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●「ビキニ事件は遠い過去に終わったことではなく、未来の命にかかわる」――― マグロ漁船「第五福竜丸」の船員・大石又七さんが亡くなる

2021年04月03日 00時00分11秒 | Weblog

[『放射線を浴びたX年後』(http://x311.info/part1.html)↑]


/ (2021年03月28日[日])
アサヒコムの【(社説)ビキニ核実験 船員が憂えた未来の命】(https://www.asahi.com/articles/DA3S14843050.html?iref=comtop_Opinion_03)。

 《67年前の3月1日、米国が太平洋ビキニ環礁で水爆実験を行い、日本漁船の乗員や近くの島々の住民らが巻き込まれた。静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」は、操業中に「死の灰」を浴びた。その船員の一人として、核廃絶を訴え続けた大石又七(またしち)さんが亡くなった。享年87。体験を語る証言活動を国内外で700回以上重ねた。「まだまだ言いたいこと、伝えたいことがある」。最近もそう語っていたという。核兵器の罪をじかに知る語り部は年々、少なくなっていく。だが人類が再び過ちを犯す恐れは今も消えず、むしろ核軍拡と拡散の流れが強まっている。…「ビキニ事件は遠い過去に終わったことではなく、未来の命にかかわる」。大石さんの警句が、重く響く》。

 大石又七さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。
 《『ビキニ事件』は終わっていないんです》(「太平洋核被災支援センター」事務局長山下正寿さん)。
 《ビキニ事件は遠い過去に終わったことではなく、未来の命にかかわる》。さらに、「五五年…以降、一切の追加調査や補償を放置してきた国の不作為」…『ビキニ事件』は終わっていない。「国はこれまで福竜丸以外の船員の追跡調査をしてこなかった」、《国会や政府は対応を放置したままだ》…なんというデタラメな国なのか…。無責任国家、無慈悲な国。東京電力核発電所人災も似たようなものだ。『放射線を浴びたX年後』に慄く…。

   『●映画『放射線を浴びた『X年後』』: 
     「こんな巨大な事件が、…日本人としての資質が問われる」
   『●米軍の「差別性の極み」:NNNドキュメント’14
       『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』
   『●東電原発人災の『X年後』: 厚生省「1.68ミリシーベルト」
                      vs 研究者「1400ミリシーベルト」
   『●『放射能を浴びたX年後』: 「国はこれまで
       福竜丸以外の船員の追跡調査をしてこなかった」
   『●「私たちは被ばく船員を見捨ててきたと痛感」…
                 2011年から「X年後」を怖れる
    「東京新聞のコラム【【私説・論説室から】「放射線を浴びたX年後」】
     …《登場人物はみな、静かな語り口だが、私たちは被ばく船員を
     見捨ててきたと痛感する。ビキニ事件で政府が積極的に調べたのは、
     船体と魚の放射能汚染。船員はおざなり。米国から賠償金二百万ドルを
     受け取ると調査もやめた。漁港では風評被害を恐れ、
     誰も被ばくは口にできない。そんな時代だ》」
    「同じ構図を…3.11東京電力原発人災でもやってしまっているのではないか…、
     ということをとても怖れる。過小に見積り、情報が隠され、
     「ただちには影響はない」とした「X年後」に、取り返しのつかない何かが
     起こってしまいはしないか? …「事故直後の1巡目の検査では「異常なし」
     とされた子ども4人が、4月から始まった2巡目の検査で甲状腺がんの疑い
     と診断…1986年のチェルノブイリ原発事故では4~5年後に子どもの
     甲状腺がんが急増した」。取り返しのつかない「X年後」が経過してしまった
     のではないでしょうか」

   『●東京電力原発人災から『X年後』…… 
       取り返しのつかないことが現実化してはいまいか?
   『●人類は核と共存できるのか? 
        『放射線を浴びたX年後』とパグウォッシュ会議
   『●『放射線を浴びた『X年後』』: ビキニの海に居た
       元船員「行動しないと永遠に知る機会を失ってしまう」
   『●第五福竜丸元乗組員大石又七さん「ビキニと
     福島はつながっている」「被曝者がたどった道を、福島で…」
   『●「太平洋核被災支援センター」事務局長山下正寿さん
                「『ビキニ事件』は終わっていないんです」
   『●《基準値超えのマグロ…午後からは検査がなくなり、すべての
          マグロが出荷された…。こうして汚染魚は“ゼロ”に》
   『●「五五年…以降、一切の追加調査や補償を放置してきた国の不作為」
                    …『ビキニ事件』は終わっていない
    「長年こつこつと、この問題に取り組んでこられた
     「太平洋核被災支援センター」事務局長山下正寿さん、
     「『ビキニ事件』は終わっていないんです」。」
    「《子どもたちの間では甲状腺がんが増えているが、県の調査班は放射能の
     影響を否定するばかり。原発のちりは広い範囲に降った。原因の究明は
     進むのか、将来への不安を声にも出せず苦しんでいる子どもは各地にいる
     …慄く。怒りが湧く」
    《ビキニ被ばく 国賠提訴 「情報不開示」元船員ら初
     2016年5月9日 夕刊
      一九五四年の米国による太平洋・ビキニ環礁での水爆実験の際に
     周辺海域にいた元漁船員やその遺族ら四十五人が九日午後、被ばくに
     関する調査結果を日本政府が長年開示せず、米国への賠償請求の機会を
     奪われたなどとして、元船員一人当たり二百万円の慰謝料を
     求める国家賠償請求訴訟高知地裁に起こした。 
      原告側によると、ビキニ実験を巡る国賠訴訟は初めて。被ばくした
     第五福竜丸(静岡県焼津市)の元船員らには五五年に米側から見舞金が
     支払われており、提訴で国の責任を追及するとともに、救済実現を目指す

   『●【放射線を浴びたX年後】…《半世紀以上前の列強国による…核実験に
       関わったイギリス軍の元兵士や遺族…その海で何があったのか》?
   『●『放射線を浴びたX年後』…『ビキニ事件』は終わっていない。
     「国はこれまで福竜丸以外の船員の追跡調査をしてこなかった」
    《六十六年前の核実験を忘れるわけにはいきません。裁判が今もある
     のです。先行したのは第五福竜丸「以外」の漁船の元船員や遺族が
     一六年、高知地裁に国家賠償を求めた訴訟です》。
    「「五五年…以降、一切の追加調査や補償を放置してきた国の不作為
     …『ビキニ事件』は終わっていない。「国はこれまで福竜丸以外の
     船員の追跡調査をしてこなかった」」。

