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●大滝詠一さんを悼む(5): 「僕の言葉と、君の旋律は、こうして毛細血管でつながっている」

2014年03月23日 00時00分58秒 | Weblog


nikkansports.comの二つの記事【大滝詠一さん「ママ、ありがとう」叫び…】(http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140322-1273652.html)、
【細野晴臣最後の別れ「一緒にまたやろう」】(http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140321-1273634.html)。
asahi.comの一連の記事【〈速報〉大滝詠一さんお別れ会に松たか子ら250人】(http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp01403210040.html?iref=comtop_list_andm_f02)、
【直筆歌詞・愛用のギター…大瀧詠一さんゆかりの品を展示】(http://www.asahi.com/articles/ASG3P5SYVG3PUCVL00Y.html?iref=comtop_list_obi_n01)、
【大瀧詠一さんお別れ会、参列者から悼む言葉】(http://www.asahi.com/articles/ASG3P4W6HG3PUCVL00F.html?iref=comtop_list_obi_n02)、
【鈴木茂さん弔辞 「思いは受け継がれていく」】(http://www.asahi.com/articles/ASG3P4WJCG3PUCVL00H.html?iref=comtop_list_obi_n03)、
【細野晴臣さん弔辞 「自分の中にずっといた」】(http://www.asahi.com/articles/ASG3P566WG3PUCVL00L.html?iref=comtop_list_obi_n05)、
【松本隆さん弔辞 「残した作品たちは永遠に不死だ」】(http://www.asahi.com/articles/ASG3P5134G3PUCVL00J.html?iref=comtop_list_obi_n04)。

 やはり、松本隆さんの言葉が印象に残ります・・・・・・「花を置きながら、僕の言葉と、君の旋律は、こうして毛細血管でつながっていると思いました」「片方が肉体を失い、残された方は心臓を素手でもぎ取られた気がします」「残した作品たちは永遠に不死だ」。

   『●「日本社会を蝕むパワーハラスメント」『週刊金曜日』
                        (2013年4月5日、938号)

   『●懐かしいな~
   『●『イエロー・サブマリン音頭』とビートルズと大滝詠一
   『●須藤薫さん、亡くなる
   『●「ナイアガラ」の大滝詠一さん亡くなる
   『●大滝詠一さんを悼む
   『●大滝詠一さんを悼む(2) 「春よ来い」
   『●大滝詠一さんを悼む(3)
            「十二月の旅人」「残した作品たちは永遠に不死」

   『●大滝詠一さんを悼む(4)
          「〈キング・オブ・ポップス〉と言える偉大なアーティスト」
 
   『●大滝詠一『Complete EACH TIME』(Final/
          30th Anniversary Edition):「さよならだけが人生だ」
』    

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http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140322-1273652.html

大滝詠一さん「ママ、ありがとう」叫び…

   (祭壇にはTBSラジオに出演した34歳の大滝さんの写真が飾られた)

 昨年12月30日に解離性動脈瘤(りゅう)で亡くなった歌手で音楽プロデューサーの大滝詠一さん(享年65)は、最後に「ママ、ありがとう」と叫ぶように言い、亡くなっていた。21日、都内で行われたお別れの会で静子夫人が明かした。会には女優松たか子(36)ら約250人が参列。多方面から師匠」と呼ばれた秘話が明かされた。

 会の最後、夫人が亡くなった時の様子を明かした。都内の自宅で夕食後、新聞に目を通していた大滝さんは「東北も少しずつ復興しているようだね」と感想を漏らしていた。夫人が背を向けてリンゴをむいていると、突然、「ママ、ありがとう!」と大声。夫人が駆け寄った時にはイスにもたれかかるような体勢で顔は暗紫色になっていた。

 「皆さんに『ありがとう』を伝えたかったんだと思います」(夫人)。

 参列者からは「師匠」と呼ばれた人柄が語られた。俳優佐野史郎(59)は、しみじみと言った。「大滝さんが言った『期待は失望の母』は、落ち込んだ僕を元気にしてくれる。僕の出た作品にも小まめに感想やアドバイスをくれました」。

 テレビ出演は嫌いでも、見るのは好きだった大滝さんは映画やドラマに詳しく、自宅にはビデオ店のようなストックがあった。

 タレント清水ミチコ(54)の音楽ネタの「師匠」でもあった。「テレビで音楽ネタをやると、すぐにメールで。『こうした方がいいんじゃない』って」。

 米国ポップス通で知られた大滝さんだが、クレージーキャッツをはじめ、往年のコミックソングへの造詣も深かった。

 DJ出身で元ニッポン放送社長の亀渕昭信氏(72)は「(社長退任後)僕が落ち込んでいると思って、もう1回DJやってみればって言われまして。おかげで(NHKで)4年目になりますが、もっと彼の感想を聞きたかったです」。

