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Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

郵便配達は二度ベルを鳴らす

2014-08-11 08:34:39 | 読書


ジェイムズ・M. ケイン, 池田 真紀子 訳 光文社古典新訳文庫 (2014/07).

あとがきによれば,過去の翻訳は 6 回だがすべて絶版とのこと.古典新訳文庫と銘打っているのだから,過去の翻訳 (田中西二郎,小鷹信光,中田耕治など) についても言及してもらいたかったところ.なお映画化も 4 回されている.映画は見ていないのにジャック・ニコルソンとジェシカ・ラングのこのポスターは覚えている.

「BOOK」データベースより*****
街道沿いのレストランで働き始めた俺は、ギリシャ人店主の美しい妻コーラにすっかり心を奪われてしまった。やがて、いい仲になった彼女と共謀して店主殺害を計画するが…。緻密な小説構成の中に、非情な運命に搦めとられる男女の心情を描きこんだ名作。*****

上の文章の「描きこんだ」というのは違う.記述はそっけなく,訳者あとがきにある「たくさんの言葉を費やして説明する代わりに,行間を埋める役割を読者に一任する著者の潔さ,巧みさが凝縮されたような作品」が正しい.刊行時は大胆な暴力描写・性描写に批判が集中したと言うが,いまの感覚では過激と言う印象は皆無.ある特殊な情況下での恋愛小説というところだろう.

小説には郵便配達は登場しない.題名 (原題は The postman always rings twice) についても訳者が説明している.しかし,always はなぜ題名から省略したのかな?

諏訪部浩一(東大准教授)という方の解説もあって,三人の登場人物の配置を「エディプス・コンプレックス」的三角形と言っている.そういう見方もできるかもしれないが,ぼく的には,こじつけかと思う.

Del Sasser って何 ?

2014-08-09 07:39:40 | ジャズ


Del Sasser って,何のこと? この演奏の曲名だが,その意味は?
FaceBook ではフルートの太田和孝さんが話題にしておられたと思って検索したが不首尾.下記は二番煎じかもしれません.

talkbass.com への JDubbleyoo 氏の投稿によれば,

1980 年代,ライブハウスの休憩時間にCannonball 5 の Del Sasser がかかったので口ずさんだら,隣に座ったお姉さんが,"Excuse me, you know this tune?" と話しかけてきた."He (Sam Jones : この曲を作曲したベーシスト) was a dear friend of mine--my name's Irene Del Sasser."
続くMarc Jhonson (Mark ではなく Marc だった! Bill Evance 3 最後のベーシスト) のコメントから察すると, JDubbleyoo (J.W.) の正体はベーシスト John Wiitala らしい.

またこの曲から察すると,Irene はお転婆に違いない.

この動画は 1960 年ニューボートジャズ祭.Cannonball (as), Nat Adderley (cor), Barry Harris (p), Sam Jones (b), Jouis Hayes (ds).
終わったかと思うとまた逆循を繰り返す長い長いエンティングが始まるが,このパターンはその後のだれの演奏でもたいてい踏襲される.

演奏して気持ちがいい曲なので,練習中.若い頃はテンポが速いのが良いことと思っていたが,このごろは体力が追いつかないので,そこそこに楽しくやりたいと他のメンバーにお願いしたところ.

日野皓正を擁したサム・ジョーンズのリーダー盤 Visitation でもこの曲を演奏しているが,ベースソロはない.やっぱりね.
こちらに Carmen Macrae のボーカル・バージョン.歌詞も http://www.releaselyrics.com/b1e9/carmen-mcrae-if-you-never-fall-in-love-with-me/ に出ていた.

八月六日上々天気

2014-08-07 08:01:59 | 読書
長野まゆみ  河出書房新社 (1995/04).

内容(「MARC」データベースより)*****
昭和二十年八月六日。広島の空は、雲ひとつない快晴だった…。結婚、夫の出征、広島への疎開。暗い時代に運ばれゆく女学生珠紀とその従弟の史郎の運命と、生活を色どるささやかな幸福を描く中篇力作。*****

今年 2014年 8月 6日 広島は悪天候だった.
「その日東京駅五時二十五分発」を読んで,そう言えば原爆が登場しない広島文学を読んだはずと,本棚を探したら初版で購入していた.

Wiki によれば著者は凄く多作で,この 1995 年だけでも7冊を出版.しかし他は知らないが,この作品はけして駄作ではない.初出は「文藝」で,純文学扱いらしい.しかし再読の印象は少女小説だ.ただしヒロインは女学校の卒業を待たずに,16 か 17 歳で見合いして結婚する.当時はこれが普通だったのだ.

帯に荒川洋治による「産經新聞」文芸時評の抜粋.
ときどき変わった漢字あるいは変わったルビが振ってある.例えば「沙」は「すな」,「傾斜」は「なぞえ」だそうだ.

カバーは内容と無関係.最後の舞台は内陸部にある「酒を仕込む白壁の蔵と,杉板を焼いた黒壁の穀物蔵が点在する」町であって,従弟に「きょう広島へ行ったら,写真を撮るといいのよ.あそこの街はまだ焼けていないんだもの」と言う.
八月六日がどういう日か知らない nowhere man が読んでも,それなりにイケそうだが,この余韻は味わえない.

原爆にふれているのはあとがきだけ.著者の父は,この小説の従弟とほぼ同年齢のとき,東京から疎開して広島で被曝したとのことである.

ビートルズ Nowhere Man

2014-08-05 08:00:48 | エトセト等


「ビートルズとは何だったのか」からの連想です.

