『「甘え」と日本人』齋藤孝 土居健郎
[内容]
「甘え」を奪われたことが、
子供たちに引きこもりや摂食障害などの心の病が増えた原因ではないか。
自然な甘えの肯定と他者に「触れる」感覚が、
生命力や豊かな人間関係を育むと説く、
衝撃の対話。
[目次]
はじめに―「甘え」という技―齋藤孝
第一章 現代に広がる人間関係の病―土居健郎
「病」とは何か
病気になって「心」と「体」が分離する
体を機械とみなす現代医学
精神科医は尊敬されない?
正常と異常の境目はどこにあるのか
精神障害と犯罪は結びつくか
精神の病は人間関係の病
第二章 「甘え」を喪失した時代―土居健郎
欧米に「甘え」というコトバは存在しない
本物の「甘え」、うそものの「甘え」
小さいときに甘えられないと自立できない?
「甘え」が「妬み」を抑止する
いじめはなぜ加速するのか
「良心的」はほめ言葉?
悪を悪と言わない現代
第三章 自然な「甘え」が生命力を育む―土居健郎 齋藤孝
医学の原点にあるもの
科学で説明できない病はいくらでもある
理解されにくい精神の病
行き着くところは「人間関係」
すべての病に共通する「ままならぬ」感覚
「悪」と断言できない社会
夏目漱石の恐るべき先見性
漱石の辞書に「甘え」の二文字はない?
甘えている人間は「甘え」を自覚しない
「甘え」を奪われて子どもたちがおかしくなった
自覚しない甘えこそ本当の甘え
幼い頃は存分に甘えさせよ
「甘え」と「おんぶ」―漱石の場合
家庭こそ最大の「甘え」の場
「癒し」と「甘え」
第四章 子どものカラダは崩れている―齋藤孝
際立つ日本人の「姿勢」の悪さ
立ち方や坐り方は文化である
どっちつかずの身体文化
身体文化が呼び覚ます「中心感覚」
身体文化の巨匠・幸田露伴
「遊び」に育てられた子どもたち
失われた身体文化をいかに取り戻すか
第五章 「甘え」が生み出す身体感覚―土居健郎 齋藤孝
「むかつき」の元凶は人間関係
遊びが変化し、「もまれ」なくなった子どもたち
確かな身体感覚が健全な心を育む
今もって西洋の真似に一生懸命な日本
「甘え」という言葉が開く多彩な世界像
身体感覚を呼び起こす日本語
「甘え」から導かれる自己肯定力
緊張感のある「場」は人間関係から生まれる
礼をすることで中身の意味が一変する
横並びにゆるゆるやっていて幸せか
「区切り」をバネに強くなる
日常から消えた「気」の流れ
エネルギーをぶつけ合う人間関係がない
創造的行為によって気を晴らす
微妙な心理を表現する日本語の危機
第六章 読書がつくる人間関係の理想―土居健郎 齋藤孝
「はっきり言わない」日本人の知恵
相手の「気」をつかむ非言語的コミュニケーション
読書による自己形成が重視された時代
年月をかけて熟成される読書体験
読書がつなぐ人間関係
教養を共有する楽しさ
共通の了解がないと話はできない
読書の積み重ねが「心」と「言葉」のズレを解消する
終章 日本人は「甘え」を失ったか―土居健郎
<感想>
目次を読み返すとかなり濃い内容だが、
以前から気になっていたテーマだったので一気に読むことができた。
読書のスピードが戻ってきて嬉しい。