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悪魔のひじの家

2024年07月11日 | JDカー
★「悪魔のひじの家」(1965年)が文庫化されましたが、なんだコレ? という感じです。
■フェル博士ものとしては「雷鳴の中でも」(1960年)から5年のブランクを経て書かれた作品がこれか、という若干諦めの境地だねえ。
★それ以前でも「疑惑の影」(1949年)から「死者のノック」(1958年)の9年間はフェル博士ものは書いていなんですね。
■よほど書きたくなかったのか、書けなかったのか。でもその9年間は歴史ミステリを書いていたからね。
★「悪魔のひじの家」(1965年)、「仮面劇場の殺人」(1966年)、「月明かりの闇」(1967年)でフェル博士ものは打ち止め。
その後は歴史ミステリのニューオリンズ三部作へと移っていきます。
■ニューオリンズ三部作は「ヴードゥーの悪魔」(1968年)、「亡霊たちの真昼」(1969年)、「死の館の謎」(1971年)、
ほぼ1年に1作書いていたけど、どれも出来はアレだったなあ。
★「死の館の謎」は好きなんでしょう?
■どれかを選べ、といわれたら。
「死の館の謎」は他の作品とは若干ちがって、カーの自伝的作品だから。主人公は、ほぼ本人だろうね。
トリックは「雷鳴の中でも」の流用だしミステリ部分はおそらく自作他作関係なく適当に使って、
カーが書きたかったのは若い頃の自分じゃないかな。
★「悪魔のひじの家」の話じゃないですね。
■あ、すまん。でも「悪魔のひじの家」文庫解説もなんだかひどいね。
本書についての言及はほんの数行で、あとはカーがいかにホームズものから引用しているかを延々と紹介しているだけ。
★書くことが無いからですかねえ。
■カー作品に、テレビ、キューバ危機という単語が出てくるとは驚きだったけれど。
★フェル博士が居間でテレビを観ているとか、H・M卿がテレビ演説している首相をバカ呼ばわりするなんて場面があったらおもしろかったのに。
■ハドリー警視は公僕なので定年引退していたんだね、
後釜は「曲がった蝶番」のエリオット警部で、中年になって副警視長に昇進している。有能だったんだ。
★冒頭部分は「曲がった蝶番」の基本プロットの逆をやってませんか。
資産のある旧家へ自分が本当の当主だと要求する人物が現れる、の反対で資産を押し付けにアメリカからやってくる見知らぬ甥。
■それを言うならば、同じ冒頭の主人公とヒロインが電車の中で会話を交わす場面は、
「連続殺人事件」(旧題のほうが好きなので)のモジリじゃないか。でも会話自体がなんともヒドい。
★カー本人が身振り手振りでミスディレクション込みの状況を説明しているような、なんとも辛い部分でした。
■それでも半ばあたりで、ヒロインの過去が暴露されるあたりからやや持ち直す。
★あれって「毒殺魔」の焼き直しですね。
■焼き直し、という言い方はカーに対して失礼だよ。後半はカー節が復活して、快調にすすむからね。
★しかし最後の謎解きはちょっとヒドいですよね。
何人も嘘つきがいたら、そりゃ不可能犯罪も可能になる、と思ってしまいました。
■カーの執筆態度を察するに、頭の中で構築して一気に書き下ろすタイプじゃないかと思う。
だから構築の詰めが甘いと、どうしても謎解き部分で強引な言いわけになってしまう。
証人に嘘を言わせることを自戒していたはずなのに、年齢には勝てなかったということだろうなあ。
とはいえ本人が意識して自作のパロディを書いていた、とは思えないんだな。
★そうですかね。
■たぶん思考パターンが年齢で狭隘になっているんだ。
思いつくプロットとエピソードが結局は若い頃とおなじもの、ということなんじゃないかな。
★カー本人の無意識によるセルフカバー、セルフパロディとして解釈するならば、
カーファンにはそれなりに楽しめるかもしれません。
■むーん、誉め言葉なのか、それ。
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