acoぶーろぐ

読書、手作り三昧なacoの日々をつづるブログ

『江戸の忘備録』磯田道史(著)より

2017-08-04 14:28:01 | 読書

『江戸の忘備録』磯田道史(著)

幕末の発明王・からくり儀右衛門

幕末・日本人はたいしたものである。たちまち西洋の科学技術を自家薬籠中のものにした。その基礎には、江戸時代の寺子屋教育があった。江戸時代というのは、たいそうな底力を持っていたが、とくに、技術という点で、すばらしかった。何でも自分で作ってしまうのが、江戸人の特技である。
 幕末のことであるが、九州の久留米に変わった男の子がいた。鼈甲(べっこう)細工やの長男で、名前は儀右衛門といった。九歳の彼には悩みがあった。江戸時代の寺子屋は無法地帯であるといってよい。油断すると、悪い子に筆や墨を盗まれた。児童がおとなしく机に向かうようになるのは明治もなかばをすぎてからのことで、江戸から明治初年の手習所は、なんとも荒々しいところであった。
 そこで、儀右衛門は考えた。「そうだ!盗まれない筆箱・硯箱を作ればいい」。すぐに工作を始めた。小刀で木を削り、無心に何かを作っている。手習はそっちのけで、そんなことをするから、ある意味、問題児である。
 しかし、儀右衛門君が作った硯箱を見て、人々は驚いた。「一見、幼児の作にあらず」(浅野陽吉『田中近江』)。硯箱には、つまみがついていて、それをちょっとひねると、誰も硯箱を開けることができなくなる。驚いたことに、九歳のこの子供は、現代の金庫の鍵構造と同じものを独自に作ってしまった。
 実は、この儀右衛門君。成長するに及んで、次々と奇想天外な発明をし、日本の技術産業のもとを築いてしまう。
 江戸時代は身分の違いがあって窮屈な時代のように思われるけれども、まことに彩りゆたかな時代であった。そもそも画一的な義務教育などないから、儀右衛門君(田中近江)のような変わり者が存分に、やりたいことをやれる素地があった。また、道楽というなんとも、心ゆたかな言葉があって、一見、無駄に見えるものに寛容であった。だから、儀右衛門君が朝から晩まで図面をにらみ小刀をもてあそんでいても、親たちは叱りもせず、熱中している儀右衛門のかたわらにそっと飯をおいて、あたたかく見守った。ただ、儀右衛門は鼈甲細工屋の長男だから、当然、家業を継がねばならない。最初は家の者も心配したらしい。<御飯の知らせに往きますと、ウン今往くといったなり、二十分たっても三十分たっても一時間たっても参りません>。<つい昼も夕も食はずといふ様なことが毎々でした>(『田中近江』)というのだから、当然であろう。
 そうして出来上がった発明は驚くべきものであった。十五歳のときには、地元の特産・久留米絣に複雑な模様をつける方法をあみだした。ところが、儀右衛門は愉快だ。そのせっかくあみ出した方法で金もうけをしようとしなかった。惜しげもなく近所の織物業者に教えた。織物屋は大もうけをしたが、欲のない儀右衛門は、一銭も受け取らず、金がないまま、発明部屋にこもって出てこなかったという。
 親も偉い。はじめは儀右衛門に「家業を継げ」と迫ったが、その作品を見るうちに何かを悟ったのか、<お前は十分にやってみよ、家の事は一切無頓着で宜しい>とぽつりと言った。この親の一言が、儀右衛門の才能を花開かせ、この国の未来をも開くきっかけになるのであるが、このときは誰もそれに気づいていなかった。
 江戸時代は不思議な時代で、現代社会にあるものはなんでもあった。ただ、石油石炭をエネルギーにした動力機関だけがない。だから、江戸人に、蒸気機関やエンジンさえ与えれば、あっという間に、西洋近代と同じ社会をつくれた。明治になって、日本が急速に近代化できた秘密は、実は、ここにある。
 江戸人は西洋人と違って「機関」というものを独自に発明できなかった。しかし、どこにも天才はいるもので、日本にも、この機関に興味を持つ者が出た。しかも少年である。久留米の十六歳の「からくり儀右衛門」である。
 儀右衛門は十六の歳から水力機関の研究をはじめた。小野小町の人形が傘をさし、その傘から雨が滴り続ける機械仕掛けを作った。それだけではない。水を動力として、人形をロボットのように自由に活動させる複雑な仕掛けを開発した。
 ただ、天才は常に時代の無理解に苦しむ。当時(一八二〇年ごろ)の日本にはこれらの発明を産業に活用する素地がなかった。それで儀右衛門のからくりは、単なる見せ物になってしまった。儀右衛門も西洋に生まれていれば、天才工学者として、名を残したであろうが、「魔法使い」と呼ばれ、むしろ当時は変人のあつかいであった。たとえば、洪水で悩む藩に「鉄でできた橋を架ければ流されない」と、日本初の鉄橋を架けるすごい建言をしても、まったく相手にされなかった。ところが、幕末に入り、時代が儀右衛門に追いついてくるのである。
 儀右衛門の発想と技術は、群を抜いていたが、天才すぎて、江戸時代の人には理解できなかった。そこで儀右衛門は研究費を稼ぐために、からくり人形を作り、見せ物興行をして糊口をしのぐしかなかった。一番うけたのは「文字書き人形」である。ひじから動いて文字を書く人形は欧州にあったが、肩から動き文字を書く。こんな人形は世界唯一である。
 そうこうしているうちに、この儀右衛門の才能に注目した藩があった。佐賀藩である。佐賀藩は長崎の警備を担ったことから薩摩藩とならんで、日本中のあらゆる藩のなかでもっとも西洋技術に通暁した藩であった。さすがに、この藩は儀右衛門の価値がわかった。佐賀藩は西洋の蒸気機関を作れと命じ、なんと儀右衛門は作ってしまう。そればかりか、蒸気汽船、アームストロング砲、自転車。儀右衛門の手にかかると、すべて国産化された。驚くべき才能である。そのうち明治維新となり、新政府は儀右衛門に「通信用の電信機を作れ」と命じ、これも作ってしまう。からくり儀右衛門の細工部屋は、いつのまにか電気機械の工場となり、これが今の「東芝」のもとになるのである。
 そんな晩年の儀右衛門に「もう一度、からくり人形の見せ物をやってもうけないか」と、もちかけた者がいた。しかし、儀右衛門は襟を正して、「ぼくは有用な機械を製造して、世の公益になるように広めただけ。からくり人形は、ぼくの遊びだから、君の希望に応じられないよ」と言ったという。
 そういえば、私もいま、東芝のパソコンで、この原稿を書いている。久留米の儀右衛門君がこの国の人々に残してくれたものは計り知れない。

