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●【<土曜訪問>表現の幅、狭めない 冤罪事件から着想 ドラマ「エルピス」で脚本 渡辺あやさん(脚本家)】(東京新聞・石原真樹記者)

2022年11月10日 00時00分33秒 | Weblog

(20221109[])
昨日のブログに引き続き。長澤まさみさん主演のフジテレビ系ドラマ『エルピス─希望、あるいは災い─』(制作・関西テレビ)の脚本家・渡辺あやさん。プロデューサーは佐野亜裕美さん。

   『●《権力の横暴とそれに従属するマスコミの報道姿勢への問題意識を燃料に
       書いてきた──。脚本家がそう明言するドラマが、地上波で放送…》

 色々と凄いドラマ。関連した、石原真樹記者による東京新聞の記事を二つ。
 【<土曜訪問>表現の幅、狭めない 冤罪事件から着想 ドラマ「エルピス」で脚本 渡辺あやさん(脚本家)】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/210870)によると、《「冤罪(えんざい)を暴くってことは、国家権力を敵に回すってこと。わかる?」。フジテレビ系の連続ドラマ「エルピス−希望、あるいは災い−」(月曜午後十時)で、冤罪疑惑を報道しようと意気込む若手ディレクターは上司にこうどやされる。渡辺あやさん(52)が、複数の冤罪事件から着想したドラマを佐野亜裕美プロデューサーと考え始めたのは二〇一六年。事件のルポルタージュを読んで「こんなことが日本で起きるなんて」と憤り、筆を執った。しかし企画はストップ。「何とかする」という佐野さんを信じて出す当てがないまま書き上げたが、リスクの高いテーマに、各局から断られ続けた》。

 再度 ―――――― ツイッターでつぶやくと、少なからぬ罵声を頂く飯塚事件も想起しました。『エルピス』では、警察による〝酷い〟取り調べで、自白が強要されています。死刑執行されてしまった久間三千年さんは自白さえなく、一貫して、無実を主張されていました。マスコミの報道も酷ければ、検察や裁判所も酷い。久間さんの死刑執行は、足利事件の再鑑定決定直後です。足利事件で誤鑑定であることが分かった時には、既に、久間さんの死刑が執行されていました。久間さんが死刑執行に値すると主張されても結構ですが、足利事件の再鑑定決定直後の2008年10月28日に執行するのはあまりに酷すぎないか。証拠の保全もデタラメ。せめて、2009年4月20日まで執行を猶予して、一体何の問題があったのだろうか?

   『●贖罪:足利事件再鑑定から12日後の2008年10月28日朝、
                飯塚事件久間三千年元死刑囚の死刑が執行

    「2008年10月16日 足利事件 再鑑定へ
     2008年10月28日 飯塚事件 死刑執行
     2009年 4月20日 足利事件 再鑑定で一致せず
     ……そう、足利事件で誤鑑定であることが分かった時には、既に、
     久間さんの死刑が執行されていた。2008年10月16日
     DNA型鑑定に疑問が生じた時点で、死刑執行は停止されておくべき
     だったのに…。なぜ、急いで死刑執行したのか?、大変に大きな疑問である」

   『●NNNドキュメント’13: 
      『死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 “切りとられた証拠”』
   『●(FBS)【シリーズ『飯塚事件』検証】…《死刑執行は正しかった
     のか》? 罪なき人・久間三千年さんに対しての《国家による殺人》!
   『●NNNドキュメント【死刑執行は正しかったのかⅢ ~飯塚事件・真犯人
      の影~】…《死刑冤罪の闇を12年間追跡し続けたドキュメンタリー》

 もう一つのインタビュー記事【「エルピス」脚本家・渡辺あやさん 6年越しの脚本に込めた危機感と覚悟、東京では書けないこと】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/211651)によると、《心をえぐるせりふの数々、深い人物造形、映画のような映像美と音楽。テレビ局員たちが冤罪事件に切り込んでいく関西テレビ制作のドラマ「エルピス―希望、あるいは災い―」(フジテレビ系、月曜午後10時)からは、業界人のプライドと熱量があふれ、ツイッターで「覚悟を感じる」など好意的な反響が続々と寄せられています。渡辺あやさんは6年前、発表する当てのないまま、この脚本を書き上げました。それはなぜか。脚本家としてのこれまでのキャリアを含め、東京と、渡辺さんが暮らす島根でじっくり伺いました。(石原真樹)》

   『●『キネマ旬報』…「戦前・戦中の言論弾圧につながる
       治安維持法が成立した大正末期と…現在が似ている」
    「東京新聞の石原真樹記者による記事【治安維持法 「キネマ旬報」が特集
     「共謀罪」に危機感反映】…《百年近い歴史を持つ老舗映画雑誌
     「キネマ旬報」は六月下旬号に「治安維持法」の特集を組んだ。
     戦前・戦中の言論弾圧につながる治安維持法が成立した大正末期と、
     政府与党が共謀罪法案の成立を目指す現在が似ている、
     という危機感から》」

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/210870

<土曜訪問>表現の幅、狭めない 冤罪事件から着想 ドラマ「エルピス」で脚本 渡辺あやさん(脚本家)
2022年10月29日 13時21分

 「冤罪(えんざい)を暴くってことは、国家権力を敵に回すってこと。わかる?」。フジテレビ系の連続ドラマ「エルピス希望、あるいは災い」(月曜午後十時)で、冤罪疑惑を報道しようと意気込む若手ディレクターは上司にこうどやされる。

 渡辺あやさん(52)が、複数の冤罪事件から着想したドラマを佐野亜裕美プロデューサーと考え始めたのは二〇一六年。事件のルポルタージュを読んで「こんなことが日本で起きるなんて」と憤り、筆を執った。しかし企画はストップ。「何とかする」という佐野さんを信じて出す当てがないまま書き上げたが、リスクの高いテーマに、各局から断られ続けた。

 そんな中で関西テレビが「世に出すべき作品」と決断すると、大友良英さん、大根仁監督ら実力派が結集した。長沢まさみさん演じる落ち目の女性アナウンサー、もとい、女子アナが、ある死刑囚は冤罪の可能性があるとしてディレクターと調査報道に乗り出す−。

 エルピスとはギリシャ神話に出てくるパンドラの箱の最後に残るものの名前で、「希望」とするか「災厄」とするかで物語の解釈が変わるという。真実にたどり着いてめでたしめでたし、では終わらない。「彼らは正しいことをやりたいと頑張るけれど、結末まで書いたとき、そんなに簡単ではない、と思い至った」。その先は、受け手に委ねられる。