 はっぴいえんど細野晴臣(66)松本隆(64)をはじめ、佐野元春(58)あがた森魚(65)甲斐よしひろ(60)ウルフルズ、サンボマスター、高田文夫(65)ら参列者は実に多彩で、大滝さんの幅広い交流がうかがえた。【相原斎】

 ◆大滝詠一(おおたき・えいいち、本名・栄一)1948年(昭23)7月28日、岩手県生まれ。早大中退。在学中の70年、細野晴臣や松本隆らとはっぴいえんどを結成。81年に「ロング・バケーション」でレコード大賞最優秀アルバム賞。97年、フジテレビ系ドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌「幸せな結末」がミリオンヒット。松田聖子「風立ちぬ」などプロデュース作品多数。

 [2014年3月22日7時21分 紙面から]
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http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140321-1273634.html

細野晴臣最後の別れ「一緒にまたやろう」

 昨年12月に65歳で死去したミュージシャン大滝詠一さんのお別れ会が21日、都内で開かれた。

 ロックバンド、はっぴいえんどで共に活動した細野晴臣や松本隆、女優松たか子ら関係者約250人が献花し、故人をしのんだ。

 松本は弔辞で「僕の言葉と君の旋律は毛細血管でつながっていると思いました。片方が肉体を失い、残された方は心臓を素手でもぎ取られた気がします」と話した。

 白い花で彩られた祭壇には、1982年のラジオ番組収録時に撮影された、楽しそうにほほ笑む遺影が置かれた。細野は「今なら、はっぴいえんどをもう一度できるんじゃないかなと思っていた」と振り返り、「一緒にまたやりましょうまたね」と語り掛けた。

 終了後は1000人以上のファンが献花に訪れ、最後の別れを惜しんだ。

 [2014年3月21日22時35分]
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http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp01403210040.html?iref=comtop_list_andm_f02

〈速報〉大滝詠一さんお別れ会に松たか子ら250人
2014年3月21日

 昨年12月30日に解離性動脈瘤(りゅう)のため亡くなった歌手で音楽プロデューサーの大滝詠一さん(享年65)のお別れ会が21日、ソニーミュージック乃木坂スタジオで行われた。

 主題歌を提供したフジテレビ系ドラマ「ラブジェネレーション」(97年)のヒロイン松たか子(36)ら関係者250人が参列し、夫人の静子さんが、参列者を前に大滝さんが亡くなった時の様子を明かした。

 大瀧さんは亡くなった12月30日、夕食後に夫人がリンゴの皮をむいている時に突然、「ママ、ありがとう」と大きな声で叫ぶように言って倒れたという。すぐに夫人が心臓マッサージをしたが、そのまま帰らぬ人になったという。

 ともにバンド、はっぴいえんどで活動した作詞家松本隆氏(64)は「僕の言葉と彼の旋律は毛細血管でつながっている。もう作る力がない」と悼んだ。鈴木茂(62)は「初めてアメリカに行ったとき、エレベーターに大滝が閉じこめられて、みんなで助けに行ったことを昨日のように思い出す」とほほ笑ましいエピソードを明かした。細野晴臣(66)は「老後、ぼそぼそと音楽の話をするのを楽しみにしていたのに」と惜しんだ。

 82年、TBSラジオ「ゴー!ゴー!ナイアガラ」収録時の写真が遺影として飾られ、音楽界からは甲斐よしひろ、ウルフルズ、サンボマスター、あがた森魚、杉真理伊藤銀次、俳優の佐野史郎、タレントの清水ミチコ、高田文夫さんらが参列した。
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直筆歌詞・愛用のギター…大瀧詠一さんゆかりの品を展示
2014年3月21日21時01分

  (お別れの会で展示された大瀧詠一さん直筆の歌詞=ソニーミュージック提供)

■大瀧詠一さんお別れ会

 最後の言葉「ママ、ありがとう」

 お別れ会のあった都内のレコード会社には、大瀧さんがレコーディングや過去の作品のリマスタリングで使用していたスタジオがあり、この日、大瀧さんゆかりの品が展示された。

 使用していたエレキギターやアコースティックギターのほか、大瀧さんが1970年代に自身のラジオ番組「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の収録で使用していた自前のターンテーブル、自宅にあったジュークボックスなどが置かれた。

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大瀧詠一さんお別れ会、参列者から悼む言葉
2014年3月21日18時38分

