1968 年の受験生ブルース.オウム真理教より昔だが,
「富士山麓にオウム鳴く,サインコサイン何になる」
という歌詞 (1:50-) は,中川五郎.
どこかの知事が女子高生にサインコサインを教えて何になると発言して物議を醸した.女性蔑視もさることながら,「自分はサインコサインで苦しんだが何の足しにもならなかった」というのも本音だろう.
偉くなってしまえば「勉強は嫌だった」と公言してもいいのだ.
文科省は富国強兵という安倍内閣の方針に従い,大学の文学部なんか無くしてしまうらしい.多くの理工系の大学教官は反対しない.受験生時代に,チグリスユフラテスだの鎌倉幕府だの源氏物語だのが何になる! と思ったことを忘れていないからでもある.
自分の嫌いなことは勉強しない・させないというのは,「教育イコール働き蟻生産」とする経済効率第一主義には都合がよい.しかし他人のやっていることに無関心になり,会話が成り立ちにくい社会になる.
人生の豊かさというのは,いかにいままで無駄なことで苦労したかに比例する...のではないかと,定年後思うようになった.
国家としての富国強兵経済も地球を汚すだけである.大げさに言えば,20 世紀から方向を転換する以外に人類が存続する道はない.
そのためにサイン・コサインは必要か? と言われると困りますが...
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