2024/8/30 14:15 現在,台風 10 号は瀬戸内海を自転車速度で西進中だが,当地では風もなく,雨が そこそこ 垂直に降っているだけである.
BTW
1941/12/7 真珠湾攻撃の翌日 12/8 から,日本ではラジオから天気予報が消えた.気象データの通信はすべて暗号化された.
ただし台風時には、「原因を言わず、危ないということだけを国民に知らせる」という上意下達はあったらしい.
図は 1942/8/27 の天気図である,この台風は周防灘台風と呼ばれ,全国の死者・行方不明者数は 1000 人に達した.とくに山口県沿岸には 4m に及ぶ高潮がおしよせた.天気図が国民の目に触れることはなかった.でも,1942/8/28 の読売新聞朝刊には
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暴風雨来る
中央気象台廿七日午後六時発表暴風警報
『中部地方、関東地方及びその近海は明日中に暴風雨となる、警戒を要す』
北九州一部で家屋倒壊
【福岡電話】廿七日午後博多、大牟田は不通となり、北九州地方一部に家屋の倒壊、電話、電灯線切断などの被害があった。
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なる記事がある.事後報道である.しかしこの台風の被害により 9/1 からは暴風警報の特例が実施されることになった.
でも,テレビはなく,新聞も朝刊しかなかった時代に,進路予測も気圧・風速などのデータを欠いた 木で鼻を括ったような放送だけでは国民はどうして良いか分からなかっただろう.
ウェブ上の教訓
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太平洋戦争中の特例による暴風警報が機能しなかったように,重大な災害時のときだけ特別なことをするという計画は,往々にしてうまく機能しません.災害時にうまく機能するのは,普段行っていることを増強して行うという計画です.
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両親が戦時中の暴風警報を話題にしたのを聞いたことがない,と思う.逃げなくても良い (逃げ場のない) 空襲警報に分類してしまったのだろう.見方を変えれば,たとえば現代の新幹線は電気・電子・情報工学の塊だが,蒸気機関車に必要なのは燃料だけであった.国民は,暴風警報には気づかず,あるいは無視して,できることだけをやっていたのだろう.家屋は容易く吹き飛んだり流されたりしたが,諦めも早かった... 江戸時代までの暮らしの続きだった.
予報に振り回されることもなかった.休業・休校したが台風が逸れたり弱体化したりして,命の洗濯ができた...なんてこともなかったわけだ.
今日は台風 10 号から遠く離れた神奈川県あたりが洪水しているが,これはどの程度 予測されていたのかな.
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