ビートルズの歌詞をはじめてちゃんと認識したのは,映画 Yellow Submarine 中の Nowhere Man だった.この歌は映画の 2-3 年前に流行ったのだが,そのときの邦題は「ひとりぼっちのあいつ」で,どうせ失恋の歌だろうと,気に留めなかった.実は愛にも恋にも無関係な哲学ソングだったのだ.

Doesn't have a point of view
Knows not where he's going to
Isn't he a bit like you and me?

のくだりが 1960 年代末の世相やそのときの自分の情況にしっくり来た.思えばあれからずっと nowhere man だったのかも.でも,なんとか食べるのに困らなかったから,まぁいいか.

映画では Nowhere Man は「意味なし男」と訳されていて,ビートルズの4人がアニメの登場人物を揶揄するように歌っている.上から目線がちょっと気に入らない.
しかし

I'm a real nowhere man

では自虐的すぎて流行歌にはならないか?

ディズニーのアニメしかなかった時代に,この Yellow Submarine の,芸術に名を借りた省エネ手法も新鮮であった.



Yellow Submarine といえば,この大滝詠一バージョンも良いです!

第 18 回平和美術展「ミリキタニの猫」

2014-08-03 08:07:05 | お絵かき


はつかいち美術ギャラリー.

ミリキタニは三力谷.
Wikipedia を要約すると*****
Jimmy Tsutomu (勉) Mirikitani はアメリカ生まれだが,母の故郷広島県五日市町(現広島市佐伯区)で18歳まで育つ.兵学校に行くことを拒否し,生国アメリカに戻った.しかし第二次大戦中,米国籍を持つにも関わらずツールレイクの日系人の強制収容所に送られ,米国への忠誠を拒否して米市民権を放棄.終戦後1980年代後半まで東海岸を渡り歩きレストラン等で働いた.その後ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジのワシントン・スクエア・パークでホームレスのような生活をしながら,路上でボールペンなどで描いた猫の絵を売り芸術家を目指す.2001年彼の絵を買った映画監督のリンダ・ハッテンドーフがドキュメンタリー映画『ミリキタニの猫(The Cats of Mirikitani)』を製作し,各国の映画祭で多くの賞を受賞した.2012 年 92 歳で逝去.*****

新発見・世界初公開という十点余は,教科書にあるような水墨画.辛うじて最後の猫の絵が路上猫に重なる.しかしその後の画風はへたうま化.ポスターの裏に描かれたものもある.

路上で描かれた猫の絵には,似たような構図が多い.同じテーマのブルースを何度も歌うのに似て,同じようだけれど,同じものはできないというところだろうか.虎も猫みたい.
火に包まれた原爆ドームも,火に包まれたワールド・トレード・センターと同じように見えた.
猫の絵は客寄せで,本当に描きたかったのは戦争や収容所生活ととれる解説もあったが,ホンネはやっぱり猫の方なんじゃないかな.



映画「ミリキタニの猫」上映会(本編74分+特典映像)
8月23日(土) ①10:30~12:00 ②14:30~16:00
廿日市市役所7階会議室(定員70名)

広島終戦文学? 「その日東京駅五時二十五分発」

2014-08-01 08:02:32 | 読書
西川美和「その日東京駅五時二十五分発」新潮社 (2012/07).

Amazon 「商品の説明」の内容紹介*****
そしてぼくは、何も何もできない。頑張ってモールス信号を覚えたって、まだ、空は燃えている――。終戦のまさにその日の朝、焼け野原の東京から故郷広島に汽車で向かった「ぼく」。悲惨で過酷な戦争の現実から断絶された通信兵としての任務は、「ぼく」に虚無と絶望を与えるばかりだった――滅亡の淵で19歳の兵士が眺めたこの国とは。広島出身の著者が伯父の体験をもとに挑んだ、「あの戦争」。鬼気迫る中編小説。*****

上記内容紹介には,断絶・虚無・絶望などという文字が並んでいるのに違和感.ハイティーンの「ぼく」の目線で,わけの分からぬままに徴兵され.通信兵だったゆえに数日早く敗戦を知り,軍人手帳も階級章も焼き捨て,幸か不幸か (たぶん幸!) 軍隊から放り出される過程が淡々と記されている.それだけなところを評価.

毎年この時期になると (ただしこの本の発行は一昨年) 書店に出てくる終戦文学あるいは敗戦文学.「広島文学」というジャンルもあるらしい.この小説も主人公が終戦の日に東京を発って広島に帰るまでが大部分だが,著者も主人公も広島出身だから,広島終戦文学だろうか.

著者は評判の映画監督.わがままに怒り狂う祖父の顔に「されこうべ」を発見するとか,とつぜん憲兵に誰何されるとか,被爆後の広島で逞しくかっぱらった家財道具を自転車で運搬する姉妹とか,そうした場面がいかにも映画的.

あとがきによれば,この小説のもとは,著者の伯父の体験に基づいた手記だそうだ.伯父に直接話を聞いても「こちらが勝手に想像するような都合よくドラマチックなエモーションの類いは一切持ち合わせず,リップサービスの一片すらも覗かせないのでした」だそうだ.執筆は東日本大震災と重なったが,「世界は音もなく崩壊しようとしているのに,私には小説を書くという意味があるのかないのかわからない仕事が目の前にあるだけでした」という情況から,著者は当時の伯父のようなふつうの人々の異常な情況への対応に思いを馳せる.

装丁 (新潮社装丁室) はモールス信号プラス当日の時刻表.
図書館で借用.

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