 映画「ジョゼと虎と魚たち」(〇三年)でデビューし、約二十年。今も島根県で主婦をしながら物語を紡ぐ。主婦として育児や介護など誰かをケアするには忍耐力が必要で、それは「人を許すこと」なのだという。「許さなければいけないとき、自分の小さな器が破かれるようなつらさ、痛みがある。つらい思いをして、びりびりと広げる。広げたら少しくっつく。気づけば自分という人間の器が一回り大きくなる」。それが脚本にも反映される。「前の作品では許せなかった、つまり悪人としか描けなかった人を理解できるようになり、主人公にしたくなる感じ」

 近年、「青春モノは当たらなかった」など「雑な理由」で企画が通らないことが多く、「業界から作る喜びがどんどん枯れている」と憂える。ちょっとしたせりふも「セクハラ発言なので」など削除を求められる

 振り返ればNHK朝ドラ「カーネーション」(一一〜一二年)で、主人公・糸子の父親は家族を怒鳴り、殴るDV父だった。「それでも糸子は父親が大好き。こちらが暴力のない父親にゆがめて伝えたところで『人間ってそもそも何なのか』との問いが立たない。常識で言われる『正しいっぽいこと』の中に本当にすべて正しさがあるかというと、そうではない。じゃあ何だろうという問いを持っているべきだ」。表現の幅を狭めたくない、と抵抗を続けている

 二〇年夏に撮影した映画「逆光」(二一年)では脚本だけでなく制作・配給・宣伝に挑んだ。NHKドラマ「ワンダーウォール」で出会った須藤蓮さん監督・主演で、一九七〇年代の広島の尾道を舞台にひと夏の恋を描いた。新型コロナウイルスで仕事が全て止まり、「元気になるにはものを作るしかない」と、二人の持続化給付金をつぎ込んでスタッフや役者を集めた。すると「何かしたい」と思いを共有する人が集まり「どんどん輝いていった」。彼らと今、別の映画を制作中だ。

 脚本を書く、ものを作るのは、生きるためだという。「人間は命の火みたいなものがあって、私は作ることで、その火を一番大きく燃やせる。作ることができなかったら、すごく小さい火力で生きなきゃいけなくて、つらいことや厄災が起きたときに抵抗力がすごく弱かったと思う。コロナのときに『作ろう』と思ったのも、危機を乗り越えるために火力を最大化しようと、本能的に欲した」。同じように、みんなが火を燃やせればいい、と願う。

 「これまで、個人が元気で楽しく生きられているかが問題にされずに世の中が回ってきたけれど、コロナもあり、それは違うと社会が気付き始めた。自分の命の火をかっかと燃やしながら生きる道がどれなのか。それぞれが求められるようになればいいな」 (石原真樹
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/211651

「エルピス」脚本家・渡辺あやさん 6年越しの脚本に込めた危機感と覚悟、東京では書けないこと
2022年11月7日 06時00分

 心をえぐるせりふの数々、深い人物造形、映画のような映像美と音楽。テレビ局員たちが冤罪事件に切り込んでいく関西テレビ制作のドラマ「エルピス―希望、あるいは災い―」(フジテレビ系、月曜午後10時)からは、業界人のプライドと熱量があふれ、ツイッターで「覚悟を感じる」など好意的な反響が続々と寄せられています。

 渡辺あやさんは6年前、発表する当てのないまま、この脚本を書き上げました。それはなぜか。脚本家としてのこれまでのキャリアを含め、東京と、渡辺さんが暮らす島根でじっくり伺いました。(石原真樹


6年前に動きだすも企画ストップ

     (渡辺あやさん=東京都千代田区で)

わたなべ・あや 1970年、兵庫県西宮市生まれ。甲南女子大卒。結婚後にドイツ・ハンブルクに住み、帰国後、島根県で子育てをしながら雑貨店を経営。岩井俊二監督主宰のウェブサイトに応募した脚本が認められて「ジョゼと虎と魚たち」(2003年)で脚本家デビュー。作品は、ほかに「メゾン・ド・ヒミコ」(05年)、「天然コケッコー」(07年)、NHKドラマ「今ここにある危機とぼくの好感度について」(22年)。


 ―プロデューサーの佐野亜裕美さんと企画を考え始めたのは2016年ということでしたね。

 「一緒にラブコメをしましょう」という話をいただき、考え始めたけれど、何か盛り上がらなくて。むしろ政治家の悪口とか、「今の政治おかしいよね」みたいな話になると、2人で熱くなって盛り上がっていました。
 佐野さんが日本の裁判制度に興味を持っていて、いくつか冤罪のルポルタージュを読ませてくれて、「日本でこんなことが起きるなんて」とショックを受けました。せっかく佐野さんとの間で作るのだから2人で同じ熱量で支えていけるものがいいなと思ってやっているうちに、今回の企画になりました。
 私は、目の前にいる人から吸い上げたもので書いているようなところがあって、私自身の「こういうことをやりたい」というのは、ぼんやりとしかないのです。
 「こういう人は魅力的だな」「こういう関係性は魅力的だな」とか、「これが許せんな」とかがストックとして宙に浮いている感じ。それが目の前にいる人と話している中でピューっと焦点が合って像を結ぶ、みたいな瞬間があります。


 ―冤罪についてのショックが作品につながったのですね。

 普段あまりニュースを見ないようにしているんです。職業病なのか、耐性がないというか。「犯行現場」などと聞くと、すごく想像が働いてしまい、しんどくなってしまう。それで冤罪のことをあまり知らなかった。

     (「エルピス」第3話11月7日放送より関西テレビ提供)

 裁判や事件の捜査が正しく行われていると信じたいけれど、必ずしもそうじゃないことが過去にたくさんあって、もしかしたら今もあるかもしれない。その恐怖、不安を感じて、伝えたいと思いました。
 権力の怖さでもありますし、いろんなところにいろんな落とし穴がある。誰かが悪意を持って作った落とし穴ではないかもしれないけれど、いろんな人の都合で、そういうことにもなり得る。それに、再審(裁判のやり直し)をしてもらうにも10年とか20年とかかかるって、恐ろしいですよね。


