Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

吉田健介氏

2020-06-16 08:33:25 | エトセト等
テレビで麻生太郎を見ると思い浮かべるのは理論物理学者・吉田健介氏のことだ.同級生だったのだから,吉田君でもいいかもしれないが,大学2年時以来会っていないのに,すでに故人なので,健介氏と呼んだほうがしっくりくる.なお,彼以外の吉田家の関係者はここでは呼び捨てとさせていただく.その吉田家の系図によれば,氏は吉田茂の長男である吉田健一の長男,すなわち吉田茂の孫である.健一の妹・和子の長男が麻生太郎で,健介氏とはいとこ関係.学生時代,氏が吉田茂の孫であることは皆知っていたが,そういうことは話題にしないという雰囲気だった.吉田健一のことは当時はほとんど意識しなかった.中年以降になってからはけっこう愛読している.

大学の教養学部は第2外国語で何を選択するかで分けられていた.ぼくたちはドイツ語のクラスだったが,健介氏は高校 (暁星) でフランス語をやったのでドイツ語を選んだといっていた.フランス語なら苦労しないで済むのにと思った.とか言いながら,こちらもロシア語に手を出したりしたが,結局ものにならなかった.

ご本人は父にも祖父にも似ないイケメンであった.おとなしくて礼儀正しく,われわれ級友にも丁寧語すなわち「です」「ました」調で話した.教養課程を終わった時点で健介氏はケンブリッジ大学に移ったが,その予定も本人の口から聞いた覚えがある.物理というフィールドではケンブリッジにはさしたる魅力はない,このときは将来物理を「研究する」という意識は低かったのかもしれない.文系の父親とは一線を画していたが,それでも父親が学んだ場所に興味があったということかな.それでもホイホイと留学してしまうところがすごい.ヨーロッパの水があったようで,その後ミラノ大学の教授になり,イタリア女性と結婚し,お嬢さんがいるとのこと.

クラスは勉強する派としない派に大別でき,健介氏は前者,こちらは後者であった.勉強する派の数学者・飯高茂氏とはずっと交流があったようで,飯高氏が管理する,健介氏の友人知己が思い出を語るページがウェブにある.
思い出すとぼくもけっこう健介氏と話したらしい.おたがい出席をとられる体育の授業がいやだったのだ.その後氏の専門と一致する高エネルギー物理学研究所に 15 年も勤めたのだから,理論屋さんとの積極的な接点はなかったが,何度かニアミスがあったのかもしれない.

性格的に麻生太郎とは水と油だったと思う.

高校時代に同窓だったという後藤秀機氏のホームページの「吉田君・素粒子の芯が見えたかい?」と題するブログでも,健介氏の思い出が語られている.写真はこの後藤氏のブログから転載させていただいた.この内容は加筆され,後藤秀機「天才と異才の日本化学史」ミネルヴァ書房 (2013/9) に収録されている.

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