   『●「原子力の平和利用」という核発電への幻想…「原発は『プルトニウム
         をつくる装置』」(内橋克人さん)にこだわる周回遅れのニッポン

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https://www.asahi.com/articles/DA3S14843050.html?iref=comtop_Opinion_03

(社説)ビキニ核実験 船員が憂えた未来の命
2021年3月23日 5時00分

     (亡くなった第五福竜丸の元船員、大石又七さん
             =2018年9月22日、東京都内で)

 67年前の3月1日、米国が太平洋ビキニ環礁で水爆実験を行い、日本漁船の乗員や近くの島々の住民らが巻き込まれた。

 静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」は、操業中に「死の灰」を浴びた。その船員の一人として、核廃絶を訴え続けた大石又七(またしち)さんが亡くなった。

 享年87。体験を語る証言活動を国内外で700回以上重ねた。「まだまだ言いたいこと、伝えたいことがある」。最近もそう語っていたという。

 核兵器の罪をじかに知る語り部は年々、少なくなっていく。だが人類が再び過ちを犯す恐れは今も消えず、むしろ核軍拡と拡散の流れが強まっている

 大石さんらが後世に残そうとした遺志を胸に刻むとともに、「核なき世界」をめざす道筋を真剣に考えねばなるまい。

 ビキニ事件が起きたのは、広島・長崎の原爆から9年後の1954年。米ソ冷戦下の核競争が激化した時代だ。

 福竜丸の乗員は23人。無線長が約半年後に亡くなり、さらに早世する仲間が相次いだ

 「訴え続けなければ、ビキニ事件はやがて消えてしまう」。大石さんは被曝(ひばく)の影響とみられる症状や差別に苦しみながらも沈黙を破り、訴え続けた

 ビキニ事件は原水爆禁止の国内世論を高めた一方で、日米両政府の政治決着により、翌年に米側の見舞金7億円余で「完全解決」とされた

 同じ海域で影響を受けた日本の漁船は約1千隻とされるが、公式の健康影響調査はされていない。80年代以降、船の約3割は高知県から出ていたことが地元の地道な調査で浮かんだ。

 高知の船員らは5年前に国に賠償を求めて提訴したが、棄却された。ただし判決は、立法府と行政府に対し「一層の検討に期待するほかない」と救済を促した。それでも国会や政府は対応を放置したままだ

 国際情勢に目を転じれば、今年1月に核兵器禁止条約が発効した。この枠組みは、核実験の被害者への国際的な支援を定めた点でも注目されている。

 普遍的な人道主義にもとづく救済の考え方は、日本だけでなく、太平洋諸国など各地の核被害に苦しむ人びとにとって貴重な手立てとなろう。

 ビキニ事件で「3度目の被ばく」を経験した日本は、核禁条約への参画を果たすべきだ

 米国による「核の傘」を理由に傍観を決め込む姿勢は許されない。核廃絶を願う国際世論と共に立つ日本の決意を示すためにも、条約への関与が必要だ。

 「ビキニ事件は遠い過去に終わったことではなく、未来の命にかかわる」。大石さんの警句が、重く響く。
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●第五福竜丸元乗組員大石又七さん「ビキニと福島はつながっている」「被曝者がたどった道を、福島で…」

2016年03月03日 00時00分37秒 | Weblog


asahi.comの田井中雅人記者による記事【(核の神話:15)福島原発が呼び起こしたビキニの記憶】(http://www.asahi.com/articles/ASJ2N5D1MJ2NPTIL00P.html?iref=comtop_fbox_d1_01)。

 《日本のマグロ漁船「第五福竜丸」など多くの漁船の乗組員らが「死の灰」(放射性降下物)をあびて被曝(ひばく)したビキニ事件。2011年の福島原発事故を受け、「ビキニと福島はつながっている」と訴える第五福竜丸元乗組員の大石又七さん(82)の話に、今こそ耳を傾けた……私たちビキニの被曝者がたどった道を、福島で放射能を浴びた人たちもたどっているんだと思います。本当に気の毒だと思うばかりです。福島の人たちの苦労が始まったわけですからね》。

 映画・TVドキョメンタリー『放射線を浴びた『X年後』』にある通り、大石又七さんの仰るように、《あのころ、ビキニ環礁では、のべ1千隻に及ぶ日本の漁船が漁をしていて、アメリカの一連の核実験の放射能を浴びて、あとになって大勢の人が発病して亡くなっているんだけど、だれもその責任を認めていない》。本インタビュー記事を、是非、読んでもらいたい。

   『●映画『放射線を浴びた『X年後』』:
     「こんな巨大な事件が、・・・日本人としての資質が問われる」
   『●米軍の「差別性の極み」:NNNドキュメント’14
       『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』
   『●『放射能を浴びたX年後』: 「国はこれまで
       福竜丸以外の船員の追跡調査をしてこなかった」
   『●人類は核と共存できるのか?
        『放射線を浴びたX年後』とパグウォッシュ会議
   『●『放射線を浴びた『X年後』』: ビキニの海に居た
       元船員「行動しないと永遠に知る機会を失ってしまう」

 大事なことは、東京電力核発電人災との関連である。
 この人災の『X年後』への懸念に加えて、記事の末尾で、大石さんは、《核兵器とおんなじで、原発も被害を作り出すものだってことは証明されたよね、福島でね核兵器は悪いけど原発はいいもんだってことを盛んに言ってきたけど、そうじゃないわけで、いまや原発のほうが核兵器よりも直接の害を及ぼしてますからね。・・・、原発の方が直接的には悪いんじゃないの》とも仰っている。

   『●烏賀陽弘道さん
     『ヒロシマからフクシマへ原発をめぐる不思議な旅』読了

   『●社説:核廃絶と脱原発
   『●アメリカのちょっかいとナチソネ氏、原子力の「安全」利用
   『●原発と核兵器は同じ: 「怖いと思わなかった。何も知らなかったから」
   『●再稼働・輸出問題に続いて、東京電力原発人災下の
               五輪招致騒動: 「あろうことか」、の連続
   『●東電の「万全」神話: 「作業員の安全を祈らずにはいられなかった」
   『●米国ビキニ環礁水爆実験『放射線を浴びた『X年後』』:
           福島でも、X年後に「因果関係の証明は困難」と
   『●東京電力原発人災から『X年後』・・・・・・
        取り返しのつかないことが現実化してはいまいか?
   『●「仏様のおかげ」はもう期待しない方がいい:
     高浜原発、「このゴジラが最後の一匹だとは思えない」
   『●ビキニ水爆実験からの『X年後』、
      そして、3.11東京電力原発人災からの・・・・・・
   『●東電原発人災から『X年後』でも同じことが…
       「死は個人の不摂生のせい」に、そして、「上から口封じ」