 ―ところが、企画はストップ。

 テレビ局を内側から自己批判する内容もありますから、冤罪モノを放送するのはリスクが高過ぎるのでしょうね。
 私は「もう、ラブコメやろうよ」と佐野さんに言ったのですが、佐野さんは「あやさんと今さらラブコメなんてやりたくない」と(笑)。私は諦めていたのですが、佐野さんが頑張ってたくさんのハードルを越えてくれて、関西テレビさんの懐の深さもあり、実現しました。
 佐野さんと考えていたころは特に、安倍政権が非常に強くて、インタビューを受けていても自民党の悪口を言った瞬間に場が凍ったりして。特定秘密保護法とか集団的自衛権とか、ひどかったじゃないですか。日本の政治家たちの横暴さがひどくないか、何かおかしい、変だ変だと思っていた。
 その危機感が「エルピス」や、京都の学生寮を舞台にしたNHKドラマ「ワンダーウォール」(18年)につながりました。政治の状況が変わったからか、今はだいぶ空気が緩んだ気がしますが、当時はそんな感じでした。


 ―作品の根底に、危機感や怒りがあったのですね。

 でも一方で、怒りって共有してもらいづらくて。怒っている瞬間に避けられちゃう、距離を置かれちゃうというのをすごく感じた。それで「楽しいことをしている人たち」みたいに見えるようにしよう、と。
 問題の伝え方や口調にはいろいろあると思いますが、「悲劇」とか「同情を買う」とかはどうも効率が悪い。もともと強い問題意識を持った人にしか届かない。例えば、憲法改正をテーマにドラマを作っても、憲法改正に疑問を持っている人しか見ないから、「違うふり」をしなければいけないでしょうね。今の野党の見え方とかにも通じる課題だと思いますが。

     (インタビューに答える渡辺あやさん)


 ―脚本でどこまで書くのか案配はどう考えますか。

 いけるところまでいっちゃえ、と。
 やっぱり怖いし、怒られるのは嫌だから、誰もがなるべく安全なところにいこうとしてしまう。好き好んで突っ込まなくてもと思うのですが、でもそうやっていると、どんどん自分たちの可動域を狭めてしまう。
 やってみて怒られたら引っ込めればいいじゃないかというスタンスです。やれるかもしれないからとりあえずやってみましょう、と。


 ―最初から忖度はしないのですね。

 圧倒的にそっち側の風潮のほうが強いので…。誰もやらないかもしれない、それならせめて、小さなスケールではあるけれど、と。自分たちまでやめてしまうのは怖いと思うのです。
 ほかにも、セクハラ・パワハラなせりふは「視聴者にとって不快なので削ってください」というオーダーがくる。なるべく踏ん張るのですが、例えば「更年期とかはセクハラになるので、視聴者はこういうのを見たら、すぐに『ないわ』とチャンネルを変えちゃう」とか。過剰な反応をする人が多いのも事実で、そこで見るのをやめられちゃうと自分たちが伝えようとしたことが伝わらないというのも分かるのですが、私は作家として、そういう理由でキャラクターをゆがめたくない。ギリギリまで抵抗します。


 ―ドラマ「エルピス」で主人公の恵那を演じる長澤まさみさんがすてきです。

 佐野さんと作品を考えている中で最初に思い浮かんだ方で、肉体と精神のバランスがちょっと取りにくい、もて余している感じがあるというか。落ち込んでいる時と元気な時の振り幅が大きいのではないかなと思って。そういう方は、役者としてとても魅力的なのですね。会ったことはなかったですが、すごく弾力性を感じていました。

     (「エルピス」第3話11月7日放送より関西テレビ提供)

 恵那は、本来すごく能力があり、エネルギーもあるのだけれど、「女子アナ」という仕事をしていく中でエネルギーをどこか殺さないと生きていけないような状況にいる。そこから物語が始まり、彼女が復活していく、そういう伸びしろを表現できる人じゃないかなと思いました。
 演出の大根仁監督は、人物を立体的に撮ることにすごくたけていらっしゃる。それぞれのキャラクターの存在感や格闘という物語の一番の見せどころを撮っていただくのに理想的だなと思って、佐野さんと2人でお願いにいきました。


 ―舞台をテレビ局にした理由は。

 具体的な理由で、映像にしたときに面白い。それから佐野さんがテレビ局の人なので、中の空気や、どういう会話が繰り広げられているのか、リアリティーを圧倒的に持ちやすい。佐野さんは立場的にしんどくなるかもしれず、申し訳ないけれど、テレビ局がいいよね、と。
 そもそも佐野さんとの打ち合わせの8割が会社の愚痴で(笑)。私自身もテレビ局は知らない場所ではないので、他局の人からも色々聞いていました。テレビ局で仕事をするということは、ルーティーンの力がすごく強いんだろうなとなんとなく感じていて、どうしても日々の仕事に飲み込まれていくところがあるんだと思うんです。
 それは個人の力でどうしようも止められない。ルーティーン、システムの力がすごく強くなったときに、いろんなことが飲み込まれていってしまうんだな、と。ドラマでそういうところもたくさん出てきます。

     (渡辺あやさん。仕事場の玄関。入った正面に茶室がある)


 ―ドラマへの期待が高まります。

 私たちはつい守ろうとするけれど、壊れた方がいいこともある。突破するとか壊すとかはすごく怖いことで、安全な時代を生きる私たちはそういうことに慣れていないけれど、壊れた先にもっといいものが生まれてくる可能性がある。それをドラマで体感してもらえたらいいなと思います。


 ―島根県で暮らしていらっしゃいます。古民家をリノベーションした仕事場は、大きな窓から日が差し込み、お茶室もあり、世間とは違う時間が流れているようですね。

 お客さんが東京からお見えになる時に喫茶店で話を聞くのが申し訳なく、お迎えできる場所が欲しいなと思って。午前中に自宅で家事を済ませて、午後から仕事場に来ます。6年前に仕事場を構えるまでは自宅のダイニングやカフェで脚本を書いていました。


 ―佐野プロデューサーや大根監督には「東京で脚本を読むだけでは分からないことが、ここに来ると理解できる」と言われるそうですね。

 想像するに、私たちが生きている世界、宇宙は非常に多層で多様であるということの理解が、東京にいるとなかなか難しいらしい。
 私の作品は非常にシリアスなシーンのはずなのに、ふざけていたり、面白いことが起こったりする。それがどうも台本だけ読むと「不届き」である感じになるみたいなのです。こんな人がこんな態度を取るのは許されるのか、と。
 私は、現実に起こった出来事が、ある人にとっては非常にシリアスかもしれないけれど、ある人にとってはすごく面白い出来事という多層性を描けるのがドラマや映画の醍醐味だと思って書くのですが、「この人、これおかしくないですか」とかいろいろツッコミが入って、どう説明したらいいか分からないそうなのです。


 ―島根に来ると、そのツッコミから解放されるのでしょうか?