 生前の大瀧さんの幅広い交友ぶりを物語るように、お別れの会には大勢のミュージシャン、俳優らが参列し、大瀧さんを悼む言葉を残した。

■ミュージシャンの杉真理(すぎまさみち)さん

 大瀧さんはとにかく知識が深く、ユーモアがあった。音楽のことで困難にぶつかっても、必ずユーモアで乗り越えていく方。献花の時に、「僕を仲間に入れてくれてありがとうございます。光栄です」と伝えてきました。

■俳優の佐野史郎さん

 15歳の時、はっぴいえんどの「12月の雨の日」を聴いて打ちのめされた。年に1度は必ずお会いしていたが、会っていない時でも、(音楽を耳にすることで)ずっと一緒に過ごしていたような気がする。日本映画に精通していて、出演したドラマや映画について、時には厳しく叱咤激励(しったげきれい)していただいた。師匠のような存在でした。

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鈴木茂さん弔辞 「思いは受け継がれていく」
2014年3月21日18時31分

■大瀧詠一さんお別れ会 元はっぴいえんどのメンバーでミュージシャンの鈴木茂さんの弔辞

 昔のことをいろいろ思い出しているんですが、そこには、いつもあの笑顔と、独特の笑い方の大瀧さんがいます。

 いろんなことがありましたが、「ゆでめん」(アルバム「はっぴいえんど」)のレコーディングが終わって、すべて終わってスタジオ出たら、もう朝になっていて、朝日を浴びながら、みんな満足そうな顔で、一言二言言って別れたこと。そして、はっぴいえんどでライブで地方に出た時、電車の中で、おまんじゅうを食べながら、謎かけ・・・。随分おじいさんのバンドに入ってしまったな、と思ったんです。

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細野晴臣さん弔辞 「自分の中にずっといた」
2014年3月21日18時23分

■大瀧詠一さんお別れ会 元はっぴいえんどのメンバーでミュージシャンの細野晴臣さんの弔辞

 大瀧君、細野です。いろんな思い出がありますけど、とにかく突然逝かれて、本当にショックでした。困りました

 いなくなって初めて、自分の中に大瀧詠一という存在がずっといたんだな、と思いました。なぜかと言えば、アルバムをつくるたびに、彼はこれをどうやって聴くんだろうどう思われているんだろう、と考えていて。それはいまだに謎なんですけど。

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http://www.asahi.com/articles/ASG3P5134G3PUCVL00J.html?iref=comtop_list_obi_n04

松本隆さん弔辞 「残した作品たちは永遠に不死だ
2014年3月21日18時30分

■大瀧詠一さんお別れ会 元はっぴいえんどのメンバーで作詞家の松本隆さんの弔辞

 (今年1月の大瀧さんの葬儀後に発表した)ツイッターのツイートを超える文章を書けそうにないので、少し言葉を足したものを音読します。

 今日、本物の12月の旅人になってしまった君を見送ってきた。僕と細野さんと茂の3人で棺(ひつぎ)を支えて、『持ち方がゆるい』とか『甘いな』とか、にやっとしながらしからないでください。花を置きながら、僕の言葉と、君の旋律は、こうして毛細血管でつながっていると思いました。

・・・・・・。
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細野晴臣 半世紀の軌跡 ドキュメンタリー映画「NO SMOKING」あす公開 (A.S.)
2019-10-31 22:44:51
■(https://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/89d524c8abb080b7e54304a13920a69e) 【細野晴臣 半世紀の軌跡 ドキュメンタリー映画「NO SMOKING」あす公開】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2019103102000185.html)/《「NO SMOKING」から。2016年5月に横浜中華街で開いたライブ。ステージ前列中央が細野晴臣、同左は星野源…日本の音楽シーンで多彩な輝きを放ち続ける細野晴臣(72)が今年、デビュー50周年を迎えた。その半世紀の軌跡をつづったドキュメンタリー映画「NO SMOKING」(佐渡岳利(さどたけとし)監督)が11月1日から、東京・シネスイッチ銀座などで全国公開される。斬新で分かりやすい音楽活動、センス豊かな仲間との出会い…。細野イズムが存分に堪能できる作品だ。(竹島勇)  「“周年”に関心はなかったが、五十年はいろいろあったので、これをシメにと思って」 映画は一九七〇年に結成したバンド「はっぴいえんど」の大滝詠一や松本隆、七〇年代後半から八〇年代にかけて一世を風靡(ふうび)したユニット「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」の坂本龍一、高橋幸宏ら、才能あふれる仲間と融合し、自身の音楽にさらに磨きをかけていった日々を淡々と描いている。「僕のところには人が集まるんですよ」と振り返る細野。後に作曲家としても活躍し、二〇一三年に死去した大滝との出会いを「武将がお互いの力量を瞬時に分かり合う感じ」と説明した。「大滝君が亡くなって困った。音楽を語る人、新曲を聴いてもらいたい人でした」。その存在の大きさをそう語った。》
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