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http://www.asahi.com/articles/ASJ2N5D1MJ2NPTIL00P.html?iref=comtop_fbox_d1_01

(核の神話:15)福島原発が呼び起こしたビキニの記憶
核と人類取材センター・田井中雅人 2016年2月23日14時30分

     (大石又七さん=東京・夢の島の第五福竜丸展示館、
      田井中雅人撮影)

 1954年3月1日、太平洋ビキニ環礁で米国が実施した「ブラボー」水爆実験で、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」など多くの漁船の乗組員らが「死の灰」(放射性降下物)をあびて被曝(ひばく)したビキニ事件。2011年の福島原発事故を受け、「ビキニと福島はつながっている」と訴える第五福竜丸元乗組員の大石又七さん(82)の話に、今こそ耳を傾けたい


     ◇


■第五福竜丸元乗組員・大石又七さん

 福島原発事故が起きるまでは、ビキニ事件のことは世間から忘れられていました。マスコミも私のところに全然来なかったです。福島の事故がなければ、完全に消えていったでしょうね。放射能と内部被曝っていう大きな問題を福島が呼び起こしちゃったよね。半世紀以上前にあったことを忘れていたのか、抑えられてきたからか。みなさんが知らないで生きているだけのことだと、私の目には映ります。知ってることは話しておかなきゃね。

 私たちビキニの被曝者がたどった道を、福島で放射能を浴びた人たちもたどっているんだと思います。本当に気の毒だと思うばかりです。福島の人たちの苦労が始まったわけですからね。

 第五福竜丸の乗組員23人のうち、半分以上は放射能が原因とみられる病気で亡くなりました。放射能の中に放り出されている福島の人たちには、これからいろんな形でいろんなことが起こる。そのことの始末ができない以上は、これから先もずっと続いていくということになりますのでね。あまり声を大きくして言えないようだけど、ほんとは声を大きくして言わないといけない。声を大きくすると困る人が出てくるってことが、まったく困ったことなんだよね。

 これから福島原発の放射能による病気が見つかっていくんでしょうけど、お医者さんはきちんと事実を発表して、それが起こらないようにしないと、いつまでたってもなくならない。まあねえ、国自体がこのことを隠そうとして一生懸命になってるんだから、お医者さんにしろ学者さんにしろ、わかってても手をつけないんでしょう。だって自分が不利になるもん。そういうものなんだよね、この放射能とは。日本はこれまで、核というものの扱いをそういうふうに持ってきたから、福島のの被災地にもそういうことが起こるんだよ。そんなことは分かってることなんだけど、やっぱりそれにお金がからむと、人間ってのはお金に弱いのかな。負けちゃうんだよね。いやだね。

 危険ということより、お金が先に来ちゃってる。よく調べたら、原発自体がやっちゃいけないことだったんだよね。よく調べないから、それに手を出して、つかんでしまう。いったんカネをつかんだら、放さないですからね。あとにひきずって、いま、こういう結果になってるんでしょ。どっかで道を間違えているわけですよ。人間の弱さが、そういう道をつくってるんですよ。だれを責めるっていうのは、難しいんですよね。責任者を探せばいないことはないけれども、だからっていってその人に決めつけられないし、歴史の大きな流れの中でそういうことが起こってくる。はっきりどっかで線引きしないと、また原発事故が起こっちゃうでしょう。


【被爆させられた船】

 (東京・夢の島の第五福竜丸展示館で展示されている)福竜丸を見るたびに思うのは、この船もおどらされたんだな、と。福竜丸自体が被曝したんじゃなくって、そういう時代の中で被曝させられた船なんだって。大きく考えたら、日本人の心がヒバクしたんだよね、あの時。それを船が警告してる。ずっと教えてるんだよ。「おれは被曝したあわれな船じゃないんだ」って言ってるように見えます。都合の悪いことは全部この船に押しつけて。この船だけが被曝したってことで終わらせてるわけでしょ。あのころ、ビキニ環礁では、のべ1千隻に及ぶ日本の漁船が漁をしていて、アメリカの一連の核実験の放射能を浴びて、あとになって大勢の人が発病して亡くなっているんだけど、だれもその責任を認めていない

 私は言わないと気がすまないっていうのがあったね。被曝させられたことすら知らずに死んでいった仲間がかわいそうでならなかった。福竜丸乗組員の中で短い人では今の私の半分くらいですよ、人生が。私は普通の人以上に長生きができたんだから、自分の寿命はまっとうできたと言っていいと思うんですよ。苦労はしたけどね。その代わり、いろんなことを教えてもらったよね。どっかで恩返ししなきゃ申し訳ない。ただ、だらだら長生きしたで終わりたくないから。使命なんて立派なもんじゃないけどね。

 私の最初の子供は死産、私も肝臓がん、慢性心房細動、高血圧、気管支ぜんそく、糖尿病、肺には腫瘍(しゅよう)を抱え、二十数種類の薬を飲みながら命をつないでいます。4年前、家内のアルツハイマー病の悪化による看病疲れで自分が脳出血で倒れ、右半身と言葉に支障をきたしました。

 もう、これ以上体が良くなることはないですけどね、仲間が若くして死んじゃってることを考えればまだまだ幸せなほうで、助けられてます。神様がビキニ事件のことを伝えるために、こいつだけは生かしておけと言ってるのかもしれない。そうでないと、死んでいった連中に申し訳ないもの。生き残ったことが幸せかどうかはわかんないけどね。ああだこうだと文句は言えるから、いいんじゃないですか。仲間は言いたいことも言えないで死んでいってるからね。

 ふるさとを捨てて出てきてますから、帰るところはない。つきあいはありません。生まれ変わったら、この船に乗って同じことをしたいとは思わないけど、海の生活や魚は好きだから、そこには戻りたいね。陸の生活っていうか、人間同士の生活はだましあいをしているようにしか見えません。

 もともと、静岡から東京に出てきたのは隠れるため。福竜丸の仲間うちで私が一番ガキだったんで、地元に残って静かに暮らしていくことができなかった。地元では「罪人」でしたよ。ほかの船の漁師たちを苦しめたんだからね。(ビキニ被曝事件によって)漁はできないし、お金は入ってこないし、生活も苦しいっていうのをみんなが味わったからそういう怒りは、それを持ってきた我々福竜丸のほうへと向けられたんですよ。人間ってそういうもんだよね。あいつらが持って来なきゃ、自分たちも苦労しなくてすんだんだっていう考えになるんですよ、単純に、事件の内容がわかんない人は。それが普通の漁師ですからね。カネが入らない、食うものがない、苦しい、となれば、その原因をつくったやつが悪いやつになるんだよね。