 映画「逆光」(2021年)を一緒に作った(主演俳優で監督の)須藤蓮くんがすごくいいことを言っていました。「成長するというのは、今の自分じゃないもっといい自分になることだとイメージしていたけれど、本来の自分にかえっていくことなのだ」と。
 言い得て妙だと思うのです。年を取るごとに私たちは、自分にとって有益じゃない人の言葉とかをどんどん自分に取り込んで、本当は全然欲しくないのにほかの人が「これを持っていたらいいよ」というものを追い求めてしまったりしてしまう。
 私でさえ、たまに東京に行くと、人と話すうちにいろんな価値観が自分の中に入ってきて、「賞を狙わなければいけないのか?」と思ってきたりする。
 別にいらないわけですよ。私は自分が作りたいものを作って楽しめたらいいので。賞狙いでこんなことやらなきゃとか、いらん努力なのです。
 でも、ついフラッとしてしまう。視聴率とかね。いろんな評価軸みたいなのにソワソワしている人たちを見ると、自分も頑張らなきゃいけないのかなって巻き込まれてしまう。
 ありがたいことに、物理的にそこから距離を置ける環境に暮らしているので、ここでお迎えして話す時はそういうものに揺らされていない。その私と話していると、「そうだ、これでいいんだ」と思ってくれるのかもしれない。上からいろいろ言われたりして、本来自分がやりたいことをやっちゃいけないとか、まじめな人ほど苦しむ。たぶんギュウギュウに自分の中で葛藤が強くなり過ぎて、苦しいのだと思います。


 ―東京にいないからこそ書けるのですね。

 東京にいたら、たぶん私は何も書けないだろうと思います。楽しいことがたくさんあって、情報を処理するだけで1日が終わるだろうなと。
 普段あまり積極的に何か情報を得ようと頑張らなくて、いろんな人が一緒に仕事をしたいと会いに来てくださって、その方の愚痴とか悩みとか、ワッと相談されたのをフンフン聞いていると、そこに膨大な情報量がある。そこで社会的な問題とかフェミニズムとかが見えてくる。

 人からですね。それが一番面白いです。

     (渡辺あやさん=東京都千代田区で)

 ―島根の暮らしが脚本に影響している部分はありますか。

 ひとことでは言いにくいですが、コミュニティーにいろんな年齢層の人がいる。東京の人と話していると、同世代の人がたくさんいるので、問題意識を共有しやすい人たちと付き合っている感じがします。問題意識の持ち方が私とは違うなと思いますね。
 島根の暮らしは、自分の生活の中におばあちゃんから子どもまでが常に登場して、私の年齢的な悩みとか自分の世代の悩みに意識があまりフォーカスされない。もっと全体で見る。そこに大きな違いがある気がします。
 高齢化も進んで年がら年中お葬式をやっているし、そうすると、人間の一生なんてあっという間だな、と感じます。私たちが仕事をする、ものを作るなんてことをしていられるのは人生の中の本当にあっという間なので、もう残り時間が全然ないのになぜ原作モノをやるのよ、みたいな感じになるのです。「もったいなくないか?」と。


1匹だけ反対向きに泳ぐ魚

 ―どんな子どもだったのでしょうか? 脚本家としての素養がどこで磨かれたのか知りたいです。

 どうでしょうね。人より感じやすくていろんなことに対して弱いのですが、でも、学校は楽しんで行っていました。人間関係とかが面白いなぁ、輝いているなぁと思って見ている感じ。人前で発言することは全然なくて、今もすごく苦手です。ほかの人が言っていることのほうが面白くて、自分の意見は言いたくない。
 あとは親戚が多くて、親戚が集まった時に誰がどういう振る舞いをするのか、おばあちゃんというのは何もしなくてもそこにいてくれるだけでみんなが幸せな気持ちになれるシンボルだなぁ、と思ったりとか。人間の位置関係とか関係性を見るのは、そういう生い立ちから育まれたのかもしれません。
 ドラマとか映画とかを熱心に見るほうではなかった。本は好きでしたね。三島由紀夫がすごく好きでしたし、村上龍や村上春樹、山田詠美、遠藤周作、田辺聖子さんも好きでした。文豪の作品を読み過ぎて、物心ついた時には自分にはそんな才能ないよな、と思っていました。作文は褒められましたが小学生までで、中学、高校では機会もなかったですし。


 ―学級委員になったりはしなかったのですか。

 ないですね。イワシなど魚の群れの中に1匹とか2匹とか、反対向きに泳ぐ魚がいますよね。ああいう性質があるみたいで、自分のやりたいことをやりたがる。常識で言われていることに対して、いちいちカチンとなるところはあったと思います。


 ―学校の制服に反対するとか?

 制服のことなどはみんなが反対しているからいいのです。もっと小さなこと、個人の自由とか。何かポイントがあるのですよね。
 高校生の頃に、男の子がすぐ「ブス」という言葉を使うとか、そういうのが許せないと、一人でプンプンしたりしていました。自分しか反抗する人がいないなというものを見つけると、「キッ」となる。みんなに見過ごされている、何か理不尽な、個人の自由とか尊厳を奪うものにすごく一人で怒っている感じ。


 ―キャリアを振り返ると、代表作と言われるのはNHK連続テレビ小説「カーネーション」(2011~12年)ですね。

 まぁ長い仕事だったな、と(笑)。どの作品もすごく大事で、ある時期本当に、情をかけた子どもみたいなものなので、優劣はないですね。
 ただ、(阪神大震災15年特集ドラマ)NHK「その街のこども」(10年)は、現実に起こった出来事を初めて書いた作品でした。私自身は被災していないですけれど、出身が兵庫県西宮市なので、どういう体験だったかを知っていて、それをドラマにすることはすごくハードルが高かった。
 依頼がきた瞬間に「うわっ」と思って、すごくやりたくなかったのですけれど、作家として、これは逃げてはいけないなと思って。あの経験があったから「カーネーション」で戦争を書くことができた気がします。


 ―現実に起きたことを書く大変さとは。

 やっぱり表現って本当に傲慢で残酷なこと、人を傷つけない表現はないと思うのですよね。

 いや、あるのですけれど、何も言っていない。今日はいい天気ですね、とか、何も意味がない表現は誰も傷つけないけれど、誰にも聞いてもらえないというか、毒にも薬にもならない。多少なりとも何か表現と呼ぶにふさわしいことをやろうとすると、誰かが傷つくことも同時に引き受けなきゃいけないと思うのです。実際に起きたこと、悲劇的なことであるとか、ある人にとっては非常につらい記憶を書くのって、相当の覚悟がいる。


