『「自分のために生きていける」ということ』-寂しくて、退屈な人たちへ
斎藤学(著)
<Amazon 内容紹介より>
あなたが、一瞬一瞬、自分を大切にして生きるとき、
あなたの中に湧き上がる感情や欲求は大切にされ、
固定した“○○らしさ”から自由になる。
「寂しさ」「退屈」「むなしさ」は、
どのようにつながっているのか?
自分の気持ち、欲望がなぜわからなくなってしまうのか?
「寂しさ」と「怒り」はどんな関係にあるのか?
自分の幸せのために生きることはわがままなことなのか?
いきいきとした感情をとりもどし、
支配・拘束とは無縁な「親密な関係」をきずく本。
<感想>
久しぶりの斎藤学本!特に中盤が良かった\(^^)/
・・・本文より抜き書き・・・
「自分は不幸だ」と自覚することが、その人を変化の方向に衝(つ)き動かす
怒りがあるということは、欲求があるということ
相手の中に何を見るかは、自分の心をのぞくことであり、世界の発見は、自分自身の発見でもあります。相手の中に発見したことを愛せるかどうかは、自分自身を愛せる能力にかかっています。
不足をしている自分にまあまあ満足している状態が、成熟した大人の自己充足です。
怒りは洗練されると自己主張になってくるので、書くという行為は自己をふりかえる上でも役に立ちます。
「私はだめだ」という「自分いじめ」をやっている人は、思いどおりの悪い結果を招きやすい
自尊心の高い人は、自分自身だけではなく、他人も大切にします。
自尊心が低く、自己否定の強い人のほうが、むしろ傲慢になったり、力を使って相手を服従させようとするものです。
和解的NOの言い方は、まず、相手に「私はあなたを好きである」というメッセージを入れることです。
人を傷つける痛みを感じない人は、自分に対する恨みが強い人です。自分自身が傷ついていることに無自覚だと、他人の痛みにも鈍感になります。
「一人でいられる能力」が発達してこそ、他人との親密な関係がつくれる
自分の不完全さを含めて肯定的にとらえることを「自己肯定」という
たっぷりした自尊心を持っている人というのは、いいかえれば「比較が少ない」人