 地元に残った仲間もそういうことでずっといじめられて、いまもそれが抜けないんだよね。重荷をしょって地元で暮らしたって面白くもなんともない。ほんとに罪人とおんなじですよ。私はそんなこといやだから、せめて都会へ出て、みんなとおんなじような気分で生活したいと思って、おおぜいの中にまぎれこんだ。事件のことを言わなきゃわかんないんですから、東京ではね。

 だから、私は平和運動家じゃないんです。東京の雑踏にまぎれて洗濯屋になって隠れてたんです。それが半世紀の長い間に逆転しちゃった。ずっとビキニ事件のことは隠してたんだけと、政府と交渉したときに、私たちの病気はたいしたことないというふうに言われて、これは間違いなく放射能の影響があったんだ、それでずいぶん悩んで苦しんだんだっていうことを伝えなきゃ意味がないと思うようになったんだよね。

 アメリカの公文書館で調べて日米交渉の真実を教えてくれる人も出てきた。ビキニ事件そのものが根本的な解決をしていないし、このままでは人類のためにもマイナス面のほうが大きい。そういうことが年を追うごとにわかってきた。なのに日本の政治家や役人はアメリカの家来になって、今もひた隠しにしてる。裏切りですよ

 いまや戦争好きの軍国主義者らが政権を握っている。これも裏切りですよそういうことのために戦場に行かされた人たち、たくさんの人たちが帰りたくても帰ってこられなかったという歴史的事実をいまの若い人はなんにも知らない

 私は戦時中の教育を受けて、特攻隊員になろうと思って勉強してたんだから、当時の指導者がどういうことを言って若者を戦場に送ったか知っている。それはもう腹がたちますよ。表だっては言えないけどね。でも、それが本心なんですよ。それが私のいまの発言の根底にあるんですよ。怖いからみんなが黙ってるけどね、腹の中には私と同じ考え方を持っているはずです。


【政治決着という不合理】

 (ビキニ事件で、米政府は日本政府に200万ドルの「見舞金」を支払い、核実験で第五福竜丸の乗組員23人を被曝させた米国の責任を不問にすることに日本側が応じた)あの政治決着という、私たちが受けた扱いは正当じゃないですよ、不合理です。いくら敗戦国だといっても、当時は戦争中じゃなかったわけですからね。間違ってるよ。

 間違ってるけれども、そういう時代で、戦争に負けた国の弱さが、そういうところに出てくるってことを、みんな知らなきゃいけない。力で抑え込まれたっていう事実だけは、ちゃんと記しておかなきゃ。負けた国の弱みだよね。戦争に負けたってことなんだよね。

 当時の(日米政府交渉をめぐる機密)文書が少しずつ出てきてますね。そういったものが出てくるから、判断ができるわけです。何が間違ってたか。過去の歴史を学ばなかったら、今の判断が出てこないですよ

 福島原発事故について、政治家や科学者は自分たちの誤りで起こしてしまったという認識はあるのでしょうか。経済が優先され、ビキニ事件のように人権と命が無視され、真実は隠されている責任問題も補償問題も健康問題も、ビキニ事件に立ち返って考え直さないと答えは出てこないと思いますよ。

 ビキニ事件当時、日米政府は水面下で大変な取引をしたんだよね。それは、原発の導入です。「日本は地震大国であり、放射能についてはまだ十分に分かっておらず、危険である」と言って反対していた学者もいたんだけど、その考えは押しのけられた。ビキニ事件でこうむった膨大な被害を200万ドルというわずかな見舞金にすり替え、太平洋で行われていたアメリカの水爆実験を容認する代わりに、原子力技術と原子炉が日本に導入されたんです。ヒバクシャを切り捨て、地球汚染も容認し、地震大国である日本に危険な原発を安易に導入したんだよね。

 今また同じことをやってるな、と思います。過去を知らない人は、いいか悪いかが分からないまま過ごしていっちまう。それは、間違いだと思うんですよ。無責任。政治家にしても学者にしても、過去を知ってりゃ、こんなことは出来ないと思うよ。放射能が人間に及ぼす影響というものをはっきり知ってたらね。原発を再稼働させて、それをよその国にまで売ってカネにしようなんていう考え方は出てこないはずですよ。できないはずですよ、人間としてね。それを平気でやれるってことは、過去を知らないから、おカネになるんなら、事故が起こらないようにするんならっていう、そういうことに流されちゃう。もっとひどいことが必ず起こりますよ。

 核兵器とおんなじで、原発も被害を作り出すものだってことは証明されたよね、福島でね核兵器は悪いけど原発はいいもんだってことを盛んに言ってきたけど、そうじゃないわけで、いまや原発のほうが核兵器よりも直接の害を及ぼしてますからね。核兵器は持って威嚇してるだけだけど、原発は実際に人類に害を与えているんだから、原発の方が直接的には悪いんじゃないの。そういうふうに見えるもんね。

………。
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●『放射能を浴びたX年後』: 「国はこれまで福竜丸以外の船員の追跡調査をしてこなかった」

2015年01月16日 00時00分33秒 | Weblog


毎日新聞の記事【ビキニ水爆実験:船員被ばく追跡調査 福竜丸以外で初】(http://mainichi.jp/select/news/20150105k0000m040074000c.html)。

 「当時周辺で操業していた他の船員について健康影響調査に乗り出すことが分かった。被災船は全国で少なくとも500隻、被災者は1万人に上るとされるが、国はこれまで福竜丸以外の船員の追跡調査をしてこなかった」。
 東京電力原発人災から『X年後』を想像しようともしないアベ様達・・・・・・そしてまたしても「沖縄」がすっぽり抜け落ちようとしていないか?

   ●米軍の「差別性の極み」:NNNドキュメント’14
       『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』
   『●東電原発人災の『X年後』:
       厚生省「1.68ミリシーベルト」 vs 研究者「1400ミリシーベルト」
   『●東京電力原発人災から『X年後』
       ・・・・・・取り返しのつかないことが現実化してはいまいか?
   『●「アベノミクス選挙という愚」
       『週刊金曜日』(2014年12月05日、1019号)について
   『●「敗戦70年 日本人は、戦争で何をしたのか」
                   (2015年1月9日、1022号)

     ■⑭『週刊金曜日』(2015年1月9日、1022号) / 
      岩崎大輔氏【黒塗りだらけだった「ビキニ被ばく」の政府間公開文書
      時間との闘い続く『X年後』】の真相究明】、「伊東英朗監督・・・・・・
      開示された2700頁の重要な部分が黒塗り・・・なぜ、60年も経った
      今も黒塗りにしなければならないのか・・・・・・」

 

     ■⑮『週刊金曜日』(2015年1月9日、1022号) / 岩崎大輔氏
      【黒塗りだらけだった「ビキニ被ばく」の政府間公開文書 時間との
      闘い続く『X年後』】の真相究明】、「福島で上映会を行うと、
      500人の観客が集まった。上映後、いつまでも拍手が続いた」。
      取り返しのつかないことが現実化してはいまいか?