 ―どう乗り越えましたか。

 引き受けることですね。誰かを傷つけるんだって。それでもやるんだって思うしかない。


 ―映画「逆光」は広島・尾道を舞台に、先輩に恋心を抱く男子大学生の苦しいひと夏の恋物語。監督・主演は「ワンダーウォール」で主演した須藤蓮さんで、渡辺さんは脚本だけでなく、制作・配給・宣伝にも挑戦されましたね。

 「ワンダーウォール」の劇場版に向けて有志で準備をしていた時に彼もいて、ある時「脚本を読んでほしい」と超駄作を送りつけてきました。
 「素人の遊びに付き合っている暇はありません」と鬼みたいに一掃して、だいたいみんな、私の厳しさに触れると去っていくのですけれど、逃げずにもう一度書いてきた。それもまたひどいから、「ふざけるな」みたいな感じで繰り返して、ある時から「この人は本当にもの作りがやりたいのだな」と分かった。何回も私が直しているうちに、曲がりなりにも1作品、脚本ができた。

     (映画「逆光」(©『逆光』FILM ))

 「さぁやるぞ」と準備していたのに、新型コロナウイルスでとんでしまいました。私も仕事が止まり、ポカッと時間が空いて、みなさんもそうだと思いますが、元気がなくなってしまった。
 そこで、ものを作るのが一番元気になれるなと思って、暇だし、最小単位で、私と自主映画監督志望の彼と、遊びで始めようと。頓挫したら頓挫した時と、2人でロケハンしたりシナリオを書いたりとかしているうちにうまくいってしまった、という感じです。


 ―東京ではなく地方で封切られました。

 東京で公開して、ある程度集客して、それを手がかりに各地方の劇場にトリクルダウン、というのが映画業界の法則のように信じられていて、だから地方にはポスターとチラシをポッと送って「適当にやってください」としかならない。
 本当に地方は文化的に栄えないのか、可能性は眠っていないのか、自分たちの目で確かめようと思いました。
 そうしたら、各都市にやりたいと思っている人たちがたくさんいた。そのうちの1人は、昔、映画の宣伝を私と一緒にやった女性で、結婚を機に岐阜県にいって15年くらい専業主婦をしていた。子どもも大きくなって、大好きだった映画の宣伝をまたやりたいと思っていたところにたまたま私に連絡をくれて、一緒にやりましょう、と。そこからの開花っぷりがすごくて、自分で名刺を作り、各劇場や媒体とつながり始めました。


 ―誰かが元気になる話は、聞いている側も元気になります。

 その人たちがキラキラ輝き始めると、周りの人たちもうれしいのです。
 やりたいことを突き詰める須藤くんが希望の星に見えたみたいで、彼を慕う若い子たちも出てきました。就職活動をやめてしまった子も。何年か前までは就職活動をしないなんてあり得ないという感じだったけれど、特にコロナ以降、むしろそっちが当たり前みたいな変化を感じます。不登校の子も増えていますし。
 個人が元気でいられるとか、楽しく生きていられるということって、これまで問題にされずに世の中が回ってきたけれど、あんまり意味ないなと社会全体が気付いてきた。一人一人も、どうやったら自分がちゃんと楽しく元気に日々を送れるかと考え出した。持つべき問題意識をやっと持てているのではないでしょうか。

     (渡辺あやさん=東京都千代田区で)


 ―映像業界も元気にしたい、と。

 今、業界の中に、作る喜びみたいなものがどんどん枯れているなという実感があって。本来であれば、ものを作るとかドラマを作ることは面白さや楽しさがあって、それでこそ人はやっていけるし、業界も盛り上がるし、文化が活気づく。楽しさは見る人に伝わる。
 それなのに楽しそうじゃないとか、自分たちが作りたいものを作れていないとか、大問題だなと思う。一人でもいいから作る喜びみたいなことを体感してほしい、実感してほしい。
 一つでも経験としてきちんと記憶になったら、次の仕事をする時に、それがやるべき仕事かどうか判断できるようになる。楽しくない時に「これは何かがおかしいな」と気づけるセンサーになり得る。
 この仕事をしてきて、たくさん迷ってきたし失敗もしてきて、何が失敗の原因だったのだろうと検証してみると、楽しさをしっかり共有できていなかったとか、何か不純なものが混じっていた。せっかく20年のキャリアがあるので、迷っている若い人に、自分がやれることがいっぱいあるな、と。縁をもらって、やれる相手がいるのであれば、全力でそれをやろうと思っています。

【関連記事】冤罪事件から着想 ドラマ「エルピス」で脚本 渡辺あやさん(脚本家)表現の幅、狭めない
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●《権力の横暴とそれに従属するマスコミの報道姿勢への問題意識を燃料に書いてきた──。脚本家がそう明言するドラマが、地上波で放送…》

2022年11月09日 00時00分25秒 | Weblog

(2022年11月08日[火])
長澤まさみさん主演のフジテレビ系ドラマ『エルピス─希望、あるいは災い─』(制作・関西テレビ)……色々と凄い。第一話で、「なんで冤罪事件?」というのがずっと分からずに引き込まれた。色々な意味での《マスコミの報道姿勢への問題意識》がひしひしと伝わってくる。

   『●布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、
        検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》
   『●斉加尚代監督『教育と愛国』:《教育への政治支配が続けば、日本の
     学校は…政府プロパガンダを信じ込ませる場に堕す》(前川喜平さん)
   『●『教育と愛国』《危うさに気づいた…。監督で毎日放送の斉加尚代さんは、
         ゆがむ教育現場のリアルを伝え「教科書は誰のものか」を問う》
   『●《地元テレビはヒレ伏しヨイショの連続》…一方、ある記者は
     《「こんな状態でも、ひるんじゃダメよ」――。橋下市長より大人だ》った
   『●『教育と愛国』《教科書は誰のものか》…「そんなふうに、教科書
     検定だけではなく学校の現場に、有形無形の圧力が押し寄せている」
   『●『教育と愛国』…《教科書採択に「政治家がタッチしてはいけない…」
     …政治家はタッチしないのが当たり前なのだ》を理解できないアベ様
   『●斉加尚代監督『教育と愛国』…JCJ賞《選考委員から「ジャーナリストが
       決意を固めて取り組めばこれだけの作品ができることを示した」》
   『●金聖雄監督《冤罪被害という絶望的なテーマの中で、私が映画を作り
     ながら希望を見出していくと言う不思議な感覚を、ぜひ映画を観る…》