『江戸の忘備録』磯田道史(著)より書き抜き

「大世界史」

2017-08-04 00:13:58 | 読書

「大世界史」現代を生きぬく最強の教科書
池上彰(著) 佐藤優(著)

<作品紹介>
『新・戦争論――僕らのインテリジェンスの磨き方』に続く、
最強コンビによる第2弾!
今、世界は激動の時代を迎え、
各地で衝突が起きています。
ウクライナ問題をめぐっては、
欧州とロシアは実質的に戦争状態にあります。
中東では、破綻国家が続出し、
「イスラム国」が勢力を伸ばしています。
そして、これまで中心にいたアラブ諸国に代わり、
イラン(ペルシャ)やトルコといったかつての地域大国が
勢力拡大を目論むことでさらに緊張が増しています。
アジアでは、中国がかつての明代の鄭和大遠征の歴史を持ち出して、
南シナ海での岩礁の埋め立てを正当化し、
地域の緊張を高めています。
長らく安定していた第二次大戦後の世界は、
もはや過去のものとなり、
まるで新たな世界大戦の前夜のようです。
わずかなきっかけで、
日本が「戦争」に巻き込まれうるような状況です。
こうした時代を生きていくためには、
まず「世界の今」を確かな眼で捉えなければなりません。
しかし直近の動きばかりに目を奪われてしまうと、
膨大な情報に翻弄され、
かえって「分析不能」としかいいようのない状態に陥ってしまいます。
ここで必要なのが「歴史」です。
世界各地の動きをそれぞれ着実に捉えるには、
もっと長いスパンの歴史を参照しながら、
中長期でどう動いてきたか、
その動因は何かを見極める必要があります。
激動の世界を歴史から読み解く方法、
ビジネスにも役立つ世界史の活用術を、
インテリジェンスのプロである二人が惜しみなく伝授します。

<目次>
なぜ、いま、大世界史か
中東こそ大転換の震源地
オスマン帝国の逆襲
習近平の中国は明王朝
ドイツ帝国の復活が問題だ
「アメリカvs.ロシア」の地政学
「右」も「左」も沖縄を知らない
「イスラム国」が核をもつ日
ウェストファリア条約から始まる
ビリギャルの世界史的意義
最強の世界史勉強法

<感想>
トランプ大統領がまだ候補だった2年前のことが随分昔のことに思えた。