 

     ■⑯『週刊金曜日』(2015年1月9日、1022号) / 岩崎大輔氏
      【黒塗りだらけだった「ビキニ被ばく」の政府間公開文書 
      時間との闘い続く『X年後』】の真相究明】、「福島での上映は
      悩みました・。。。。・乗組員の死をもって被曝が証明される最悪の
      状態となった・・福島の人から励まされたことに責任を感じます」

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http://mainichi.jp/select/news/20150105k0000m040074000c.html


ビキニ水爆実験:船員被ばく追跡調査 福竜丸以外で初
毎日新聞 2015年01月05日 07時30分(最終更新 01月05日 09時21分)



http://mainichi.jp/graph/2015/01/05/20150105k0000m040074000c/001.html
ビキニ水爆実験で漁獲物を廃棄した漁船


 1954年に静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくした太平洋ビキニ環礁での米国の水爆実験を巡り、厚生労働省が近く、当時周辺で操業していた他の船員について健康影響調査に乗り出すことが分かった。被災船は全国で少なくとも500隻、被災者は1万人に上るとされるが、国はこれまで福竜丸以外の船員の追跡調査をしてこなかった。当時の放射線検査の記録が昨年見つかったことを受けたもので、ビキニ水爆実験での被害の位置づけが大きく変わる可能性が出てきた。

 水爆実験では54年3月14日に福竜丸が帰港した後、他の漁船やマグロからも放射線が検出された。同18日に国は東京など5港を帰港先に指定。放射線が一定基準(距離10センチで毎分100カウント=放射線測定器の計測値)を超えた漁獲物を廃棄処分し、船員についても毎分500カウントを超えれば精密検査を行うとしたが、同年末で放射線検査は打ち切りに。翌55年1月4日、米国側の法的責任を問わない「慰謝料」として200万ドル(当時のレートで7億2000万円)を日本側が受領することで「完全な解決」とする日米交換公文に署名、政治決着させた。

 55年4月に閣議決定した慰謝料の配分先には福竜丸以外の船員123人の治療費や992隻が水揚げした汚染マグロなどの廃棄経費も含まれていた。しかし、国はその後、こうした船員らについて全くフォローをせず、86年3月の衆院予算委分科会で今井勇厚相(当時)は当時の記録の存在を否定した上で「30年以上前のことで調査も難しいし、対策を講ずることは考えにくい」と答弁していた。

 国の対応を転換させたのは、高知県で80年代から船員の聞き取りを進めてきた市民団体「太平洋核被災支援センター」の活動。山下正寿事務局長は、被災時に厚生省がまとめ外務省を通じて米国側に提供した検査記録の一部を同省が2013年に開示したことを受け、基になった記録の開示を14年7月に厚労省に求めた。

 同9月、厚労省は延べ556隻、実数473隻の船員の体表面などを検査した記録を開示した。厚労省幹部は「過去に薬害エイズもあり、『資料を隠していた』と指摘されることに厚労省は敏感だ」と話し、記録開示の延長線上で船員らの健康影響調査をせざるを得なくなったことを示唆する。

 福竜丸以外の漁船を巡っては14年8月、岡山理科大の豊田新教授が広島市内で開かれた研究グループの会合で、水爆実験の東方約1300キロの海域にいた高知県の船員の歯を調べたところ最大414ミリシーベルトの被ばくをしていたと報告。同グループは広島大の星正治名誉教授の呼び掛けで集まった放射線被ばくの研究者や山下事務局長らで構成され、血液の細胞中にある染色体異常なども調べている。

 関係者によると、厚労省の健康影響調査は、専門家らを集めた研究会を設置し、同省の記録に基づき当時の被ばく状況を推計するとともに、福竜丸の状況と比較する。星名誉教授らのグループによる船員の歯や染色体異常の検査も聞き取り調査する。【日野行介】


 米国が1954年3月1日〜5月14日に太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁を中心に行った6回の核実験。初回に東方約160キロの危険区域外にいた第五福竜丸が放射性降下物(死の灰)を浴びて被ばく、乗組員23人のうち無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)が半年後に死亡した。日本船は広範囲で被災し、漁獲物を廃棄するなどした。厚生労働省は「当該海域に延べ1000隻、(2回以上被災した船もあり)実数550隻程度と言われる」とし、1隻当たり約20人、実数で約1万人が影響を受けたとみられる。



 ◇解説 実態に迫る一歩に

 国がようやく着手する第五福竜丸以外の船員の調査は、病歴や死因を含めて一人一人の状態にどこまで踏み込むかが焦点になる。

 福竜丸以外の船については、厚生労働省や外務省の開示記録でも、宮古港に帰港した貨物船への岩手医科大の検査結果として「放射能症状を疑わせる者4名」がいた事例などが報告されている。だが、こうした事例に対する国の対応について、水爆実験直後に政府の調査船でビキニ環礁に赴いた研究者らのグループは、1976年発行の「ビキニ水爆被災資料集」で「(福竜丸以外の)乗組員の被災状況が明らかにされたものでも、その後に健康診断が行われたかは不明で、追跡調査が行われた記録もないと批判していた。

 一方、厚労省は昨年の開示記録について、当時の船員の最大被ばく量は毎分988カウントだったとして「2週間同じペースで被ばくした場合の線量は1.68ミリシーベルトで、健康に影響する国際基準(100ミリシーベルト)を下回っている」と説明。被ばくは微量に過ぎず影響はない、と強調する。

 被ばくの影響を巡っては、疫学的な調査では明らかに「健常者との有意な差」(異常)があっても、外部被ばくの線量評価だけで「被ばくはわずか」と影響を否定するという対立がこれまで繰り返されてきた。ビキニでの被ばくに詳しい安斎育郎・立命館大名誉教授(放射線防護学)は「大事なのはとにかく多くの情報を集め、(当時検査していない)内部被ばくを含めた被ばく実態に迫ること。民間では調べられないことでも国なら調べられる。それをする意義は大きい」と指摘。国は調査で「一歩前」に出ることが求められる。【日野行介】
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●映画『放射線を浴びた『X年後』』: 「こんな巨大な事件が、・・・日本人としての資質が問われる」