 リテラの記事【長澤まさみ主演『エルピス』はなぜ安倍元首相の映像を使って権力とテレビの欺瞞を描いたのか? 脚本家・渡辺あやが抱いていた危機感】(https://lite-ra.com/2022/11/post-6242.html)によると、《10月24日にスタートした長澤まさみ主演のフジテレビ系ドラマ『エルピス─希望、あるいは災い─』(制作・関西テレビ)が、話題を呼んでいる。というのも、10月31日放送の第2話で、なんと安倍晋三・元首相の「アンダーコントロール発言の映像が批判的に使用されたからだ。『エルピス』は、民放キー局・大洋テレビを舞台にし、スキャンダルによって報道番組のサブキャスターを降板させられたアナウンサーの浅川恵那(長澤まさみ)が10代女性の連続殺害事件の冤罪疑惑を追う……という“社会派エンターテインメント”作品。本作の脚本を手掛けるのは、第49回ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞したNHKの連続テレビ小説『カーネーション』や、映画『ジョゼと虎と魚たち』などで知られる脚本家・渡辺あや氏で、監督は『モテキ』『SUNNY 強い気持ち・強い愛』をはじめとする映画作品やテレビドラマを手掛けてきた大根仁氏。プロデューサーはドラマファンから評価が高い『カルテット』(TBS)や『大豆田とわ子と三人の元夫』(関西テレビ・フジテレビ)の佐野亜裕美氏が務めるとあり、放送前から注目を集めていた》。

   『●「原発推進」という結論ありきのパフォーマンス
   『●放射能汚染で「太平洋は終わり」との声が出るほどの
              重大事故だというのに、この国は……
   『●世界に向けて「汚染水漏えい問題はない」と言い切ってしまったょ……
   『●金(カネ)色の五つの輪…《問題点を検証できる新聞のような
           メディアが軒並みスポンサーに入ってしまっては…》
   『●《安倍晋三首相は…「まったく問題はない。汚染水の影響は、
             港湾内で完全にブロックされている」と強調した》
   『●「アンダーコントロール」な訳がない…そもそもウソにウソを
      重ねて、金(カネ)色の五つの輪をニッポン誘致しておいて
   『●三浦英之記者の質問「今でも『アンダーコントロール』だとお考えで
     しょうか」? アベ様のお答え「…その中で正確な発信をした…」!?
   『●《アンダーコントロール》演出でアベ様らがCOVID19人災という
     「火事場」を作り、電通やパソナが《中抜きで大儲け》な「泥棒」を働く…
   『●《日本のメディアの閉塞状況》《閉塞するメディア、政権批判に
                   対して圧力がかかる不健全な言論状況》…
    「リテラの二つの記事【横田一「ニッポン抑圧と腐敗の現場」57/
     政権の圧力を押し返した韓国のテレビ記者と、吉田調書報道を「誤報」
     にされた元朝日新聞記者が語った“日韓ジャーナリズムの差”】…
     《ドキュメンタリー映画『共犯者たち』(2017年製作)が上映され、
     「日本の『共犯者たち』は誰だ? 権力と『マスコミ』」と題された
     シンポジウムが開かれた…一方、日本のメディアの閉塞状況を語った
     のは、福島第一原発の吉田昌郎所長(当時)の調書報道を手がけた
     元朝日新聞記者の木村英昭氏、渡辺周氏の2人だった。ちなみに、
     渡辺氏はこの上映会・シンポジウムを主催したジャーナリズムNGO
     「ワセダクロニクル」の編集長でもある》」

   『●➀《吉田調書…取り消しという虚報扱い…メディアとジャーナリズムの
     将来に禍根》(青木理さん)…アベ様による「報道統制」が可能になった今

 カネ色の五つの輪一つとっても……核発電人災の原子力緊急事態宣言下でウラアリなオ・モ・テ・ナ・シだの、アンダーコントロールだの、果ては、復興五輪だのと嘯き、COVID19緊急事態事態宣言下でも《コロナに打ち勝った証》として五輪貴族やその取り巻きによる〝バカの祭典〟〝パソナ五輪〟を強行。一体どんな国?? 《スガさんの生命維持装置》としてのバカの祭典パソナ五輪スガ政権の祭典を強行する無為無策無能な政権。
 《メディアコントロール》から抜け出せなかった9年近くのアベ様・カースーオジサンの強権。さて、キシダメ首相の政権下ではどうだろうか? 《安倍政権の嘘を垂れ流し続けたメディアの責任・共犯関係に踏み込む『エルピス』》、《そのテレビをはじめとするマスコミの東京五輪における欺瞞性を真っ向から指摘》。

 ツイッターでつぶやくと、少なからぬ罵声を頂く飯塚事件も想起しました。『エルピス』では、警察による〝酷い〟取り調べで、自白が強要されています。死刑執行されてしまった久間三千年さんは自白さえなく、一貫して、無実を主張されていました。マスコミの報道も酷ければ、検察や裁判所も酷い。久間さんの死刑執行は、足利事件の再鑑定決定直後です。足利事件で誤鑑定であることが分かった時には、既に、久間さんの死刑が執行されていました。久間さんが死刑執行に値すると主張されても結構ですが、足利事件の再鑑定決定直後の2008年10月28日に執行するのはあまりに酷すぎないか。証拠の保全もデタラメ。せめて、2009年4月20日まで執行を猶予して、一体何の問題があったのだろうか?

   『●贖罪:足利事件再鑑定から12日後の2008年10月28日朝、
                飯塚事件久間三千年元死刑囚の死刑が執行

    「2008年10月16日 足利事件 再鑑定へ
     2008年10月28日 飯塚事件 死刑執行
     2009年 4月20日 足利事件 再鑑定で一致せず
     ……そう、足利事件で誤鑑定であることが分かった時には、既に、
     久間さんの死刑が執行されていた。2008年10月16日
     DNA型鑑定に疑問が生じた時点で、死刑執行は停止されておくべき
     だったのに…。なぜ、急いで死刑執行したのか?、大変に大きな疑問である」

   『●NNNドキュメント’13: 
      『死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 “切りとられた証拠”』
   『●(FBS)【シリーズ『飯塚事件』検証】…《死刑執行は正しかった
     のか》? 罪なき人・久間三千年さんに対しての《国家による殺人》!
   『●NNNドキュメント【死刑執行は正しかったのかⅢ ~飯塚事件・真犯人
      の影~】…《死刑冤罪の闇を12年間追跡し続けたドキュメンタリー》

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https://lite-ra.com/2022/11/post-6242.html

長澤まさみ主演『エルピス』はなぜ安倍元首相の映像を使って権力とテレビの欺瞞を描いたのか? 脚本家・渡辺あやが抱いていた危機感
2022.11.06 07:30

     (番組HPより)

