれ、カー本人は『火刑法廷』を探偵小説と意識して書いていなかったのでは、と思われます。

探偵小説でなければ、怪奇小説として判断するしかない『火刑法廷』はなぜ書かれたのでしょうか。
それは1920年代にドロシイ・セイヤーズが編集した「探偵小説・怪奇小説アンソロジー」への、
あるいは怪奇小説マーケットへの、カーのプレゼンスだったのではないでしょうか。

この期間で『火刑法廷』と同じように、なにもマークが付いていない作品があります。
『帽子収集狂事件』は『火刑法廷』と違い、どう読んでも探偵小説です。
しかし30年から37年までの23作品中、『帽子収集狂事件』だけは犯人が意図しない殺人でした。
ですから『悪意を持つ犯人を探す探偵小説』とは目指す方向が違うはずです。
今のところ判断根拠は見つけられませんが、カー流の『探偵小説風普通小説』なのではとも思えます。
その執筆理由は、セイヤーズをはじめとする評論家たちにおもねるため、と勘ぐっておきます。

じつは上記の二つの技法の他に、もう一つ「語り」という技を使っています。
これは1938年以降に『叙述的錯誤:一人称視点による誘導』という技法と結びついて、カーの重要なテクニックとなりますが、
A群の段階では登場人物に一つの章をまるごと語らせる、という程度のもので技法にまでは昇華されていません。
1937年を境にして、作品の舞台と容疑者の設定が公共の場からもっとドメスティックな家庭と家族、
その付随する範囲へ、と変わった点です。カーの視点が外から内側へと向かったと言えます。

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