2013年02月16日 00時58分32秒 | Weblog


レイバーネット日本(http://www.labornetjp.org/の『●木下昌明の映画の部屋』から(http://www.labornetjp.org/Column/20121211。東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012082290070613.html)とコラム「筆洗」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012091302000110.html。最後に、映画『放射線を浴びた『X年後』』のWPから(http://x311.info/message/、http://x311.info/keyword/)。

   「こんな巨大な事件が、全体像が明らかにされないまま現代史に
    埋没するなんてことは、日本人としての資質が問われる」

 こんな事件があったなんて、衝撃的。まったく知らなかった。1年ほど前に「NNNドキュメント」で映画の原本と云えるものが放映されたらしいが、覚えていないということは、見損ねたのか。
 第五福竜丸だけではなく、しかも日米両政府の「密約」があったというのが驚き。

   「たとえば「第二幸成丸」の乗組員20人中17人が、「新生丸」では
    19人中17人が死亡している。それなのに米政府は、200万ドルの
    慰謝料を支払うことで“完全解決”を図り、日本政府が受諾し、
    一切の調査を打ち切って隠蔽した。翌年から、すべての魚が無検査で
    全国の食卓にのぼった」・・・・・・。

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http://www.labornetjp.org/Column/20121211

木下昌明の映画の部屋・第153
伊東英朗監督『放射線を浴びたX年後』

「第五福竜丸」事件の実態暴く――フクシマ「X年後」の未来は……

 「3・11」以降に見た放射能問題を扱った数多くの映画のなかでも、伊東英朗監督の『放射線を浴びたX年後』は刺激的だった。一つの事件を介して、日本人とその社会のあり方を問うていたからだ
 この作品は今年1月「NNNドキュメント」で放映されたテレビ番組を、新たな映像を加えて映画用に編集し直したドキュメンタリーである。1954年、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」がビキニの水爆実験によって被曝した事件を扱っている。この事件が、戦後文化の象微となったゴジラ映画誕生のヒントとなったことはよく知られている。
 だが、実は被曝したのは1隻だけでなく992隻に上った。しかも、船員の多くは若くしてがんで人知れず亡くなっていた。たとえば「第二幸成丸」の乗組員20人中17人が、「新生丸」では19人中17人が死亡している。それなのに米政府は、200万ドルの慰謝料を支払うことで“完全解決”を図り、日本政府が受諾し、一切の調査を打ち切って隠蔽した。翌年から、すべての魚が無検査で全国の食卓にのぼった。
 この事件を、高校教師の山下正寿とその教え子たちが28年かけて調査、記録していた。そのことを知った南海放送の伊東監督は調査に参加するとともに独自に船員家族の取材を始める。埋もれていた実態が次々と明るみに出てくるこのシーンが見どころだ。
 また映画は、米国から入手した機密文書によって、日本全土が放射性降下物「死の灰」に覆われていた実態も図面によって明らかにする。米国は、日本の米軍基地で死の灰を予知し、観測していたのだ。
 山下は語る。「こんな巨大な事件が、全体像が明らかにされないまま現代史に埋没するなんてことは、日本人としての資質が問われる」と。
 この映画から、フクシマの「X年後」が見えてきて誰しも愕然となろう。
 映画は現在、全国で自主上映されているが、東京では今年の目玉の一つとして上映される。フェスタは、映画や音楽を通じて身近な労働や生活を見つめ直す趣旨で毎年開かれている。他に、中川五郎のライブや3分ビデオ大会など。
木下昌明/『サンデー毎日』 2012年12月23日号)

「レイバーフェスタ」は12月15日午前10時30分~ 新宿区大久保のR’sアートコートで。
問い合わせは、℡ 03-3530-8588

〔付記〕 再録にあたって、若干の加筆をした。
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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012082290070613.html

ビキニ水爆実験 調査続ける元教諭 死の灰1000隻に 恐怖今も
2012年8月22日 07時06分

 一九五四年の米軍のビキニ水爆実験では、第五福竜丸だけではなく、約一千隻ものマグロ漁船が死の灰を浴びた。高知県宿毛(すくも)市の元高校教諭山下正寿さん(67)は三十年近く調査を続け、船員たちが長く健康被害に苦しみ、がんなどで亡くなった実態を明らかにした。「核の恐怖は三十年後、四十年後でないと分からない」。福島という核の体験を重ねたこの国で命の重みを問い続ける。 (森本智之

 二十一日の東京・築地市場の正門近く。被ばくマグロが大量廃棄されたことを伝える金属板に、足を止める観光客はいない。「寂しいですね」と山下さんがつぶやいた。
 終戦四十年に当たる八五年夏。社会科教諭だった山下さんは高校生らと地元の原爆被爆者への聞き取りをした。年老いた女性から「長崎で被爆した息子はビキニでも被ばくし、最後は自殺しました」と聞いた。
 爆心地から一・八キロの長崎市の自宅で被爆。宿毛に移り住み、母子家庭を支えるためマグロ漁船に乗り始めたという。戦後復興のため「沖合へ遠洋へ」と国が旗を振った時代。貧しい港町でほとんど唯一の高収入を得る手段だった。航海を重ねるうち、のどの痛みなどを訴えるようになり、入院先の神奈川県で海へ身を投げた。二十七歳だった。
 「第五福竜丸の他に死の灰を浴びた人がいた。それも身近に」。当時の新聞記事や公文書を調べると、計六回の水爆実験の際、付近で操業していたマグロ漁船は帰国後、被ばく検査を受けた。マグロの廃棄を求められたのは九百九十二隻。三分の一に迫る約二百七十隻は高知県船籍だった。日米両政府は二百万ドル(当時のレートで七億二千万円)の慰謝料で決着。その後、船員の健康調査は行われていない
 山下さんたちは突き動かされるように、県内の漁村を訪ね歩く。偏見や風評被害を恐れ沈黙していた船員たちも口を開き始めた。航海中、汚染された雨水を飲み、被ばくマグロを食べていた。「きのこ雲を見た」「白い粉が降ってきて口に含んだ仲間が、血を吐いて死んだ」という証言をいくつも得た。
 身元が判明した百八十七人中、四十人は死亡していた。大半は六十代前後。うち十三人ががんだった。「マグロ漁師は早死にする」とうわさされる地域もあった。
 元船員らの団体をつくるなどして補償を国や県に求めた。「因果関係が不明」と相手にされない中、元船員らは相次いで亡くなった。今も調査は続ける。
 東京電力福島第一原発の事故後も「放射能の直接的な影響で亡くなった人はいないという論で再稼働を求める動きがあることに、市民の被害を過小評価する姿勢は変わっていないと危惧する。
 今夏、自身の前立腺がんが分かった。この日、東京を訪れたのも治療のためだ。「核実験でがん患者の数が増えていると警鐘を鳴らしてきた。その私ががんにかかるとは『もっと頑張れ』と誰かに言われているような気がする」