 10月24日にスタートした長澤まさみ主演のフジテレビ系ドラマ『エルピス─希望、あるいは災い─』(制作・関西テレビ)が、話題を呼んでいる。

 というのも、10月31日放送の第2話で、なんと安倍晋三・元首相の「アンダーコントロール発言の映像が批判的に使用されたからだ。

 『エルピス』は、民放キー局・大洋テレビを舞台にし、スキャンダルによって報道番組のサブキャスターを降板させられたアナウンサーの浅川恵那(長澤まさみ)が10代女性の連続殺害事件の冤罪疑惑を追う……という“社会派エンターテインメント”作品。本作の脚本を手掛けるのは、第49回ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞したNHKの連続テレビ小説『カーネーション』や、映画『ジョゼと虎と魚たち』などで知られる脚本家・渡辺あや氏で、監督は『モテキ』『SUNNY 強い気持ち・強い愛』をはじめとする映画作品やテレビドラマを手掛けてきた大根仁氏。プロデューサーはドラマファンから評価が高い『カルテット』(TBS)や『大豆田とわ子と三人の元夫』(関西テレビ・フジテレビ)の佐野亜裕美氏が務めるとあり、放送前から注目を集めていた。

 そして、ドラマ放送開始から、さっそく視聴者をざわつかせる台詞が飛び出した。第1話では、明らかに麻生太郎を模した副総理・大門雄二(山路和弘)がニュース番組に出演するため大洋テレビを訪れるのだが、「今日、何聞かれんだ?」と尋ねる大門副総理に対し、政治部官邸キャップの記者・斎藤正一(鈴木亮平)は「森友、止めてますので」と応答するのだ。

 ほんのわずかなシーンであったものの、地上波のドラマのなかで突然ぶち込まれた森友という実名。しかし、第2話ではさらに衝撃的な展開が待っていた。

 それは、長澤まさみ演じる主人公の浅川が、冤罪を訴えている松本良夫死刑囚(片岡正二郎)の担当弁護士・木村卓(六角精児)を訪ねたシーン。かつて浅川がサブキャスターを務めていた報道番組について話題が及ぶと、浅川は“信頼されるキャスターになりたかったが、そんな夢は一生叶えられないのだと知った”と言い、当時をこのように振り返りはじめる。

「サブキャスターになったのは2010年でした。その4月から降板するまでの6年間、自分があたかも真実のように伝えたことのなかに、本当の真実がどれほどあったのかと思うと……。苦しくて、苦しくて、息が詰まりそうになります。私にはいま、バチが当たっているのだと思います」

 この台詞のあと、浅川がサブキャスターを務めていた報道番組の回想が差し込まれるのだが、その中身はなんと、実際に政権とメディアが一体になって“嘘”を垂れ流したシーンの再現だったのだ

 まず、映し出されたのは、福島第一原発事故が起きた直後のスタジオ。浅川が「爆破弁というものを使い内圧を下げる作業ということですが、危険性はどうなのですか」と問うと、解説者は「いちばん最悪なことは格納庫が破壊されることなので、それを防げたという意味では成功したんだと思います。問題ありません」と語る。そう、1号機が爆発した際にメディアで繰り広げられた“安全神話”に基づく大嘘の解説が再現されたのだ。

 だが、もっとすごかったのは、このあとだった。画面が切り変わると、突然、安倍晋三・元首相の本物の映像が流れたのである。映像は、東日本大震災から2年後、IOC総会で安倍首相が東京への五輪招致をプレゼンしたときのもので、原発事故の影響について安倍首相が例の「the situation is under control.」と言い放ったシーンがそのまま、音声付きで流された。

 そして、安倍元首相のVTRを受けて、長澤まさみ扮する浅川が「安倍総理大臣は、福島第一原発の汚染水問題に懸念が出ていることについて、『状況はコントロールされており、東京に決してダメージは与えない』と述べ……」と、ニュースを読み上げた。


■安倍政権の嘘を垂れ流し続けたメディアの責任・共犯関係に踏み込む『エルピス』

 まさか、本物の安倍元首相が登場する実際のニュース映像を使い、あの「アンダーコントロール」発言を取り上げるとは……。繰り返すが、このシーンは「あたかも真実のように伝えたことのなかに、本当の真実がどれほどあったのかと自責の念に苛まれたキャスターの台詞のあとにつづくものだ。つまり、嘘を伝えたのではないかと問う場面で、安倍元首相の映像が使用されたのである

 脚本の渡辺氏といえば、前述したNHK朝ドラ『カーネーション』でも、先の戦争における日本の加害性に言及。また、近作でも、NHKで放送された連続ドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』では、安倍・菅政権下で起こった数々の事件を想起させるエピソードを織り交ぜながら、権力者に対する忖度や蔓延る隠蔽体質をコメディとして風刺した。だが、本物の権力者の映像まで使って、現実の問題に踏み込んだ作品は、日本のドラマでははじめてと言っていいだろう。

 だが、『エルピス』に驚かされたのは、安倍首相の実際の映像を使って、その言動を批判的に描いたことだけではない。『エルピス』は民放テレビ局が制作・放送するドラマであるにもかかわらず、そのテレビをはじめとするマスコミの東京五輪における欺瞞性を真っ向から指摘していた。

 前述した主人公・浅川の回想シーンでは、安倍元首相の「アンダーコントロール」発言のあと、東京五輪の開催決定のシーンへと移る。そこでは、浅川が福島から中継をおこない、子どもたちに囲まれながら、満面の笑みを浮かべて「震災復興へのさらなる弾みとなると人々も大きな期待を寄せています。みんな、オリンピック決まって良かったね!」とレポートする姿が映し出された。

 いまさら説明するまでもないが、五輪の実態は「復興のため」などという美辞麗句とはかけ離れたものだった。予算は招致時の2倍にも膨らみ、被災地は完全に置き去りにされたまま。巨額の公金がつぎ込まれたにもかかわらず、政治家やJOC幹部、巨大広告代理店だけが利益を独占する構造がつくられ、あげくは、汚職事件で逮捕者が続出する事態となった。

 しかし、この嘘と不正にまみれた国家的イベントについては、マスコミ、テレビもまた、共犯者であることを、『エルピス』はきちんと表現したのだ。

 しかも、これはこの回のこのシークエンスでだけ、たまたま描かれたものではない。物語はまだ序章に過ぎないが、ドラマのメインテーマは国家権力の犯罪である「冤罪」であり、権力の横暴それに加担するマスコミの問題の責任を追及する姿勢が、ドラマ全体に貫かれている

