この時間に書いたほうが強い思いがあるから
深い文になるだろう。
いつもならこの時間はどこかへ出かけているから
大体その過程でモヤモヤを忘れている、
だからここにその感情が出ることなく通過していくんだろうが
今日はそうならない、
結局、疲れを誘発するだけなんだよね、
道はどちらかしかない、
自分の非を認めあらゆる面で成長を望むか
俺はそれにはついていけないと
手を出さないか
一つだけ言えるのは
俺は既に普通の道から降りた人間である。
人間論で言うところの自由論者
個人のやりたいこと、生きたい目的のために存在するという
価値観を重んじる人間、
そうでなければこの世に居る意味なんかないと思っている、
だから、今の社会の会社絶対主義っていうのは
全く馴染めない、
俺から言わせればみんな止めれば終わるんだけどね、
この形は
でも、誰も止めようって言わないから
これが延々と続いていくだけでさ、
ただ、俺が今、こういう気持ちになっているのは
裏で何かを意図しているんだろうなって
感じるからなんだけどね、
それは俺だけが感じる感性なのかそれは知らんが
とにかく疲れるよ。
いい面で感じる分にはいいけど
そうじゃない方が圧倒的に多いわけだしね、
俺のまさかが現実になる日も
そう遠くはないのかもね、
奇しくもあの時と同じで
俺はまた北へと行くことになっているし
そこまでの人間ってことだろ
つまらない人間なんだよ
ずっと昔
子供の頃
幼稚園の時、俺はサッカーが好きだったらしい、
サッカーの上手い子に誘われてずっとやっていた、
小学校にあがって
週末にやる地域のクラブのサッカーにもその子に誘われて入った、
でも、このクラブのサッカーは正直ちっとも面白くなかった、
俺は次第に行くのが嫌になり、
小2で辞めていた、
でも、俺はサッカーをすること自体は嫌いではなかったようだ、
学校の放課後に
仲のいい人たちや学校に残っている雑多なメンバーで勝手にチームを決めて
ほとんど毎日のようにサッカーはしていた、
個人主義?なのか
そうでもないと思うけど
結局サッカーは中学で身体の問題が出て来た時点で誰にも相手にされなくなって
やることはなくなったが
縦社会が嫌なのか?
今思い出してもあのサッカークラブのサッカーは全く面白くなかった、
その後学校のクラブには所属していたが
それはつまらないと思ったことは一度もなかった、
だから別にグループに属するのが嫌なのではなさそうだ、
どうもこの感覚が
今の俺を取り巻いている状況に似ている気がする、
怒られるのが嫌なのか?
ある意味そうなのかもしれない、
怒られるためにサッカーをしていたんじゃない、
楽しみたいからサッカーをしていたんだ、
別に上手くなることが目的じゃない、
楽しくやっていれば
気がつけば上手くなっているもんなんだ、
なんでもそういうもんなんだよ。
怒られないようにしようと思って行動しているものに
楽しさなんかどこにも生れるわけはない。
自分が上手くできなければ自分で考えてどうすればいいのか
答えを出すんだ、
その自発的な行動が楽しさに繋がるんでね、
そう思わないものはそこまでのものってことなんだよ、
俺の人生はそうやって
数々捻じ曲げられ
中途半端に消えていったものばかりな気がする、
親の育て方、と言えば
そうなんだろうな、
でも、俺はそうやって育ったおかげで
人生の楽しみ方は知っているつもりだ、
だから自分自身で楽しみを見つけることが出来る、
そういう意味では俺は親に感謝しているよ、
こういう感性で育ててくれてね、