<ビキニ水爆実験> 1954年3~5月、米国が南太平洋ビキニ環礁などで計6回行った。放射性物質を含む死の灰が広範囲に降り、近くで操業していた静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の無線長久保山愛吉さんは急性放射線障害で死亡した。この年を含め、米国は周辺海域で原水爆実験を繰り返しており46~58年に計67回行った

(東京新聞)
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012091302000110.html

【コラム】
筆洗
2012年9月13日

 米国は一九五四年、太平洋のビキニ環礁などで、六回もの水爆実験を繰り返した。無線長だった久保山愛吉さんが亡くなった「第五福竜丸」以外にも、多くの日本の漁船が「死の灰」を浴びたことはほとんど知られていない▼同じ海域で数多くのマグロ漁船が操業していた。二百七十隻は高知県の船だった。闇に葬られそうだった事実を発掘しようと、高校の教員だった山下正寿さんは三十年かけて、生徒とともに漁村を訪ね歩き、聞き取りを続けた▼調査の過程で二百人以上の元船員の消息が分かった。健在なら五十代から六十代のこの時期に、三分の一の人はすでにがんなどで亡くなっていたという▼山下さんの調査の足跡を丹念にたどり、生存している元船員や遺族への取材を重ねた南海放送(松山市)のドキュメンタリーが映画になった。「放射線を浴びた『X年後』」。十五日から東京都内で上映が始まる▼なぜ、被曝(ひばく)の記憶が消えたのか。船員には米国からの補償金は届いたのか。歴史の底に沈む闇を照らそうとするジャーナリズムの熱意が伝わる。山下さんの執念が、地方のテレビ局に乗り移ったかのようだ▼南海放送が独自に入手した米国の原子力委員会の機密文書からは、日本全土が核実験の死の灰で覆われていた実態も明らかになる。福島第一原発の事故を経験した今、映像は重い問い掛けを発している。
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http://x311.info/message/

プロデューサー 大西康司

 はじめに、何故「もうひとつの第五福龍丸事件」を愛媛の放送局が?という疑問を持つ方が多いと思います。今から8年前、私にとっても1954年に起きたいわゆる'第五福龍丸事件'は遠く、歴史上の、そして教科書上の出来事に過ぎませんでした。しかし伊東英朗ディレクター(監督)が掴んできた「ビキニで被災した元マグロ漁船乗組員が、愛媛にもいるらしい」という思わぬ情報は「不思議な感覚」を私に呼び起こしました。それは歴史が'今'に生きている「不思議さ」であり、広島・長崎・第五福龍丸だけと思っていたこの国の被ばく者が、自分の近くに共存している「驚き」でした
 2004年から始めた取材。伊東ディレクター(監督)との約束事は一つ。それは、被取材者と近い位置にいるローカル局制作者として「一人の人間の'痛み'を忠実に丁寧に描くこと」によって、「個人と国家」の関係が問われるこの事件の実態・本質に迫っていこう、ということでした。そう、「一人の人間に寄り添うことから本質へと迫る」…これはローカル局の'限界'ではなくローカル局だからできる'可能性'なのです。手探りの中、ひたすら、ひたすら現地を訪ね、一人一人の証言を積み重ねていく取材…「小さな井戸を掘り続け、それを'普遍'につなげていく」…8年の取材を重ねる中、社の理解を得てローカルで粘り強く放送を続けることができたこと、そして何より日本テレビ系「NNNドキュメント」で2回に渡り全国放送できたことが、この'小さな井戸'を掘り進んでいく大きな勇気となりました。
 そんな取材の集大成として突き進んだ映画化。
 この映画が発掘した事実を'一人'でも多くの方に知って欲しい。
 この映画を見て頂いた'一人'が、その立場や考え方を超えて噛みしめて欲しい。
 この映画を'一人''一人'にしっかりと届けたい。
 …'一人'の人間にこだわる私達の願いです。
 最後に、南海放送というローカル局が'テレビ'というメディアを超え'映画'に挑戦する試みが可能になった背景には、日頃「メディアとメディアの新しい組み合わせ」を積極的に推進してきた南海放送トップの後押し、様々な現場の仲間による社を挙げての協力・応援がありました。そして勿論、'映画'という未知の航海への'灯台'となって頂いた 日本テレビ系「NNNドキュメント」関係者の皆様のご指導、御協力があったればこそです。改めて深く感謝致します。

大西 康司【プロフィール】
 昭和57年南海放送入社。以来、様々な番組を制作、プロデュースを行う。報道情報本部制作部長などを経て、現在 執行役員テレビ局長。


監督 伊東英朗

『高校生で訪れた広島』
 原爆で焼かれた一人ひとりの壮絶な死を知り、その苦しみに自らを重ね合わせた時、深い絶望と強い怒りを覚えた。10代だった僕はその思いを「忘れること」は、加害と同じだと考えた。以来、折にふれ広島を訪れるようになった。そしていつからか「忘れない」ではなく「何かできることをしたい」と思うようになった。

『8年前』
 インターネットで番組リサーチをしていた時。元高校教師 山下さんの活動を伝える記事が目に飛び込んできた。『…第五福竜丸以外の多くの被ばく船を調査…』「第五福竜丸以外の船?そんな話聞いたこともない。僕だけが知らないことなのか。」まるで狐につままれたような感覚だった。

『確かめたい』
 番組制作を共にやってきたプロデューサーの大西と、4時間をかけ高知県の山下さんを訪ねた。山下さんは静かに語り始めた。「多くのマグロ漁船、貨物船が被ばくし、汚染された魚が水揚げされ食卓に運ばれた。いつしか事件は第五福竜丸事件として記憶された」と言う。それまで当たり前のように使ってきた「広島、長崎、唯一の被ばく国というフレーズは正確ではなかった。「なぜ事件が記憶から消え去ったのか」僕は、その理由をこの手で解き明かしたいと思った。
 その日からこの事件の取材が始まった。抱えている番組制作の隙間を見つけては現場に通った。費用を節約するため山下さんの自宅を宿舎兼取材拠点とさせてもらった。カメラマンと2人、愛媛西部から高知東部まで300キロを何十回となく往復。被ばく者を訪ね歩く日々。時に怒鳴られ凄まれ、飯が喉を通らないこともあれば「よう来てくれたなあ、ありがとう。お父さんが生きとったらあんたら大歓迎するに。腹減っちゅうがやろ」とカレーをおご馳走になることも。取材で疲れた体で車を運転し会社まで4時間をかけ戻る。その繰り返し。その年2004年には、日本テレビ系列(NNNドキュメント)で全国の人にその事実を伝えることができた。以降、新事実が見つかるたびにローカルでの放送を繰り返した。しかし、番組が事件解明へつながることはなかった。