 忖度体質が蔓延る日本のテレビ局でこんな骨太のドラマをつくり、放送することができていることにあらためて驚かされるが、その原動力となっているのは、脚本家・渡辺あや氏とプロデューサー・佐野亜裕美氏の強い危機感だ。

 『エルピス』放送開始にあわせて、雑誌のWeb媒体に掲載された渡辺氏の複数のインタビューを読むと、そのことがよくわかる。


■安倍政権下のメディア支配、言論の萎縮…脚本家渡辺あやが抱いた危機感と恐怖

 渡辺氏とプロデューサーの佐野氏の間で、『エルピス』の企画がスタートしたのは2016年。渡辺氏は当時のことを「ちょうど安倍政権の絶頂期みたいなときですよね」と語り、こうつづけている。

「当時、政権与党の批判が言えなくなっている萎縮した空気を感じていました。昔は、総理大臣や政治家の悪口なんてみんな平気で言っていたし、新聞にもそういう風刺漫画が普通に載っていたじゃないですか。それがこの10年くらいで、誰も言わないというか言っちゃいけないような風潮になって、それがものすごく怖かったんです」(現代ビジネス10月24日付)

 たしかに、安倍政権下での言論の萎縮は異常というしかないものだった。メディア、とくにテレビは、政権のスキャンダルや不正追及はもちろん、政策批判さえもできない状況に陥っていった。渡辺氏はある時期からこうした状況に対して強い危機感を抱くようになったのだという。

「お恥ずかしい話ですが、もともと私は政治にまったく興味がなくて、ほとんど選挙にも行かないようないわゆる“意識の低い”人だったんです。だけど、2013年に特定秘密保護法が強行採決によって成立した頃から、そんな私ですらさすがにおかしいと思うようなことが増えてきて……。
 それなのに、メディアがそれを全然報道しないことが気になっていました。テレビ局の方とドラマの企画開発をしていても、どうやら表現にいろいろな規制がかかっていて、現場が萎縮しているようだ……そんな空気をヒシヒシと感じたんです」(前出・現代ビジネス)

「それまで私はまったく政治に興味を持たずにいた人間ですが、権力側の暴走や表現・言論の自由の萎縮から生まれる“危機感”を抱きました。その頃は周りも政権に対して怖がっているムードがあり、マスコミも政府が明言したことしか報じない。これはさすがになにかおかしいと思いました」(CREA WEB10月23日付)

 まさに、権力のメディア支配、言論の自由の萎縮に対する恐怖が渡辺氏を突き動かしたのだ。そして、それはタッグを組んだ佐野プロデューサーも同様だった。

 渡辺氏は2人のこうした意識が作品づくりに反映されていたことを前出のCREA WEBのインタビューではっきり認めている。

「たぶん私と佐野さんが出会ったときからずっと抱えていた共通の問題意識は、権力の横暴とそれに従属するばかりのマスコミの報道姿勢のあり方なんですよね。それを燃料にして今回の脚本は書いてきたので」(前出・CREA WEB)


■各局に拒否された『エルピス』 このまま最終回まで無事放送できるのか?

 権力の横暴とそれに従属するマスコミの報道姿勢への問題意識を燃料に書いてきた──。脚本家がそう明言するドラマが、地上波で放送されていることに喝采を送りたくなるが、しかし、『エルピス』はまさにその「権力に従属する」マスコミの体質によって、“お蔵入り”になる寸前だった

 2016年当時、佐野氏はまだTBS所属のプロデューサーで、当然、TBSに『エルピス』の企画を持ちこむのだが、TBSでは、リスクが高いと却下されてしまったのである。佐野氏は、なんとか実現しようと他局にも企画持ち込んだが、これもすべて断られていた

 渡辺氏はインタビューでその理由についても、こう分析している。

「なぜこのドラマの内容にテレビ局が難色を示したかというと、マスメディアが犯罪などの事件や出来事に対して、誤報や、事実と確認されていないことを報道したらどういうことが起こるのかということが赤裸々に描かれているからだと思うんですよ。さらにはどこからどういう横やりが入るのか、報道がどのようにひるむのか、真実がどう闇に葬られていくのかということも」(前出・CREA WEB)

 そう、『エルピス』の内容がテレビの実態を暴き出していたからこそ、テレビ局はこれをドラマ化することを拒否したのだ。しかも、佐野氏はTBSのドラマ担当から外され、一時は絶望的な状況になっていた。

 しかし、佐野氏はあきらめず、2020年にTBSから大阪の準キー局である関西テレビに転職。同局で坂元裕二氏脚本の『大豆田とわ子と三人の元夫』を制作する一方、『エルピス』のドラマ化をかけあい、着想から6年後、ようやく実現にこぎつけたのである。

 関西テレビは、安倍政権と一体化していた御用テレビ最右翼のフジテレビ系列であるために、意外に思われる向きがあるかもしれないが、同局は、ネットワークとしてはフジ系列であるものの、フジサンケイグループには属しておらず、フジテレビほど、自民党との距離は近くない。とくに、ドラマ制作の部門には比較的リベラルな空気があり、作家性を尊重する姿勢も持っていることで知られている。

 しかし、だとしても、『エルピス』が制作・放送できたのは、渡辺氏もインタビューで「これはもう関西テレビさんのうっかりとしか言いようがないですね(笑)」と冗談を飛ばしていたように、たまたま幸運が重なっただけにすぎない。

 マスコミ、テレビの権力忖度体質はまったく変わっておらず、今後、これまで黙っていたフジテレビや関テレの政治部が途中で『エルピス』の内容に横槍を入れてくる可能性も十分ある。もっといえば関西圏が地盤でマスコミへの圧力体質を持つ世耕弘成・自民党参院幹事長あたりが関テレに圧力をかけてくる可能性もゼロではないだろう。

 渡辺氏もインタビューで、「私は、まだなんかあるんじゃないかと半信半疑でいますが」と語っていたが(前出・現代ビジネス)、これは冗談ではないだろう。

 実際、渡辺氏がここまでさまざまなインタビューに登場して、作品に込めた意図や経緯をはっきり明らかにしているのも、圧力や途中で内容を捻じ曲げてくるような動きに対して、何かあったらいつでも情報を公開するぞと牽制する意味合いもあるのではないか。

 第3話は明日11月7日に放送されるが、挑戦的でかつ完成度の高いこのドラマを無事に完結させるためにも、そして、テレビの状況が改善されて『エルピス』の後につづく作品が生まれてくるためにも、一人でも多くの人にこの作品を見てほしい。

(編集部)
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コメント (1)
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