『乗組員の証言も積み重ねた』
 日米両政府の公的文書、調査記録も検証した。
しかし乗組員が被ばくしたことを裏付けることができないままだった。ところが2009年、米エネルギー省の機密文書を発見。放射性降下物が漁場を中心に拡大、日本全土までもが放射性降下物で覆われていたことが分かった。

『2011年3月11日』
 その日を境に人々の関心は放射能に集まった。「直ちに健康に影響はない」という言葉に疑心し、目に見えない放射線に怯え、風評被害が起こった。

   「ついにあの時がやってきた

テレビの前で呆然と立ち尽くす自分の姿がありった。

『人々に向けられる線量計』
 風で舞い上がり、雨で落下する放射性物質。セシウム、ストロンチウム、ホットスポット、シーベルト…専門用語が飛び交い、新聞紙上に、牛乳やお茶、魚、水などから放射線が検出されたと記事が踊る。風評被害が起こり、わずかの期間で政府は、終息宣言をした。
僕が、港を歩き老人や未亡人から聞いた半世紀前の話が、目の前で起こっていることと重なる。心の中で叫んでいた。

   「半世紀前に身の回りで同じことが起こっていたんだ。
    皆知らないのか
    同じ轍を踏んではいけない。」

 過去の被ばく事件を未清算のまま放置してはいけない。この事件を解明しなければ、今後起こりうる被害を防ぐことができない。
 2012年1月、日本テレビ系列(NNNドキュメント)で1時間番組として8年ぶり2回目となる放送を行った。全国から大きな反響を得、多くの若い世代が見てくれたことが分かった。

『今度は映画化』
 映画館での上映はもちろん、その後の小さな自主上映が調査などにつながって欲しい。それが僕の強くささやかな願いだ。事件はほぼ未解明なままだ。全国津々浦々にかつてマグロ船に乗った人がいる。生存していれば70歳台から80歳台。核実験は、太平洋だけとっても1954年から1962年まで続けられた。被害者の数は計り知れない。解明の第一歩となる被害の実態を調査し、救済の道筋をつけなければならない。小さな行動が積み重なれば光が見えてくると信じている。
 日本テレビ日笠プロデューサーには番組製作から映画化まで親身になってアドバイス頂いた。また、当時のマグロ漁をとらえた「荒海に生きる」、そして高校生たちの取り組みを記録した「ビキニの海は忘れない」などの映像によって、よりリアリティをもってビキニ事件の実相に迫ることができた。
 今、被ばく者たちは自らの死をもって被ばく事件のX年後を伝えている。僕らはそれを重く受け止め、事件を伝え続けなけれならない。
 人々が事件を知ることが、被ばく事件解明の一歩につながると信じている。

伊東 英朗【プロフィール】
 1960年愛媛県生まれ。16年間公立幼稚園で先生を経験後、テレビの世界に入る。東京で番組制作を経験した後、2002年から地元ローカル放送局 南海放送で情報番組などの制作の傍ら、地域に根ざしたテーマでドキュメント制作を始める。2004年ビキニ事件に出会い、以来、8年に渡り取材を続ける。
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http://x311.info/keyword/

ビキニ水爆実験
 米国が1954年3月1日から5月まで、中部太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で行った実験。キャッスル作戦と名付けられた実験は6回(うち1 回はエニウェトク環礁)。3月1日に爆発させた「ブラボー」は広島に落とされた原爆の1千倍以上の破壊力があるとされ、近海で操業中の第五福龍丸(乗組員23人)が被ばく。同年9月、無線長の久保山愛吉さんが死亡した。

ビキニ被災事件の補償問題に関する日本側書簡返信
 日本政府は、1954年12月、被ばくした魚は、人体に影響を及ぼすものではないとして、放射線の検査をすべて打ち切った。そして翌日からは、すべての魚が水揚げされた。その直後、日本政府とアメリカ政府は、公文書を取り交わしている。アメリカ政府が「完全な解決」を条件に、慰謝料として200万ドル(当時、日本円にして7億2千万円)を支払うという文書。日本政府は、その条件を受け入れ、事件は完全な解決とされた。慰謝料は、4分の3が、魚の廃棄や魚価が下がったことによる損害に、残りは、第五福龍丸乗組員の治療費などにあてることが閣議決定されている。

アメリカ原子力委員会の機密文書
 南海放送は2009年、アメリカエネルギー省から、水爆実験を所管した米原子力委員会の機密文書を入手。これは、米国気象局のロバート・J・リストが、1955年5月(実験のおよそ1年後)にまとめたNYO-4645と呼ばれるもので、非公開資料として長年機密扱いされてきた、しかし、1984年8月に一部の数値や文章を削除した状態で公開したものである。「キャッスル作戦からの世界的規模の放射性降下物」と題された機密文書には、世界規模の放射性降下物の広がりが記録されている。各水爆実験の広がりの他、1日毎の広がりが記録されている。この機密文書から、多くのマグロ漁船が放射性降下物に覆われた場所で操業していたこと日本全土が放射性降下物で覆われていたことが裏付けられることになった。また、この文書から、実験の1年前に、すでに122ヶ所のモニタリングポストが設けられていることが分かった。日本では、三沢や東京など5ヶ所。さらに広島や長崎ではABCCが利用され測定が行われていた。

山下正寿(やましたまさとし)と幡多ゼミ(はたぜみ)
 元高校教師の山下正寿氏らが顧問を務める高校生ゼミナール(1983年設立)。高知県幡多地区の高校生が主体となり「足もとから平和と青春を見つめよう」をモットーに、地域の現代史調査活動をしている。1985年から地域のビキニ事件を調査。その姿は「ビキニの海は忘れない」(1990年)で描かれた。
 教師になって高知に帰ってきた山下さんは、仲間の教師や教え子たちと共に、被災者の聞き取り調査を始め、高知県の沿岸部を3年に渡り調査した結果、消息が分かった乗組員は241人。生存していれば50代から60代のこの時期に、既に3分の1が死亡していた。被ばくした魚を水揚げした船は、東北から九州まで全国に渡っていた。その内、3分の1が山下さんの地元、高知船籍の船だった。山下先生は現在も、被災した乗組員たちに、被爆者健康手帳が交付されるように働きかけている。
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